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子どもが好きでもなかったが、たまたま求人を見かけ、放課後児童クラブで働きだす如月。「せんせい」と呼ばれることに違和感を持つが――(表題作「わたしは社会」)。他、第6回林芙美子文学賞佳作受賞作「煙草の神様」も併録。
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Posted by ブクログ
子どもが好きでもなかった主人公、如月が児童クラブでの子どもたちに対する苦悩や働きぶりがとても鮮明に描かれていきます。先生と呼ばれる事への違和感、子どもとの接触に悩み苦しむ過程、なかでも特に印象に残った文面は「月路君の手指の感触は誰かの記憶のようだった。彼を産んだ母親が持っていたもの。」読んでいて感情...続きを読む移入してしまった。あなたもぜひ読んで見て感情移入してみてはいかがですか。
「わたしは社会」⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ 学童保育の現場では、せんせいであれば人間の個体名も、要らない。そこではいろいろな事情を抱える子供が生きる。元気な子も、体調不良の子も、夜は一人で過ごさなければならない子も、過剰な心配を向けられて自分で歩く道を決められない子も。そんなときでも、せんせいはせんせいであれ...続きを読むばいい。その子たちのせんせいであれるなら、身投げでもなんでもするし、何度でも死んでやる。せんせいは、子供が生きれられる社会であるのだ。 語り手はそう考える。非正規ながらも毎日をせんせいとして、社会として生きる。子供たちからその身を預けられたのなら、必ず受け止める。子供たちからせんせいへのお願いを受けたのなら必ず引き受ける。しかし、その逆は違った。社会から個体に手を差し伸べることはない。あってはならない。皆が平等に生きられる社会でなければならないから。誰か一人だけを特別視するのは社会でなく、せんせいでない。そう感じる語り手は徐々に変化していく。困っている子供がいるなら、手を差し伸べたい。置かれた立場が劣悪ならば、そこから出してあげたい。そう思い、いくつか実践した。でもそれは、子供なりの一歩を踏み出している最中に、それを見守っているだけ。せんせい側が、歩く道を決め、そこを否応なく歩かせているわけでない。だとしても、それは特別扱いだったかも知れない。結果がどうであれ、語り手は社会に成りきれなかった。 皆が平等なのは変わりない、しかし、皆が特別なのだ。そんな社会ではだめなのか。今の社会がそうでないと言うことを、私たちに訴えかけているようにも感じられた。ベテランであり、何年もこの職種としては働き続ける吉田さんが、社会過ぎるが故に、語り手の先生像は吉田さんになってしまった。芦刈先生ともう少し長く働いていたらなと思う
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芝夏子
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