Posted by ブクログ
2015年02月22日
●普通、「貧乏神」というと、頬がやせこけて、貧相な神様をイメージします。逆に「福の神」はきれいな着物を着た、恰幅のいい神様を思い浮かべます。ところが、どうもこのイメージは違うようです。貧乏神は、貧乏だからお金を使わない神様なのではなく、とてもお金を使いたい神様らしいのです。お金を使うのがとても好きな...続きを読む神様が貧乏神。ですからお金を使うのが好きな人に貧乏神がくっつきます。一方、自分のためにはお金を使わず、人のためにお金を使う人についている神様を、結果的に「福の神」と呼ぶようです。見た目はシンプル。質素な服装をしています。
●みんなに喜ばれるお金の使い方をすると、その人を好ましく思う人たちが周りにどんどん増えてきます。集まった人たちに対しても、またその人は喜ばれるかたちでお金を使うので、周りの人からすると、その人に裕福になってもらいたい、お金には困らないでほしいと思うわけです。みんなが応援し、宇宙にも支援されるのですから、またお金は回ってきて、みんなが潤う、ということになるのでしょう。
●売り手よし、買い手よし、世間よしで有名な近江商人の思想「飢饉普請」・・・「飢饉になって周りの人が困ったら、増改築をしなさい。必要のないところでもいいから、増改築をしなさい。」周りの人が困ったとき、いかにお金を使うか、ということを考えていると、周りから勝手に富が集まってきてくれる。つまりその人は、周りを支えるとともに、周りから支えられる人になります。
●お釈迦様が弟子にこう言ったそうです。
「托鉢をするときに、金持ちの家を回ってはいけない。貧しい人の家を回って托鉢をしてきなさい」
「なぜですか」と弟子たちが聞くと、お釈迦様はこうおっしゃいました。
「貧しい人たちは、今まで自分は貧しいからと、他人に対して施しをしてこなかった人たちである。それ故に貧しさという苦界の中に沈んでいる。私たちが喜捨をいただくのは、その人たちを区界から救ってあげるためなのだ。」施しをする人は、施しをすることによって「喜ばれる」。お釈迦様は、そういう機会のない人に、施しの機会をつくろうとしたのです。
お金が余っているから喜捨をするのではなくて、先に、生活に支障がないお金や、これはなくてもだいじょうぶというものを出すと、それが喜ばれるかたちで使われた結果として、自分のところに返ってくるようになっているらしい。
「オレだって、お金があり余るほどあれば、いくらでもいいことのために使ったり寄付をするよ。今はそんなゆとりがないんだよ」・・・というゆとりのない人は、施しをしていないがゆえにゆとりがないのです。
投げかけたものが返ってくる。倍になって返ってくる。これも宇宙の法則です。