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「情けない人生でした」――器用に生きていた後輩の死、海で溺死した父…… 岸本佐知子さん、能町みね子さん推薦!忘れられない喪失の記憶を炙り出すエッセイ集。岩井秀人さんとの特別対談収録。 「面白くて途中で読むのをやめられない。前田さんの文章には、読む人を前へ前へと駆り立てる不思議なエンジンがある。」 (岸本佐知子) 「死なれちゃった時は、まえさんみたいにたくさん話したほうがいい、って思う。マヌケなことや、細かいことまで、なにもかも。」 (能町みね子)
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Posted by ブクログ
夫をコロナで亡くしたおばが、コロナをうつされた夫の友人を恨む気持ちを整理できた話がグッと来た。 非常に大きな感情が超常現象かはたまた偶然の一件でスッと解消される瞬間。 大槻ケンヂ氏『くるぐる使い』を思い出した。 人間の感情は理屈を超える。 だから死後の世界観や宗教は完全にはなくならないのだろう。 ...続きを読む 著者がおばの心情を推測する描写がとても丁寧で紳士で謙虚。 「~~かもしれない。」連発であくまで推論であることを強調して「それでも~~」後の記述が説得力ある。 ワークショップの話はちょっと食べ物がおいしそう過ぎて話が入ってこなかった。 昔精神分析学を少しかじった自分の持論なのだけど、心って何でできているかというと他者の心の成分からできている。 多数の他者の心の成分が自己の心を支えている。 自分にとって大きい存在の他者の心が亡くなると、自己の心の一部が一気に崩れる。 身体に例えて言うと片腕もぎ取られたくらいのダメージが心にかかる。 外から見ても血は出ないし定量的に他者に伝えられないのが苦しいところ。 この本は心が崩れたぽっかりとした部分をかなり言語化できているのではないかと思った。 文学フリマは以前行ったことがあるが、こんな本を作ってる人もいたのかと感心した。 あの場って売ってる人のアピールの仕方と会場に来てる人の指向とのマッチングがとても難しいのではと思ってる。結構予習するとかサンプル読み込まないとなのでは。
筆者の周辺にあった死別をめぐる体験のエッセイ集。これを通して、自分のまわりのさまざまな別れ、自分自身の死生観をひっくるめて考え出してしまう。
ある程度生きていれば「死なれちゃったあとで」思うことは多かれ少なかれあると思う。頁を進めるうちに、随分蓋をして来たことが一気に溢れて胸が詰まった。今年読んだ本の中で印象深く一番心に響いた一冊になった。
これは、テーマが、いい。 著者が直面したひとの死、その前後を文章にしている。 ひと、、、親戚、友、関係者、町の人、、、様々。自死も。。 友の自死が軸になっている。 自分を変えるきっかけを与えてくれた友。 思えば私もいくつかの死に出会っている。 この歳になってそのペースが上がってきてしまった。 祖父...続きを読む母の死はまだ幼かったのであまりピンと来なかった。遠方でもあったし。 最初の一番ショックだった死はセキセイインコ。 小学生の時は正月でエサが買えず、、 中校生?のときは振り向いたときに蹴飛ばしてしまって、、、と。 泣いた。 次は父か。私が29の時、53歳の父は心筋梗塞で逝ってしまった。 バブルのピーク、そしてはじけるさ中で、相続で痛い目に遭った。 しかしそれがきっかけで人生が変わった。 そして友。 父の歳に追い付きホッとした直後、高校時代からの友が死んだ。 一緒によく食べ、よく語る友だった。やっと離婚が成立、再婚を目前にしていた。 信じられなかった。 さらに1年半前。ラグビー観戦を何十年も一緒にしてきた友、いや、それ以前に 小学校時代からずっとつかず離れずだった40年来の友に、死なれた。 私も彼らについて文章を起こしてみようかな。なんだか供養にもなりそうだ。 針中野の占い師 父の死、フィーチャリング金 こりゃ死んどるね じゃあ明日 永遠の保留 ごめんね 101まで生きる/生を奪われる 人生はまだ動いているわけだから 天国からの着信 気づけなかった記憶 種子島へ 完結はしない 対談 岩井秀人×前田隆弘―死なれちゃった経験を語ること
身の回りの人の死というのは、その悲しみが癒えるのを時間に委ねるのがほとんどだ。 それを、まだ間もないときに、思いを文字にしておくと、その文体の巧さもあって、このような作品になるのだなと感心した。 私も、身内の死から40数年経ってこの本を手にしたことで、記憶がまだ残るうちに、文字にしておかねばと気付か...続きを読むされた。
著者の周りに起こった死をテーマに、 喪失感を手放さずに向き合いながら生きていくことを描いた一冊。 死なれ"ちゃった" の言葉のとおり、 共通して予見しないタイミングでの死が綴られる。 それも、身近な人〜見知らぬ人まで様々な関係性から見た『死』が描かれることで、死生観について考...続きを読むえさせられる。 私はまだこんなにもたくさんの死は体験していないので、 これから、人の死に目に触れる機会が増えていくのだろうなと思う。 印象的だったのは、 喪失を受け止める時間を持たないことは、 その人の存在がなかったかのように振る舞うことになるのだ、ということ。 喪失感があることは、その人が少しでも自分の生活や価値観を形作っていた証拠なのだなぁ。それは、死別に限らず、離別でも同じことだなぁとも思った。 著者のすごいところは、意図してかは不明だけれど、 死別による喪失感に対して、 話す、赴く、考えるということをかさねる中で、 自分自身や周囲の人のグリーフケアをしていることだと思う。 悲しみも、自分の中で時間をかけて消化して、心の中にきちんとしまうことができるようになりたいな。
誰かの死ほど気持ちを攪拌するものはない 著者の身近な人の死にまつわるエッセイなのだが、短編小説を読んでいるような気になる 自分が昔経験し、そして時間が経ち沈殿してしまった身近な人の死に対する感情が、撹拌されまた語りたくなる、そんな本。
友人、父、祖母など親しい人、通りすがりの人、知り合ったばかりの人の死を描く。 親しい人を亡くしたばかりの人は読むのは辛いかもしれない。ちょっと落ち着いてから読むといいと思う。 若くして自死した親友の話も辛かったが、事故死した父の話も辛かった。まだ高校生の娘がいるのに、たった三万円しか貯金がなかった。...続きを読むたくさんあったはずのお金は、借用書も貰わず他人に貸していた。(実質的にはあげていた。)息子の大学の仕送りも妻のパート代から出させていた。それが死んでからわかるっていうのは。生きているうちにわかれば怒りのぶつけようもあるが。 しかし、それを恨みにしなかった家族は偉かったな。 若いときは人が死ぬということを本当に分かってはいなかった。しかし身近な人が亡くなることで、死なれてしまったときどんな思いをするかというのがはじめてわかる。自分の死も意識する。 立派だと思ってた人が家族には優しくなかったり、賢いと思われていたために、みっともないところを見せたくないと虚勢を張ってしまう。世間ではよくあることかもしれないが、よく知っていたつもりだった人が、死んだ後にそうだったとわかるのは複雑な思いがする。自分は何もわかってなかったのかと。 一番辛いのは幼いあるいは若い子どもを亡くした親で、この本には著者の親友である息子を亡くした親の前向きな姿が描かれているが、そこに至るまでは地獄の苦しみであったと思う。 もし私が死んだ人だったら、こうやって書くというのは単に思い出すよりずっとしんどいのがわかるから、嬉しい。 思い出すことが、考えることが追悼であり、自分の心を整理することにもなる。そんなふうに思った。
前田さんは身近な人の死について考え続けている。 「もしかしたら死なずに済んだんじゃないか」という後悔を捨てたくはない。(P211) 読んでいて辛かったけど、もっと深く考えたいと思った。
年齢を重ね、身近な人の死に直面する機会が増えて来た。 喪失感は半端なく、ふとした瞬間に思い出しては胸が苦しくなる。 本作は病死、自死、不慮の事故など、作者が実際に経験した死別を記録したエッセイ集。 実話だけあってグイグイ引き込まれる。 中には全く予期しない死もあって、死の暴力性に愕然とする。 ...続きを読む どのエピソードも濃く重いが、大きな穴に落ちて亡くなった女性の話と、コロナ感染で亡くなった男性の話はあまりにも居たたまれない。 防げた可能性がある死ほど悔恨が残りそう。 死ぬ前に、死なれちゃう前に後悔の少ない生き方をしたいと思えた。
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前田隆弘
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