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『ハンチバック』を超える衝撃の第二小説集
芥川賞受賞作『ハンチバック』を超える衝撃の第二小説集!
「何でもいいから何かを撃ち殺したい」
難病と生きる身体から放たれる言葉が現代を撃つ。
「おねえちゃまへ。元気ですか」
筋肉の難病を患う主人公ガゼルと、同じ病気を持つ姉との関係を描く表題作に、性差別主義的な哲学者を信奉する女子大学院生が三島由紀夫原作のAVに出ようとする「オフィーリア23号」を併録。
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Posted by ブクログ
「オフィーリア23号」と表題作「女の子の背骨」の二編が収められている。
積読にしているハンチバックの作者だ、タイトルが気になる、と手に取った。
感想やあらすじの整理でネタバレがあるのでご注意。
オフィーリア23号から読み始める。
小難しい言い回しや用語を多用する23歳大学院生の主人公・那緒。恋人である和人の軽薄さに惹かれるフェティシズムを持ち合わせているところや、自身が女性でありながらも女性蔑視が激しいヴァイニンガーの論調に傾倒し、自分はヴァイニンガーの生まれ変わりであると自負しているというなかなか濃い性格で、これは私には理解できなさそうな人種だな、という第一印象を持った。
けれど彼女の周りの個性豊かな人たちやそんな人たちとのやりとり、彼女自身の考えや感じ方の変遷が面白くて、だんだん文章や主人公の濃さに慣れてどんどん読み進めていった。
母を見下し暴力を振るい、子どもである兄や自分にも暴言を吐く父親、看護師で20も歳下であった嫁を図に乗らせるなと遺言を残した祖母、そんな祖母や父の性格を受け継いだかのような兄、そして父の暴力的な部分を受け継いでいる自分。そんなふうに、那緒は冷静に自分たちを見ていた。
ミレイの描いたオフィーリアの絵を、那緒はとても気に入っていた。けれど、次第に強くなっていく頭痛、傾倒するヴァイニンガーの論の通り、性欲を発散し生殖活動に精を出すしかない女という存在でいようとする心持ちが崩れていく様、どんどん自身に迫ってくる女の"不在"、正視できなくなったオフィーリア、三島由紀夫の憂国を和人と撮るために濡れ場を演じられると思っていた先の展開…そして思い当たってしまった、母を守ろうとも思わなかった、母が父に反抗する姿すら馬鹿にして見ていた、意味のある行動も取れなければ、オフィーリアのように無になることも、不在でいることもできなかった。
那緒の心が目まぐるしく動いていく。憂国を撮るカメラのようにぐるぐるぐるぐると。
長年気づかないように蓋をしてきた那緒の心が溢れ出していく強烈さを感じた。
そうやって曝け出された彼女を見て、ああ、貴女はこんな顔をしていたのか、と安心した。
那緒はこれから、押さえつけられ不在とされた彼女たちの声を聞きながら、自身を認め、存在する覚悟を固めていくのだろうか。
そう思いながらタイトルに思いを馳せた。
様々な要素が取り込まれた嵐のような話だった。
女の子の背骨は、側湾症でありながらも元気で活発で癇癪持ちという自己紹介がなされる10歳の少女ガゼルの語りにしては、オフィーリア23号よりも穏やかな印象を受けた。
自分よりもより症状が重い、寝たきりで難病の17歳の姉がいる。ガゼルは奔放に生きているように見えながらも、家族のことをしっかり観察していて賢く、そして強か。側湾症による大多数と違う自分の外見、それを気にする両親、姉が弱いからこそ自分が強くあらねばという思い、世間体を気にするわりにどこかデリカシーのない両親、身体に着ける補助具を作る時に奴隷になったかのように思う屈辱…ガゼルの健気な心中が垣間見える。
見舞い客から頻繁にプレゼントがもらえて姉が羨ましいと言いながらも、姉の辛抱強さに舌を巻き、最後は私がいないこの家で7年も過ごしていたなんてすごい!と気がつく。
小さな冒険を経て成長するガゼルの頭を撫でたくなった。
Posted by ブクログ
『オフィーリア23号』と表題作の2作が入った短編集です。
やっぱり純文学って難しーと思いながら読みました。でも、難しいけど面白い。市川さんの高い知性と教養とブルジョワジーさを感じました。
『オフィーリア23号』の主人公の那緒はミソジニストであり、オットー・ヴァイニンガーという差別主義者のハンガリー系ユダヤ人の生まれ変わりなのだと嘯く大学生です。
恋人であり劇団で主演俳優をやっている和人から、三島由紀夫の『憂国』のリアル映像化を持ちかけられます。本番行為ありで、その無修正動画をpornhubにアップしようというのです。
女性である那緒がそこまでミソジニーに染まっているのは何故…??と思いながら読みました。そもそも、今の時代にミソジニストの女性を主人公にするなんて、すごい挑発的というか思い切ったことをするなぁ…と。
しかし、最後まで読むと、那緒のミソジニー思考は母への嫌悪感と罪悪感に強く関わっているのだと納得しました。父親から殴られる母を助けなかった自分を正当化するための手段だったのではないか。「女は愚かで性欲以外でものを考えられない」から、殴られて当然なのだと思い込もうとしていたのだろうか。
Posted by ブクログ
ハンチバックを書いた市川沙央さんにしか描けない作品を読みたくて。
楽しい時間が過ごせる本じゃないから⭐️3つだけど、この本でしか感じられない気持ちの分⭐️2つをプラス
「ああ、きれい」と誰もが感じられる印象派の絵画ではなく、「何故、こんな気持ちになる絵を観に来たんだろう?」と自分に問いかけながら現代抽象画の展覧会に居るような気持ちで1作目を。
会場から出て一息つくように、一晩おいてから2作目を。
「お兄ちゃま」が「お姉ちゃま」になり、理解し合えない家族の日常が続く。
家族でも理解し合ってはいないように、同じ社会で暮らしていたって理解はしていない。
自分以外の世界を知ろうとできるか。
「心地よさ」は「慣れ」と自分にとっての「あたり前」
ジャガーやグアムのコンドミニアムにも慣れている人といない人、心地よさと違和感があるように。
Posted by ブクログ
市川沙央さんの「ハンチバック」以来の新作には二つの中編が収められており、いずれもある意味特殊と思われそうな家庭環境が影響しているように感じられました。
一つ目の「オフィーリア23号」、タイトルは本編を読めば何となく想像できそうな中で、三島由紀夫の生き様や、オットー・ヴァイニンガーの「性と性格」を引っ提げたミソジニーに、『まともな人間は戦争で死んだ』等々、多くの刺激的な言葉が登場するけれども、あまり不快とは感じなかったことが印象に残り、それは登場人物達がそれぞれに何派であるとか信念や持論のようなものを唱えていても、その人自身の本質は見えてこなかった点にあるのではないかと思い、そこには誰かの言葉に縋らないと不安でならないという潜在的意識や、人間の本質というのは当然自分自身の中にあるはずだと信じながらも、時には自ら選ぶことのできない家族という檻に囚われてしまうこともあり、そんな嘆きを訴えていたのではないかと思ったのは、主人公那緒が自分自身と葛藤する中で何度も登場する言葉が、『塵』『空白』『不在』『断片』だったことも、きっとあるのではないかと思う。
二つ目の表題作「女の子の背骨」、このワードが本編に登場するのが意外なところからという点には、こうしたエピソードもあるのだということを痛感することによって、人それぞれが抱える事情には想像も及ばないような部分もあるんだよという、そんな決して目には見えない痛みを、姉妹共に生まれつき筋肉の病気を持つ、十歳(?)のガゼルの視点で展開していることには胸が痛む思いとなりそうなところを、シニカルで乾いたユーモアまで感じさせる点が独特。
本書では、前作「ハンチバック」のような、市川さん自身の叫びが潜まれたような鬼気迫るものを感じず、寧ろ、一歩引いた視点で物語を創作しましたという印象が強かったが、そうした中でも物語に於ける一つ一つのエピソードを詳細に書かれていることには、まるで市川さんから、「こんな人生も、もしかしたらあるのかもしれないということを想像できますか?」と問われているようで、衝撃作というよりは、そうした伝えたい思いを確かに受け止めましたという読後感でした。
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