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本書は、著者の第4子で重度の知的障害者である星子さんとの暮らしや、津久井やまゆり園事件の犯人「植松青年」との手紙のやりとり、また1977年から通った水俣の地と水俣病などについて、10代の3人の若者に語った記録である。能力主義と優生思想、人とのかかわり、個・自立・責任、差別、脳死、人の生死といのち……などをめぐって話しあい、いのちに価値づけはできるのか、「共に生きる」とはどういうことかを考える。
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Posted by ブクログ
素晴らしい本でした。著者の最首悟さんの重度障害のある47歳の娘、星子さんとの暮らしや津久井やまゆり園事件の犯人「植松青年」との手紙のやりとり、水俣病などについて、3人の高校生と語った記録。
高校生たちの話すことがなかなかに素晴らしい。
p26
自分にあるものは限られてますから、「自分にないもの」って、もう無限です。短所と言われるものでも、障害と言われるものでも、自分が持っていなければ、それは相手を立てる理由になる。たとえば星子は「目が見えない」っていうことや、「しゃべらない」っていうことを持っています。どんな人でも、どんな動物でも、私にないものを持っている。それを、こう、すごいこととして、そういう存在に頼る。それをきずなとして生きるということがあると思うのです。
p61
ジョセフ・フレッチャーという、生命倫理学の先駆とも言われるような20世紀のアメリカの科学者が、「人間の条件」として「IQ20以下は人間じゃない」と言いました。ほかにも「今日と明日の区別がつかないのは人間じゃない」とかね。「ダウン症児は人間じゃない」とも言ってる。これは優生思想そのものです。
やまゆり園で植松青年も、入所者に声をかけて回って返事がなかった人を刺したらしい。(略)
この考え方は、脳死を人の死とする考え方にもつながります。
つまり「脳死を人の死とする」っていうのは、脳がだめになってしまった人は、心臓が動いていても「死亡した」っていうことにして、生きている臓器を利用しましょうという考えなのね。まだ心臓が動いている人の体を、いわば「資源」として見てその資源を活用するために早く死なせてしまうわけ。これがまず問題です。
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心に残る言葉がたくさんありすぎて引用しきれないけど、ここも印象に残った。
「いのちは決して善きものではない。善きものも含んでいるけど、人間にとってどうしようもない、酷い苦しみとか悪魔的なものも含んでいる。」
どうして戦争が終わらないのか差別がなくならないのかといういつもの疑問に対する答えorヒントを得たような気がする
Posted by ブクログ
去年、心を病んで休職を経験したのだが、休んている間は社会の役に立てていない自分に耐えられなくて、かえって辛くなってしまい、何かに焦るように復職した。
実際、復職後は誰かの役に立てていることが嬉しくて、復帰してよかったと思えた。しかし、最近はまた激務に追われてかなり苦しい思いもしている。
そういう状況の中で読んだこの本には、今の自分にとって金言とも言える言葉がたくさんあった。
87歳の最首さんは、星子さん(重度の障害をもつ娘さん)の身の回りをしているが、「私たちは星子に頼られながら、星子を頼りにしている」と語る。
星子さんが物理的に何かをしてくれるわけではないが、星子さんに頼られている状況こそが最首さんにとって価値のあることなのだろう。
そして最首さんは、星子さんが生まれるまで自分は「競争の世界の中で強くなろうとしていた」が、星子さんが「私が弱いということ」に「気付かせてくれた」、「『弱い』ことで素直になれた」と語る。
個人主義や能力主義が行き過ぎると、何においても自己責任という言葉が付いてきてしまう。しかし、人間は一人で生きていくことはできない。私たちは常に誰かに頼らざるを得ない。頼られることと頼ることはひとつのことなのだ。
そんな至極当たり前のことを私たちはもう一度自覚すべきだし、この本は私にそのことを思い出させてくれた。
「私たちは人に頼ることなしには生きられません。なのに、人に頼ってることをごまかそうとするわけね。」(P43)
特にこの発言は、まさに今の自分のことを言われていると思った。
これからは、誰かを頼ることに対して変に負い目を感じたりせず、素直に周りの人に助けを求められるようになりたい。
Posted by ブクログ
日本経済新聞に「能力主義、前提は強い「個人」。競争より共創で生産性を」と題する書評コラムが掲載されて、その中の1冊として、本書が紹介されていました。著者が、重度知的障碍をもつ娘をもつ父親であり、「相模原障碍者施設殺傷事件」(2016年)を起こした殺人犯と対話したことがあるとの紹介とともに。
Over the topとは40歳のころを指すのですが、中高年まで人生は上り坂で、何かを成し遂げたいと思い、人は格闘するのでしょう。著者も大学紛争という特殊な状況下で自己否定を迫られる一方、いずれ大学教授になるのだろうなと思っているところに、この娘さんが誕生します。そして、それ以来、娘があって私が生きている、という感じであり、娘さんの存在に支えられて生きてこられます。
また著者は、西欧的な考えと本来の日本的な考えとを「閉じた世界」と「開いた世界」とに分けて、「「開いた世界」のポイントは、まず「関係が先で、存在があと」ということ。逆に、西欧的な「閉じた世界」では「存在が先で、関係があと」。存在というのは、個人、個の存在ということです。」と述べられます。
「閉じた世界」がもたらす問題を「開いた世界」により解消できないか、と著者は思われているようです。しかし、「閉じた世界」が問題をもたらす一方、「開いた世界」も問題をもたらしてきたでしょう。どちらが無条件に良いとは言いにくいように思いました。
そんなところに、座談会に参加した1人の高校生の言葉が印象に残りました。「能力とか生産性っていう価値観で「選ぶ」ということを、すごく簡単にしてしまっているところがあるなあと思って…。「いのちの選別をする」ってなった時に、そこに迷いが生じない怖さがすごく、あるなと思った。だからこそ、曖昧さをもう少し大切にしながら、「選ぶ」ということに向きあいたいと思います。」
Posted by ブクログ
個人主義のわたしに、新たな知見を与えてくれた。
重複障害の娘さんを持つ最首悟さんと、中高生3人の会話。
いのちの価値とは、能力の高低や有無ではない、というのが一貫した主張。よく分かる。
最首はさんは、脳死は死ではないという立場。
私は脳死は死で、臓器提供はむしろしたいという立場だった。
私の母は臓器提供反対派で「自然じゃない」というようなことを言っていたけど、なんとなくその気持ちにも寄り添えるようになったかも。
津久井やまゆり園事件の犯人の植松青年は優生思想の持ち主。入所者に声をかけて意思疎通ができない人間を殺していったという。
成田悠輔氏が「高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないか」と発言したという。成田氏はとても面白い人だなと好感を持っていたのでショック。この経緯をちゃんと調べたい。
西洋と東洋の考えの違い
個人と責任というところで、戦争責任を感じていないというのは深刻な問題。ここは無理にでも考えないとダメだなと思った。
あなたのあなたとしてのわたし、という考え方に納得した。相手によって態度が変わるのはこういうことか。
苦海浄土、読みたい。
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