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左川ちか(1911-36)は昭和初期のモダニズムを駆け抜けた女性詩人.日本近代詩の隠された奇蹟とされた.「緑」「植物」「太陽」「海」から喚起する奔放自在なイメージ,「生」「性」「死」をめぐる意識は,清新で全く独自の詩として結実した.爽快な言葉のキーセンテンスは,読む者を捉えて離さない.初の文庫化.
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Posted by ブクログ
左川ちか(1911.2.14~1936.1.7) 北海道出身の詩人。 19歳で最初の詩「昆虫」を発表。 え!?これが最初の詩なの? さぞや詩壇は沸いたことだろう。 けれど病に倒れ、24歳で亡くなった。 knkt09222さんのレビューから読みたくなり、すぐさま購入。 表紙も素敵だった。 よくよくレ...続きを読むビューを拝読してから挑んだのだけど、難しかったなー。 ただ、突如放り込まれる冷徹さにドキリとさせられる。 「青白い夕暮れが窓をよぢのぼる。 ランプが女の首のやうに空から吊り下がる。」 であるとか、 「夕暮が遠くで太陽の舌を切る。」 であるとか、 「その時私の感情は街中を踊りまはる 悲しみを追い出すまで。」 であるとか、 鋭い感性に心が揺さぶられる。 左川さんは見たこともないような切り口で、情景を切り取る。 幾つかの詩の"踊る"とか"まわる"、"ステップを踏む"という文字が目に留まる。 足掻きながらも懸命に"生きること"を"踊る"と表現しているのだろうか。 踊り狂うことで、"生"を実感しているような。 加えて、緑色と青色が沢山登場する。("殻"も何度か登場する) 別の資料で、左川さんは"視力が弱くて、春先は必ず眼をいためて通院していた"と知った。 それについては『暗い夏』でご本人も明記している。 弱い視力で見渡す緑や青の世界は、彼女に様々な別の景色を見せたことだろう。 けれど時にそれら緑や青の押し寄せる波に、左川さんは溺れそうに見える。 緑と青の関係は………? 調べると、色弱の人は緑色が見えにくくても青色は認識できるとのこと。 「両側の硝子に燃えうつる明緑の焔で私たちの眼球と手が真青に染まる。」 とは、そのことか? 『暗い夏』は少しだけヒントを与えてくれたけれど、まだまだ分からない。 『春』 「亜麻の花は霞のとける匂がする。 紫の煙はおこつた羽毛だ。 それは緑の泉を充たす。 まもなくここへ来るだろう。 五月の女王のあなたは。」 冷徹な表現がないこの詩にホッとしてしまい、初めは美しく穏やかな春の光景だと思っていたが、違うのだろうね。 だって前述を踏まえると、 春がくれば眼が悪化して緑は認識できなくなってしまう。 きっと紫も。 女王の権力は絶対的だ。 猛威を振るう女王に逆らうことは出来ず、 ハッキリと認識出来るのは黄色や青色、茶色になってしまう。 そのことを詠った詩に思えてきた。 春になると見えなくなる緑色。 視界の中で存在感を増す青色。 だからこそ、彼女の詩には意識的に緑や青が多く登場するということか? Wikipediaには"死や衰えのメタファーを用いるのが特徴"とあった。 例えば、 「料理人が青空を握る。四本の指あとがついて、次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。 たずねてくる空の看守。日光が駆け出すのを見る。」 などがそれにあたるのか。 これらのフレーズは『死の髯(ひげ)』と『幻の家』とで繰り返される。 『幻の家』が改作とのことだが、刊行者の覚え書によると「思うところあって二者とも収載した」とのこと。 『海の天使』と『海の捨子』でも、また別のフレーズが繰り返される。 こちらも改作なのだろうか? "私"と詠まれている詩もあるが、"彼女"や"少女"という言葉が使われている詩も多々ある。 "彼女"や"少女"も左川さんのことではあるのだろうけれど、三人称を使うことで、彼女たちは左川さんの代弁者として詩の中に存在するのか? 先日読んだ宮沢賢治の詩は、リズミカルだった。 声に出して読みたいくらいに。 左川さんの詩は、リズムを保たない。 だからその分、私は1つ1つの言葉を噛み締めるようにしっかり読んだ。 これが本当に19歳~24歳の女性の詩なのかというくらい、 成熟した人間を思わせる詩だった。 中澤系の歌集を読み終えた時にも似た、すごいものを受け取ってしまった感。 『詩集のあとへ』という百田宗治さんの文章の、「林檎の枝はみな左川ちかのように天の方に手を延ばしている」という文章も良かったな。(こちらは百田さんの言葉) 川崎賢子さんの解説の中で、左川さんが恋心を抱いていた相手が、お兄さんの親友であり文学上の師でもある、伊藤整さんだと知った。 失恋したのは彼に対してなのかな? また左川さんの『海の捨子』だが、 伊藤整さんの詩に『海の捨児』があることも知る。 すごいな。 師に真っ向から挑んでる。 また、"殻"についても解説で触れられていた。 "精神と身体の二元論。み(身・実)の側面と、から(空・殻)を内包するからだとしての側面"とのこと。 この解説、全体的にすごかった。 充実の内容。 最後に読んだ方がいいとは思うが、解説を読むと改めて詩集を読み返したくなる。 疑問符ばかりのレビューとなってしまったけど、とても好きな詩集となった。 読み返す度に深みを増していく自分でありたい。 以下、好きな表現を幾つか。 「人々は空に輪を投げる。 太陽等を捕らへるために。」 「刺繍の裏のやうな外の世界に触れるために」 「春が薔薇をまきちらしながら 我々の夢のまんなかへおりてくる。」 「夢は切断された果実である」
りんごは赤くて丸い果実に決まっているという現実的な見方よりも、置いた場所によって変わる色合いや、実は赤くないかもしれないことや、切らなきゃどんな中身なのか分からないことの方が大切なんだと思わせてくれる。 周りの自然現象や、自分の感情を楽しく、空想的に捉えても良いのだなと、読んでいて楽しく感じました。...続きを読む 若くて瑞々しい感性に惹かれます。 ちかさんは早くに旅立ってしまったけど、遺された詩が彼女自身で、昔の女性の、今より役割や、らしさが重視されていただろう中で、本当の自分はこうなんだ、と生き生き語っているような詩が魅力的です。 最後の方に記載されている小文は、特にこれからも大事に読んでいきたいと思いました。 難しい時もあるけど、余白を感じる心を大事にできたら良いなと思いました。 景色、物事、感情など、身の回りにあるものを直線的に伸ばしてみたり、平行線や垂直線を引いて拡げて見るような感覚の世界。 そんな風に、少し視野を広げて読書したり、生きていけたらなぁ、と思います。 完成された世界よりも、たとえ破綻していても将来性を感じるものの方に魅力を感じるという考えに勇気づけられました。
左川ちかは、若くして亡くなった昭和初期の詩人。静と動、寒と暖を併せ持った言葉を生み出す人だと感じた。圧倒された。
斎藤真理子さんの『隣の国の人々』を読んで、詩を読む気分になって手に取った。 左川ちかさんは明治44年生まれで、25歳で病死した。 私は昔から詩が苦手で、1ページ目からやっぱりわからない。 でも、彼女が闘いながら、生を力一杯輝かせようと、美しい花を咲かせようとしていることは伝わる。彼女の強さも伝...続きを読むわる。 感情が迸り溢れるのを私もよく知っている。 私は弱いから絶望しかなかった。生きることが恐怖でしかなかった。 だから、彼女とは正反対だ。 でも、絵と詩は出口が違うだけで同じような気がする。内にある思いを私は絵にし、彼女は詩にした。 彼女の詩は美しい。 多分、リズムがいいのだと思う。それから、空や光や草木など自然の固有名詞が多いから美しさを感じ、色や明暗や匂いがあり、空気が流れるように動きがあって心地が良いのだと思う。 古い言葉遣いなのがいい。 レエスとかバルコンとか英語を使うのもハイカラ感があって、女性らしさが出ていて、いい。(解説で彼女が翻訳家と知った) 読みながら思ったことをメモしてここまで書いたのだけど、終盤の散文(エッセイ的なもの)を読んだら彼女も詩と絵画が似ていると書いていて、被ってしまった(苦笑) 被ったけどそのまま感想として記録しておく。 補遺の散文のおかげで、生きた人としての左川ちかが感じられる。どんな人だったのかがわかるのはとても良い。 解説もなかなか興味深かった。
島田龍・編の「全集」が書肆侃侃房で刊行され話題になった1年後、文庫で出た。 岩波文庫なので、印象としては「列聖した」感じがするが、多くの研究者のタマモノなのだろう。 本書、編者は川崎賢子で、津原泰水界隈で知った人。 前年の島田龍への言及が、解説に一切ない(定本は2010年森開社版、とのみ)ので、ギョ...続きを読むーカイ的になんかあるのかしらんと邪推。 読む前はぼやーっと、久坂葉子とか少女趣味とかかしらん、と早とちりしていた。 が、厳しく冷たい言葉遣いに、ガツンとやられた。 現代詩に疎いものだが、先日、「一九二〇年代モダニズム詩集 稲垣足穂と竹中郁その周辺」という本を読んだところ。 で、佐川ちかの詩ってモダニズムで言及されるらしいが、前記”神戸モダニズム”とは全っ然違うんだな、という感慨を抱いた。 知っている人には当然だろうが自分のためのメモなので。 たとえば「青い馬」の中盤にて、 「テラスの客等はあんなにシガレットを吸ふのでブリキのやうな空は貴婦人の頭髪の輪を落書きしてゐる」と、いかにも足穂っぽい語彙が散見されるが、前後は全然「っぽく」ない。 だいいち、冒頭が「馬は山をかけ下りて発狂した」だし、そもそも足穂っぽい語彙ってそこだけだし。 むしろ、吉本隆明や谷川俊太郎が、急に冷酷な言葉遣いをして唖然とさせらるときを、思い出した。 あるいは、吉田一穂の「母」における「あゝ麗はしい距離〔デスタンス〕、/ つねに遠のいてゆく風景……//悲しみの彼方、母への、/捜り打つ夜半の最弱音〔ピアニツシモ〕。」 のような、短い詩を連想。 北海道という共通項だけではなかろうが、 世界と、それを認識するために頼らなければならない言葉との関係。 言葉を削ぎ落したり、付け加えたり、を繰り返す中で、言葉の連なりが別の風景を見せたり、世界の持つ「説明以上の」意味がぽかっと浮かんできたり、するような言語活動そのものが、詩文に現れる瞬間を、動きの中でつかまえてみせた、というような。 同じく短めの詩ということで愛好するのは中井英夫だが、中井の紡いだ語彙は、佐川を前にすれば「甘々」だ。 山尾悠子が、集成だったか、手元にないので適当だが、デビュー当時を思い出した感想として、片仮名混じりで「私ハ少シモアナタタチトハ似テイナイ」と思っていた、という一文があったが、それを連想した。 以上、既知の名でしか整理しきれない、理解のステップにならない、すごいコトバの連なりが、いくつも集まっている本だ。 具体的には、「私は人に捨てられた」とか「私は生きてゐる。私は生きてゐると思つた」とか、今まで聞いたことがあるし、一文だけ抜き出せばあれこれ意味づけできそうな文が、その前に空前絶後の文が提示されているので、「すごい」としか、言えない。 あとは数行だが、「1.2.3.4.5.」とか、仮に暗記して暗誦しても、記憶者・暗誦者の所有物にはならない、はみでる言葉そのものだ。 @ 左川ちか(1911-36)は昭和初期のモダニズムを駆け抜けた女性詩人。日本近代詩の隠された奇蹟とされた。「緑」「植物」「太陽」「海」から喚起する奔放自在なイメージ、「生」「性」「死」をめぐる意識は、清新で全く独自の詩として結実した。爽快な言葉のキーセンテンスは、読む者を捉えて離さない。初の文庫化。 目次 詩篇 昆虫 朝のパン 私の写真 錆びたナイフ 黒い空気 雪が降つてゐる 緑の焰 出発 青い馬 緑色の透視 死の髯 季節のモノクル 青い球体 断片 ガラスの翼 循環路 幻の家 記憶の海 青い道 冬の肖像 白と黒 五月のリボン 神秘 蛋白石 夢 白く 緑 眠つてゐる The mad house 雲のかたち 風 雪の日 鐘のなる日 憑かれた街 波 雲のやうに 毎年土をかぶらせてね 目覚めるために 花咲ける大空に 雪の門 単純なる風景 春 舞踏場 暗い夏 星宿 むかしの花 他の一つのもの 背部 葡萄の汚点 雪線 プロムナアド 会話 遅いあつまり 天に昇る メーフラワー 暗い歌 果実の午後 花 午後 海泡石 夏のをはり Finale 素朴な月夜 前奏曲 季節 言葉 落魄 三原色の作文 海の花嫁 太陽の唄 山脈 海の天使 夏のこゑ 季節の夜 The street fair 1.2.3.4.5. 海の捨子 詩集のあとへ(百田宗治) 左川ちか詩集覚え書 左川ちか小伝 補遺 墜ちる海 樹魂 花 指間の花 菫の墓 烽火 夜の散歩 花苑の戯れ 風が吹いてゐる 季節 小文 Chamber music 魚の眼であつたならば 春・色・散歩 樹間をゆくとき 校異 解説(川崎賢子)
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