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イエ、家族、ホーム、ファミリーなど、多くの名が生まれた理由は、その言葉を用いないと表現できない現象や思いがあったためだ。「家庭」には、リベラル、保守、それぞれの理想が託されてきたが、一方でその理想と現実には様々な乖離があった。明治から昭和、平成、現代まで、それらをめぐる錯綜した議論をときぼぐしていくことで、近現代日本の新たな一面に光をあてる。
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Posted by ブクログ
福沢諭吉は一夫一婦制を推奨、皇室にも影響を及ぼした。 個人的には、日本の上流階級の間で一般的だった側室が廃れた背景が分かったのが本書から得た最大の収穫。天皇制は側室によって支えられてきた(キリスト教を信仰する欧州の王は、正妻以外の女性の子供に跡を継がせることが不可能)。側室を廃止してしまったことが、...続きを読む現在の跡継ぎ問題の最大の原因。
「家庭」とは何だろう。 本書でも繰り返し登場する、保守とリベラルの考える「家庭」像も違えば、 保守の中でも明治・大正・昭和・平成と時代によって考えられるものが異なっている。 つまり、「家庭」とは人や時代によって全く違う様相を示すのだ。 たとえば明治民法では、「家庭」を営むことが「個人主義的」であり...続きを読む、「夫婦中心の愛情」そのものが危険思想であった(76頁)。 現代社会では夫婦間の愛情を危険と見なす考え方は、ごく少数派であろう。 たった1世紀で、こうも考え方は変わるのかと思うと、当たり前や常識そのもののありようについても疑問が湧いてくる。 なお、本論と外れるが、出身校の創立者が本書内に登場したことにほんの少しの懐かしさを覚えた。 良い生徒とは思われていなかったので出身校とは距離を置いているが。 第4章以降は、現代史、特に高度経済成長期以降の記述となっている。 第5章では、理念と実態の乖離という内容で論じられ、 特に雇用形態、「雇用柔軟型」が高度経済成長期以降の家庭モデルを使用していることが指摘される。 確かに70年代においてはそれも真っ当な発想だったのだろう。 しかし今まさに生きる私たちにとっては、そのモデルはとっくに時代遅れである。 高度成長期時代をあり方を踏襲しようとする議員及び追従する意見とはとっくに社会は乖離しており、実効性に欠ける。 個人と家族は別個のものではなく、対立概念でもない。 私たちが考えるべきは、社会のありようを実際に即してみることであり、公正さと多様性を受容していくことに尽きるのだと思う。 男性だから女性だから、ではなく、互いを大切にし、助け合うという、家庭の持つ本来の意味を捉え直すことなのである。
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「家庭」の誕生 ――理想と現実の歴史を追う
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本多真隆
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