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都会を捨て、アマゾンの密林の中で未開部族の「語り部」として転生する一人のユダヤ人青年……。インディオの生活や信条、文明が侵すことのできない未開の人々の心の砦を描きながら、「物語る」という行為のもっとも始原的な形である語り部の姿を通して、われわれにとって「物語」とはどのような意味を持つのかを問う傑作。
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Posted by ブクログ
2012.7記。 「チボの狂宴」の著者バルガス・リョサ再読。ペルーの少数民族マチゲンガ族の「語り部」が伝える神話的記憶と、人類学者の考察やドキュメンタリー制作の描写が交互に描かれる。 「木が血を流した時代」と語り部が呼ぶ、白人の過酷なゴムプランテーション経営による人口の激減、乱開発から滅び行く民...続きを読む族を守ろうと努力する同じ白人の人類学者たち。定住し農耕することを教え、人口維持に貢献する学者たちは、しかし同時に境界なく森を行き来する民族の誇りと文化を破壊したのだろうか?こうした問題を考えさせられながら、めくるめく神話の数々にも圧倒される。 ところで、本作のハイライトである「大地の揺れ、怒りを鎮めるため突如姿を消す」マチゲンガの家族のシーンは、僕に村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」の冒頭部分を思い起こさせた。阪神淡路大震災の報道を一時もテレビの前を離れずに無言で見続けていた「妻」が、突然姿を消すところからこの小説は始まる。発想の源泉が偶々似ているのか、村上がリョサを読んでインスピレーションを受けたのか、とにかくいずれもとても印象的なシーンであった。
私は怒りを感じる。〈車や大砲や飛行機やコカコーラがないからといって、彼らを滅ぼす権利があるとでもいうのだろうか?〉宣教師たけでなく民俗学者も悪だ。彼らと共に生活し、ジガバチが芋虫に産みつけた卵から孵る幼虫のように彼らの内部から破壊するのだ。マチゲンガ族はロマのように放浪する民。しなやかな強靱さをもつ...続きを読む。語り部は物語る、世界の生成、月と太陽、善き神と悪魔、死者の国、タブーなどを。顔に傷のあるカシリの偽りの光ではなくタスリンチに息を吹き込まれた真の光だった。密林から呼ぶ声がする。マ・ス・カ・リ・タ… 〈聖書、二言語の学校、福音の指導者、私有財産、金銭の価値、商業、洋服…それらがすべて向上に役立つと言えるだろうか?自由で独立的な《未開人》から西欧化の戯画《ゾンビ》への道を進みはじめてしまったのではないか?〉これはマチゲンガ族だけの問題ではなく、北アフリカを除くアフリカやオーストラリア、オセアニア、東南アジアなどにも当てはまる。民族自決とはヨーロッパにだけ適用されるもの。ダブルスタンダードだ。なぜ彼ら自身に選ばせないのか。自分たちの経済システムに組み込み、収奪するためにほかならない。 生物多様化、進化論が正しいとするならば太古の昔から生命は常に進化してきた。ならばなぜ進化の頂点とされる人類に一元化されないのか。それは多様化により様々な環境に適応し、分科することにより絶滅することを防いでいるのではないかと思う。人類も居住範囲を拡大し、環境に適応して多様な文化を築いてきた。大航海時代より近代社会への転換をせまられるようになった。現代はさらに経済システムまでもグローバルスタンダードの名の元に一元化されようとしている。それは人類の滅びへの道ではないのか。 マチゲンガ族は決して怒るなと言う。〈《大切なことは、焦らず、起こるべきことが起こるにまかせることだよ》と彼は言った。《もし人間が苛々せずに、静かに生きたら、瞑想し、考える余裕ができる》そうすれば、人間は運命と出会うだろう。おそらく不満のない生活ができるだろう。だが、もし急いて苛立ったら、世界が乱れるだろう。〉これが彼らのしなやかな強靱さの秘密だ。西洋哲学や仏教などに勝るとも劣らない哲学ではないだろうか。 ストーリーと語り部の物語が対位法により交互に語られる様はバッハのトッカータやフーガのようだし、フィレンツェと密林もまた対応関係にある。『ドン・リゴベルトの手帖』はこの発展系かもしれない。さりげなく?カフカを織り込んであるのも見事。ダンテやマキャベリにも言及されそれぞれ照応関係にあるようだ。カルペンティエル『失われた足跡』と読み比べてもおもしろいかもしれない。『緑の家』とも関連があるようだ。
バルガス=リョサは最も好きな作家の一人だ。今まで読んできた彼の作品はどれも、近代的社会と前近代的な文化という二つの世界を対位法的に描くことで世界の可能性を暴き出しながら深い感動へと導いてくれる。密林の向こう側から紡がれる物語はかつて語る事が社会そのものであったという事実を私たちに突き付け、それをこち...続きを読むら側の世界から懸命に語ろうとすることでその可能性を乱反射させる。例えそれが解読困難な呪文の様なものであろうとも、遠い世界に手を伸ばそうとする事を決して諦めてはいけないと思わさせてくれる素晴らしい読後感であった。
味わったことのない読書体験。物語そのものに引力があって引き込まれた。語り部という存在、語る言葉、その全てが楽しく幸せだった。
「密林の語り部」(バルガス=リョサ)を読み終わりました。私は静かに目を閉じて密林に差し込む月の光を想い、密林に降る雨を想い、マスカリータを想い、そうして少しだけ悲しくなった。近代化という大きなうねりの中でしだいに失われていく神話や知恵について、痛みに似た喪失感を伴う静かな物語。
真に他者、異文化を理解することと、それと同化することの間に大きな隔たりがある。理解は対象を分析し自身のコードに合わせて再構築すること。同化は自身がそれまでに得た世界観を捨て、生まれ変わること。同化には完全な理解は必要ないのかもしれない。サウルはマチゲンガ族が不具の子供を殺す理由を理解できなかった。 ...続きを読む サウルは西洋的な価値観は捨てたが物語は捨てなかった。カフカやユダヤ教、キリスト教の物語。サウルは密林の物語の中に自身の物語を自然に織り交ぜて同化した。これは宣教師や学者の理解とは違う。
ルソーの絵がまた良い。ふと、池澤夏樹のマシアス・ギリの失脚を思い出した。リョサの、楽園への道もおすすめ。
南米文学の「普通」に慣れるにはまだまだ読書量が足りません。。南米文学自体がもはや密林。歩き回ってぐるぐる迷っているような、濁流に豪快に流されるような。
命題は 「宗教やイデオロギーを超える精神的糧、刺激、人生の理由づけ、責務は あるか」 率直な感想は 「面白かったが、それを伝えるのに 330ページ必要か?220ページまで テーマが 全くわからなかった」 時間、場所、ストーリーテラーが 章ごと 変わる。視点を変えられるのに 慣れてくると、語り部...続きを読むが 密林で 物語る章は 本の中に異空間を演出している 著者の意図が 見えてくる
語り部の物語を何故真実ではないと言える?100年近く前、宇宙が膨張している証拠が見つけられていなければ、ビッグバンは真実ではなかった。 そういうことだよ。 ……そういうことではないか。
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密林の語り部
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バルガス=リョサ
西村英一郎
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