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南国薩摩のお家騒動に想を借りて、激動する幕末維新期の様相を、経済、因習、新旧勢力の対立と抗争など、重層的ダイナミズムの中に捉える意欲大作。
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Posted by ブクログ
斉彬に仕え、斉彬の子供たちへの調伏の証拠を見つけた仙波家は、そのために藩士の身分を剥奪されて浪人となった。一家は離散して、斉興・お由羅の動向を探る。 父の仙波八郎太と嫡男小太郎は調伏を行った牧仲太郎を斬ろうとするが、八郎太は討ち死にし、小太郎は怪我をしながらも逃げ延びた。 母の七瀬と姉娘の綱手は、大...続きを読む阪にいる調所笑左衛門(調伏を命じた本人)を探る。そこで綱手は、牧仲太郎の息子とは知らずに百城月丸を慕うようになる。月丸は「仙波小太郎は殺さなければならないが、綱手は妻にしたい」と画策する。 妹娘の深雪は江戸のお由羅の女中になったが暗殺には失敗。その後薩摩藩士益満休之助に助けられる。 なんかもう、綱手と深雪の「小娘」っぷりが気の毒に…。そりゃあずっと藩士長屋に住んでいて世間も男性も知らず、いきなり放り出されて「操を捨ててでも敵を討て」と言われたって、スパイになったことも刀を扱ったことも無いんだから無茶だよなあ。 その後、歴史で言うところの「高崎崩れ/お由羅騒動」というやつで、斉彬を藩主に擁立しようとする上級藩士たちは次々に切腹、遠島となる。 この小説の複雑なところは、斉彬党vs斉興・お由羅党という対決だけではないというところ。 斉彬党も「調伏を行っている牧仲太郎を誰が殺すか」でバラバラに動く(互いに協力しない)、「久光を殺すか、殺さないか」の意見相違、そして江戸幕府内だとか他の藩とかの「斉彬を擁立して薩摩藩の財政や兵力を幕府のために」という思惑、ところが薩摩藩士の中には「斉彬公のお考えなら徳川幕府を倒せる!」という倒幕活動をする藩士までいる。 斉興も「せっかく調所が薩摩財政を立て直したのに、斉彬の代になったらまた困窮する」という危惧を持ち、調所もお由羅も個人的にはなかなか良い人の面を見せる。ただし調伏で斉彬の子供たち7人殺したり「高崎崩れ」に関しては「顔も知らないし、死んだって気にならないよ?」という認識なのは人間の恐ろしさ…。 この時代の科学vs呪詛の時代による入れ替わりも。島津家の兵頭は厳しい修行による直伝で、斉彬の子どもたちを調伏している牧仲太郎は、斉彬の「科学」を信用していない。まあ当時は科学と錬金術とか呪いと医療は同律にあった、のかなあ。 歴史の事実としても斉彬の子供たち6人?7人?が幼くして亡くなってるし斉彬自身も藩主数年で死亡しているし、呪詛人形が見つかったのも事実らしいので、現代感覚でも毒殺?とか考えちゃう。そりゃあ当時は呪詛って言われるよねえ。 そして武士や町人それぞれの意地や人としての仁義もある。 この時代って(そして作者直木三十五の時代も)、明日の保証も命の保証もないので(実際意仙波家は一日で離散)、命懸けで意地を通す!っていうのがもっと身近だったんですね。それにしても仙波小太郎の融通効かない意地っ張り具合はさすがに「おちつけ」と思う(^_^;) 物語として魅力的なのは、仙波深雪を崇拝する元巾着切り(掏摸)の庄吉、長屋の名物講談師南玉たち。この二人がポンポンポンポン捲し立てるリズミカルで言葉遊びをふんだんに込めた台詞回しが楽しい楽しい。こんなことまくし立てられるようになりたいもんだ。 そして藩士たちの争いの現況である「斉興の次の藩主は、斉彬か久光か」なんだけど、この異母兄弟はお互いを信頼し合っているだけに「じゃあ争わなくても…」と思ってしまうところが世の中のうまく行かないところだよなあ。 彼らを統括的に観るのは、人間の世を神仏の教えを元にして考える僧侶たち。生きること死ぬことに武士の覚悟も遊郭の情死も違いはない。人間の生命とは、ただ生きて、ただ犬死にすれば良いというものではない。武士の命懸けと自暴自棄とは違う。天命を知り浮世の煩悩を捨て、自らをしっかり保つことこそ、生も死も超えたということだ!喝! 物語としては、安静の大獄が始まったっぽい描写、新徴組が結成されたらしい描写を経て、斉彬は薩摩藩主になる。しかし病に倒れて、弟の久光に後を託して亡くなる。 久光は斉彬の意思を継ぐことを誓い、西郷隆盛だとか大久保利通だとか森有礼だとか、斉彬を尊敬していた若輩が倒幕して次の時代を作ることを予見させて終了する。 小説では史実とはちょっと違う流れになっているかな。斉彬の死が早すぎ(阿部正弘まだ生きてるっぽいし)だし、死後の薩摩藩主は久光ではなくその嫡男茂久が継いでいる。歴史的には久光は「藩主の父・後見人」でしかなかった。この小説のように久光が斉彬の意思を継いで12代藩主になったら歴史が変わったりした?この小説の斉彬の凄さは「わしの考えは、わしがいないとできないことなのか?お前たちにしっかり伝えてあるだろう?」と言うところ。やっていることの途中で死ぬことって「道半ばの無念の死」と言われることが多いが、準備万端個人より公で行動していると「自分がやらなくても後の人たちがやってくれる」って安心して死ねるんですね。 実際の「お由羅騒動」(呪詛人形は本当に見つかっている)を元にした陰謀立ち会い呪詛の乱れ飛ぶエンターテイメントに、人間それぞれの思惑や考えが重なり合い、最初は薩摩藩主争いかと思っていたら最後は日本のこの先の行方を動かす大きな力を感じました。 <人間のいたすほどのことに後悔するような悪はない。なしたいことをなす。それでよい。なしたいことに、悪はない。悪と感じても押し切れば救われる。(P11)> 騙す側の言葉ではあるけど、この世に人間が何をしても小さなことだけどそこで命を尽くす、っていう意思も感じる。(でも騙す側の言い訳・笑)
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