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フィンランドの子育てに、目からうろこ。「母親は人間でいられるし、人間であるべきです」二人の子どもと海を渡った社会学者による現地レポート。「考え方が変わる」と大反響。待望の文庫化!
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Posted by ブクログ
もっと早く読めばよかった! 子育ての話が多いけれど、アンナ先生の言うとおり、「一歳から死ぬまで練習できること」について書かれているので大人が読んでも、そういう考え方もあるのか!とハッとする。 今いる場所、今言われていることが永久に正しいとは限らない。だったらより心地いい方へ、どんどん逃げていいのだ...続きを読む。
パクさら さんという子供が二人いる人が ヘルシンキでの仕事を選ぶ。 日本人のご主人も賛成してくれる。 この本読むまで フィンランドの歴史を知りませんでした。 ロシアから奪い返した土地なんですね。 ヘルシンキは暗くて寒くて食べ物がまずい 子供には親切 よその国からきた人にも 平等にいろんな制度が使える...続きを読む。 ママが子供にパニクって大声をあげそうになったら 電話すると 話しを冷静に聞いてくれるシステムもある。 さらさんが感情が激したシーン 前 一緒にコーラスをやっていた韓国人のキムさんを 思い出しました。 さらさんは 在日で両親もおじいちゃんおばあちゃんも日本にいる。 キムさんは韓国から来て日本に住んでいるし ご主人も韓国の人 わたしはキムさんが 大声を出した時 胸の中に熱いパッションがある人なんだなあ! と思ってたことを思い出しました。 さらさんは京都にお住まいだったけど 在日コリアンの人たちへの差別とか偏見とか いろんなものがあるんですね。 日本でもなく韓国でもない所に住みたい!という願いで フィンランドを選択 さらさんの子供たちへの話し方が 関西弁なので なにやら柔らかい。 子供たちに ひとつひとつ ちゃんと話しをして 話させている。 子供たちも 小さいながら ちゃんと意見を言う。 作者は自分に自信がなさそうですが いやいや立派なものです。 幼稚園は 働く親のためにあるんじゃなく 子供には 行く権利がある。 戦争の話しも出てきます。 今 私たちがここで生きてるのは その上の年代の人たちが 頑張って生き抜いてきたからなんですね。 フィンランドには徴兵制もあるけど 分別のある国なんだなあ! と思いました。
期待を超えてきた〜素敵な文章だった 私がヘルシンキ好きだな〜と思った理由と住みたくはないな〜と思った理由が詰まってた 高校時代の探究発表のガバガバ発表をずっと情けないなーと思ってたけど、考えの浅さだけでなくどのように思考したらいいのかをアカデミックに淡々とでも関西弁で面白く!指摘してもらえてすごく...続きを読むスッキリした。この文章の温度感がめちゃくちゃ心地いい。ハイキューの北さんみたいな感じ。 何よりも本のタイトル、生活の練習の意味するところがつくづく大切なことだなと思う ドライな人は能力と人格を切り離せるから、怒らない。もっと言うと問題と人を切り離せるから議論がちゃんと前に進む 認知行動療法を実践中の身としても本当に学びのある考え方だった
著者は、両親のうち片方が韓国人、著者本人は日本生まれ日本国籍ながら韓国式の名前なので、差別や偏見と無縁ではないという環境に育ち、それが海外移住の動機になっていると前書きに書かれている。そういう非差別意識に影響されたフィンランド推しの本かと思うと読む前から若干うんざりだったが、それは移住の動機やきっか...続きを読むけに過ぎなかった。この本はそういう内容ではなかった。いい意味で期待を裏切られた。 ヘルシンキでの子育てを通じての諸々がメインではあるが、よくある子育て本とも海外事情をざっくりという本とも違う。たとえば、日本の保育園は親の都合で子供を預ける、親のための施設や仕組みだが、フィンランドは子供が生きていく上での基本を学ぶ(「生活の練習」をする)場で、子供のための制度であるなど、フィンランドの社会制度について書かれている。子育てを通じて垣間見えるフィンランドのものの考え方や、著者本人の成長環境を振り返って掘り下げた考察なども書かれており、非常に奥行きのある一冊である。 著者は、私はいい母親ではないと言い切っている。フィンランドでは、母親は人間でいられるし、人間であるべきですと言われたそうだ。これは母親ではない私にも沁みた言葉でしたね。なぜか女性だけが良妻賢母像を暗に要求される日本社会で、そういう認識が広まって欲しいものだと思う。母親になったからって女神様になるわけじゃない。フィンランドにはメンタル的に行き詰まった親が相談できる仕組みがあるとのこと。そういうことを前提にすると、改めていい母親ってどういう母親だろう?と考えてしまうのである。 著者は移住したが、この本では、彼女の夫の出番が少ないことが気になる。子供ファーストになると夫は二の次かもしれないけど…。この本は続きがあるようなので、そちらも読むことにする。他の人にも一読を薦めたい本なので星5つ。
予想以上に最高に良かった!続編も読みたい。 フィンランドの保育園の描写がとても良かった 人格ではなく「技術」と捉えて、 「悪いところ」ではなくあくまで「練習が足りない」と表現するところが素敵だった ユキちゃん、クマちゃんのせりふも癒される しかしフィンランドの善とされる部分も悪とされる部分も、...続きを読む著者は常に冷静に見つめていて 自分は社会をどう捉えているか見直すきっかけになる 自分がもし子どもを育てることになったら、絶対に再読したい
ヘルシンキ(フィンランド)と生活、そして練習という単語が連なっていると、私みたいに「ていねいな暮らしって、いいっすよね」というライフスタイルがんばってみたい勢にとっては、自分の時間を大切にするだとか、働きすぎない生活的な、ふんわりとした生き方のようなものにフォーカスが当たった本なのだとはなから思い込...続きを読むんで手に取った。これを読んだらきっと、私も少していねいな暮らしち近づけるに違いないとおもって読み始めたら、関西弁での論旨展開と、この社会と世界への鋭くも真摯な切り込みがうわーっと展開される。当初思っていたような内容の本では全然なかったけれど、ものすんごく面白い本だった! 確かに私たち日本人には北欧、特にフィンランドは幸福度が高い国というイメージが強くて、やたらにいいものと思っているけれど、著者の朴さんはずっと冷静に自分の視点からフィンランドと人間の生きやすさを見つめている。楽に生きるためのスキルがあった方がいいという考え方は、軽やかでいいなと思った。なんだかんだと、日本人はすべてを人格に紐づけて考えすぎるのかも、と思った。
社会の福祉制度に対して、フラットに使う姿勢。子供や個人の選択を尊重する教育。人格は尊重、攻撃対象外、スキルを練習する。仕事のミスについて、問題はその人ではなくその問題が発生した理由やシステムに問題があるとする考え方と同じやな。エモくなりすぎない。反射板。
社会学者がヘルシンキで子育てした際のエッセイ。 フィンランド、ヘルシンキ、北欧って何となく丁寧な暮らしをしていそうで、子育てもしやすいようなイメージがある。 ただ、実際は、考え方が違うだけなんだと改めて思った。 筆者曰く、日本の保育園は保護者のための施設だが、フィンランドは子どもが教育を受ける...続きを読む施設。子供のできること、できないことを人格、性格で考えるのでなく、単に技術の問題と考え、練習が足りていること、足りていないこと、で考えている。育児相談も同じ。フィンランドの育児相談は、母親としての心構えより、いま抱えている問題を解決する提案がなされる。ドライに「お互いに相手に悪意があるわけではない」という前提に立っていないと提案できない解決策を提案する。 ただ自分としては、それは、単にそれが「仕事」だからと割り切れているだけなのかもしれないとも思った。日本でも、そうした育児の相談が、完全な「仕事」として外注されるのであれば、そしてユーザーもそれで納得できるのであれば、フィンランドと同じことができると思う。ただ、家庭・育児に踏み込むことは、あまりにも個人的な感情に踏み込まざるを得ないのが日本の雰囲気だと思う。そうした中で、育児相談をサービスとして提供するのは、あまりにも個々人の感情に配慮しながら業務を完遂せざるを得ず、かなり難しい綱渡りを要求されると思う。単純に、外注サービスとして、成果物がはっきりとできる文化ならまだしも、この日本でそんな無料サービスを提供するのは末恐ろしいと思う。 あくまで感覚に過ぎないが、家事・育児・介護などのケア労働に対して、日本はあまりにも個々人の努力が要求され過ぎているような気もする。もっとドライであればいいのに、個々人あるいはサービス提供者に対して「いい親」「いい子」「いい保育者」「いい介護者」としての振る舞いを求められているような感覚に陥る。自分自身、育児も介護もまだな、中途半端な人間だが、だからこそ、ケアに踏み込むのが怖いのが正直なところ。 この本でも同じようなこと述べられているが、フィンランドの保育園の方がサービスは低く、日本の方が手厚い。ただ、それは善良で優秀な個人が現場で頑張ることによって公的な制度が不備のままに置かれているだけではないかと筆者も述べている。 まあでも、隣の芝生は青く見えるというか、単純に考え方が違うだけで、それがその人に合うかどうかは結局その人次第なんだろうなと思う。 そして、筆者は自らが日本でマイノリティとして暮らさざるを得ない状況で暮らしてきた感覚を書いているので、この本を読んだあと、自分が日本でマジョリティ側としてぼーっと暮らしていたことを暗に批判されているようで、説教されているみたいで申し訳なくなってしまった。 あと、心に残ったフレーズがもう一つある。 「私はたくさんの人との関係のなかでのみ、まともな人間でいられる。私は、私を恐れさせ、緊張させ、恥入らせる人々のなかでのみ、なんとかまともに振る舞うことができる。そうでなければ、私は自分の持つ力に酔い、傲慢に振る舞い、誰かを傷つけてもなんとも思わないだろう。子どもと親だけの関係は、危険だ。社会が、つまり制度と規範と多様な人間関係が、介入してくれなければ、私は子どもたちにとって危険な存在になる。」 親としての権力性。これは本当に気をつけなきゃいけないんだろうなと思う。
日本とフィンランドを比べていないのが良かった。意味がないのだ。そのときに必要なスキルを身につけていこう。日本の教育も本当に少しずつだけど、そういう風になっていっているように感じる。時々ふっと笑えて、大変だし、子どもたちは頑張っているけど、それが嫌味や自慢に感じられないのがとても良かった
異国の地、言語の壁、北欧フィンランド・ヘルシンキで移住生活することになった著者・朴沙羅が子供の教育を通して日常を体感する。それは人権のあり方や社会の責務、日本とは異なる観念が自身の出自や国籍というカテゴリに振り戻されていく。グローバルとは、そんな境界を取り払った自由さ、もしくは曖昧さにあるのではない...続きを読むか。私たちはどうか。この島国の民族主義が扇動するような家庭や教育の偏った思想にとらわれない先に多様性や民主制が垣間見えてくる。そうだ、まだ平等や人権の尊重のスタートラインに立っていない。"○○感" と喧伝する為政者の言葉はあまりに空虚であろう。
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