近代美学入門

近代美学入門

ビジネス・実用
1,287円 (税込)

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近代美学は、17~19世紀のヨーロッパで成立しました。美学と言っても、難しく考えることはありません。「風に舞う桜の花びらに思わず足を止め、この感情はなんだろうと考えたなら、そのときはもう美学を始めている」ことになるからです。本書は、芸術、芸術家、美、崇高、ピクチャレスクといった概念の変遷をたどり、その成立過程を明らかにしていきます。

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近代美学入門 のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    素晴らしい書物だと思います。以下読書メモです。

    レオナルドダヴィンチもバッハも、自己表現やオリジナリティを作品で目指してはいなかったはず それなら、それらを前提にして彼らの絵画や音楽を評価するのは不当?

    第一章 芸術ー技術から芸術へー
    古代から中世まで、アート(ギリシャ語のテクネー、ラテン語のアルス)という言葉は芸術ではなく技術や学問を意味していた。
    古代ギリシャにも芸術の概念はあったと主張される時は、テクネーという概念全般ではなく、その一部である「模倣の技術」という概念が根拠にされる。

    自由学芸(アルテース・リーベラーレース)(リベラルアーツ)・・・文法学、論理学、修辞学、算術、幾何学、音楽、天文学
    機械的技術(アルテース・メーカニクス)・・・ものを制作する技術
    ➡️文芸や音楽と絵画や彫刻や建築の間には大きな溝があった。

    古代から中世にかけては、主に倫理や神学の中で美が扱われた。
    美を本質にするものとして文芸や音楽や造形芸術を一つのグループで考えるという発想はなかった。

    新旧論争➡️文芸と音楽は、進歩の観点からすると他の学問とは異なる。

    ルネサンス時代の絵画論 詩画比較論が流行
    16世紀 レオナルドですら「視覚は五感の中で最も知的で価値がある。だから、絵画のほうが詩よりも優れている」と主張する必要があったほど詩と絵画の間に溝が残っていた。

    1563素描アカデミー(ディセーニョの技術のアカデミー)
    絵画と彫刻と建築の学校
    ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)

    17世紀フランス 王立絵画彫刻アカデミー(1648)
    建築アカデミー(1671)
    16c後半から17cにかけて、画家や彫刻家や建築家の所属がギルドから美術アカデミーへと移っていった
    ここで、絵画彫刻建築が機械的技術から離れる

    第二章 芸術家

    芸術家を独創的な天才とみなす思想が形成されていく目印は、もともと神に対して使われていた言葉が、芸術家という生身の人間に使われるようになっていく点にあった

    18c末〜19c中頃にかけて隆盛したロマン主義 表現理論を体現(模倣から表現へ)
    詩人のヴァーリス、ドラクロワ、ショパン

    ロランバルト『作者の死』 作品は読者の誕生によって初めて完成する

    第三章 美

    客観主義美学→主観主義美学 17-19cに大きな転換

    プロポーション理論の批判
    イギリスの政治家エドマンド・バーク(1729ー97)『崇高なものと美しいものについての我々の観念の起源に関する哲学的探究』
    哲学者デイヴィッド・ヒューム(1711ー76)「趣味の基準について」 美はものそのもののなかにある性質ではない。ただものを見つめる心のなかにのみ存在する

    カント 何かを純粋に美しいと感じることは、それが何であるか(概念)やなんのためにあるのか(目的)に基づいていない
    道徳的な行為に対する心地よい感情は、「その行為は人助けで、他者の人格や生命を尊重することに繋がるから」とはっきり説明することができる。そういう意味で、カントにとって道徳は感情ではなく理性によって、概念や目的に基づいて判断されるもの。
    「純粋な趣味判断(美的判断)は主観的普遍妥当性を要求する」「心から(純粋な)何かを美しいと思うこと(趣味判断または美的判断)は、概念に基づいておらず客観的ではないにもかかわらず(主観的)、いつでもどこでも誰にでも(普遍)当てはまる(妥当)こと(性)を要求する」
    カントの主観主義美学の功績は、美を道徳から切り離したことにある。
    カントは道徳だけでなく、美の条件とされることが多かった機能性や有用性からも美を解放し、美の自立性を強調した。
    ➡️19世紀後半 フランスとイギリスの文芸を中心に「唯美主義(耽美主義)」と呼ばれる潮流が生じる。美は真や善よりも上位にあり、美の追求こそが人生と芸術における唯一の目的である。シャルルボードレールやオスカーワイルド

    美の自律性は、芸術の自律性に直結する。近代においてだけは、芸術とは美しいものであり、美しいものの代表は芸術であった。

    第四章 崇高 
    崇高とは元々修辞学の用語だった。
    ➡️ボワローの再解釈 修辞学の理論に収まらない崇高という哲学的な概念が登場

    バーク『崇高と美の起源』のなかで、崇高と美を比較して考察し、崇高を美の一種ではなく美に対置されるものとして区別。崇高は美と並ぶ概念になった。
    (カントも影響を受けた)
    バークが身体や感情に注目したのに対して、カントは理性という精神的な側面に力点を置いた。

    18世紀に美と対になる概念として成立したが、19世紀中頃、美的範疇論が美学の中心的トピックになると、特権的なポジションではなくなる。しかし、20世紀後半から、政治や文明などを批判的に論じるためにも崇高が注目されるようになり、崇高の概念が再び脚光を浴びるようになった。

    20世紀以降の我々は、自分たちで生み出したものに逆に圧倒されるようになっている。

    第五章 ピクチャレスク
    風景画がヨーロッパで成立したのは17世紀
    クロードやローザ

    ギルピン ピクチャレスクを、「絵画において心地よさを与えるような、特定の種類の美」と定義
    美しいものが端正でなめらかさをもつのに対し、ピクチャレスクには粗さがある。
    美しいものは自然の状態で目を楽しませるのに対し、ピクチャレスクなものは絵画に描かれることができるような何らかの性質によって目を楽しませる

    ロマン主義の興隆で、ピクチャレスクは批判されるように。

    美的距離・・・現実に対する心の距離

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    2026年09月11日

    Posted by ブクログ

    「アート」は、ある「アーティスト個人」がその「内面から」溢れる「創造性」をもってつくり出した、「美」を内包する「作品」である。
    ⋯てな感じの今では当然視されるアート観は、近代西洋だけでしか当てはまらない特異なものであり、上の文における「」内の概念達は全て近代に生成してきたものである。

    という美学の知見をとてもやさしく教えてくれる本。
    感性や美を扱う哲学としての「美学」に入門するのに最適だった。

    人類学を勉強してると「美とかアートとかって近代西洋だけの考え方で〜」的な話はよく出てきて、なるほど近代西洋がむしろ例外なんだな、と納得して満足しちゃってた。
    が、「じゃあその近代西洋の考え方はどういう成り立ちなのか?」を本書で学べたことで、単に近代西洋的な概念を「当たり前じゃねえからな!」と切り捨てるだけではない問い直しの視角を養えたのがよかった。

    美術史の本も読んでいるところだが、美学を踏まえるとまた違った歴史の側面が学べそう。

    (本書で「崇高」を扱う中で「表象不可能性」の件があり、『ショアー』の話が出てきたが、「これランシエール研究の本でやったところだ!」と進研ゼミ現象を味わえた)

    0
    2026年04月11日

    Posted by ブクログ

    「ピクチャレスク」の概念について論じた第5章は、現代の「映え」ブームを考える上で、とても面白い読み物になっている。また、「崇高」という概念が含む様々な意味合いに興味をそそられた。読者の立場に配慮した懇切丁寧な構成もありがたい。良書である。

    0
    2024年11月26日

    Posted by ブクログ

    以前『美学への招待』を途中まで読み挫折してしまったが、こちらは読みやすかった。巻末の読書案内も興味ごとに紹介されており、次の段階への足掛かりも用意されている親切設計。
    ただ、冒頭で筆者がことわっているように西洋に重きを置いているため、より広く知るには他にも読む必要は出てくる内容。

    0
    2024年11月22日

    Posted by ブクログ

    「芸術」という概念が古代からどういう変遷で現代に至るかを分かりやすく解説している本。
    どの章も面白かったが、個人的には4章の「崇高」と5章の「ピクチャレスク」が特に興味深く感じた。分かりやすく読みやすい文章でスルスルと読めて読み終わるのが寂しくなるような一冊でした。

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    2024年11月04日

    Posted by ブクログ

    巷で話題の図書。美術や芸術という言葉にアレルギーがある私でしたが、「美学」は哲学的な学問だと冒頭での説明に急に親近感。

    近代西洋における美学の概論という内容で、各テーマごとに起源、成り立ち、現代における捉え方と丁寧に解説してくれており、初学者としてとてもとっつきやすい構成となっている。

    前半は古代、中世、近代と芸術や芸術家、美の意味することが異なっており、一部にはそれらの概念が17-18世紀ごろの近代までなかったという驚き。現代の私たちが当たり前と思っている感覚の成り立ちにおける趨勢を体感できる。

    特に感じ入った点。カントの「判断力批判」を引き合いに出し、個人的に疑問に感じていた美的感覚は個人的な感覚なのに、他人と共通で美しいと感じる作品やもの、風景があるのはどいうゆうことかな?という問いに一応の答えが与えられたことがよかったかな。(美は主観的であるにもかかわらず、普遍妥当性を要求するもの。)でもなんで味覚との対比で美が普遍性を要求するという位置付けなんだろう?美味しいものも他人と共有したい気持ちはありそう。。という疑問は払拭できず。

    後半では、「崇高」と「ピクチャレスク」といった自分には初めての概念を学ぶことができ、この学問への興味が掻き立てられた。読書案内も充実しており、活用してさらにこの学問への興味を深めていきたい。良い出会いでした。

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    2024年02月25日

    Posted by ブクログ

    1100

    井奥陽子(いおく・ようこ)
    日本学術振興会特別研究員。東京藝術大学美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)。二松學舍大学、実践女子大学、大阪大学などの非常勤講師、東京藝術大学教育研究助手を経て現職。専門は美学・思想史、とくにドイツ啓蒙主義美学。著書に『バウムガルテンの美学――図像と認識の修辞学』(慶應義塾大学出版会、2020年)、共著に樋笠勝士編『フィクションの哲学――詩学的虚構論と複数世界論のキアスム』(月曜社、2022年)がある。

    私はあるとき、茶道に造詣の深い友人に「和菓子は芸術だと思う」と言われました。話を聞いていると、それは次のような理由からでした。茶道教室で頂く和菓子には、いつもはっとさせられるような表現で、季節の移ろいが細やかに反映されている。絵画や彫刻に引けを取らないほどの美しさと熟練の技だと思う、と。

    文芸でも、18世紀に小説が誕生したことが転換点になりました。小説とは、荒唐無稽なファンタジーではなく、人間や社会の姿を現実に即して描いた物語のことを指します。18世紀は識字率が向上し、印刷産業が飛躍的に発達した時代でもあります。中産階級も読書に親しむようになり、数多くの本や雑誌が人々の手に渡るようになりました。小説はそうした新しい読者層に人気を博し、文芸の主要ジャンルにまで発展しました。

    みなさんは絵本を読むことがありますか。よい絵本は大人になってから読んでも、はっとさせられることがあるものです。

    美とは美しいものにあるのではなく、ものを美しいと感じる人のなかにある。

    このようにプラトンは、神は世界を創造するときに数学(とくに幾何学)を使ったと考えました。彼は「神は永遠に幾何学する」と言ったとも伝えられています。幾何学者としての神という考えはのちにキリスト教と融合し、中世には口絵4のような、コンパスを持った神の図像も生まれました。

    こうしたことから、多くの様々な部分を持っていながらも全体としては統一がとれたものこそが美しい、と考える思想があります。これを「多様の統一」と呼びます。

    レオナルドの名言として知られているものに、「私の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」というフレーズがあります。これも手稿に残された言葉で、原文では「数学者でない人は誰も私の作品の要素・原理を読みとらない」となっています。彼の卓越した作品は実は数学的に構築されているということです。その要素のひとつがこうしたプロポーション理論でした。私たちがその原理を垣間見ることができるのは、没後に手稿が編纂されたおかげです。

    歴史学者や文筆家としても活躍した哲学者デイヴィッド・ヒューム)です。

    美はものそのもののなかにある性質ではない。ただものを見つめる心のなかにのみ存在する。

    カント(図11)はイギリスの思想家と同じく、美については基本的に主観主義の立場をとります。私たちが何かを「美しい」と言うことができるのは、そのものが美を持っているからではありません。目の前のものに私が美しいと感じている事実があるからです。心地よい感情が生じている、そのときの心の状態こそが美の根拠です。

    では、道徳はどうでしょうか。たしかに道徳的によい行為を見聞きしたときも、立派だ、素晴らしい、尊敬に値する、といった心地よい感情が生じます。しかしそのように感じる理由は「その行為は人助けで、他者の人格や生命を尊重することにつながるから」など、はっきりと言うことができます。

    道徳は個々人の感じ方を超えたところにある、客観的なものです。ある人が人助けをしたことを立派だと思うのは、誰かひとりではなくあらゆる人に当てはまる、つまり普遍的なものです。

    「このワインは美味しい」と感じることは、完全に私だけのもの、主観的なものです。あらゆる人に当てはまることではなく、普遍的ではありません。正確を期するなら「このワインは私にとって美味しい」と言わねばなりません。

    たとえば時計は、部品に不備がなく正確に時刻を示すものであれば、あるいは時刻を知るのに役立つものであれば美しい、ということにはなりません。実際、壊れた時計に美を感じることもありえます。同じように、廃墟となった教会はもはや教会として使用することはできませんが、カントの立場にたてば、廃墟の美を論じる可能性が開かれます。

    美が自律的であるなら、何にでも美を見いだしてよいことになります。廃墟のようにそのものとしては不完全なもの、道徳や宗教や社会に反するようなもの、倒錯的なもの、醜いと言えるようなものでも、その人が美しいと感じさえすれば美しいものになります(カント自身は、他人の意見に流されず自分の感じ方に従うという意味で、趣味に対して「自律」という言葉を使っています)。

    美や芸術に携わる人は、どのような場面であっても政治や道徳に無関心でいてよいのでしょうか。美を理由にすれば何でも正当化されるのでしょうか。意見が分かれるところかと思いますが、私はそうした態度は是認しがたいと感じます。

    美に耽し、美だけを追い求めることは、ときに取り返しのつかない破滅を招くことになります。19世紀的な価値観を前提にして美を素朴に称揚することで、他者の生命や尊厳を脅かすようなことはあってはなりません。そのことを私たちはリーフェンシュタールの例から学ぶべきではないでしょうか。

    私は美しいものが好きです。哲学が精神の薬なら、私にとって美は心の薬です。美を感じてこそ、楽しいことばかりでない日々も生きやすくなると感じます。しかし美の力は大きく、ときに毒にもなります。だからこそ、美の自律性は近代に確立されたものであり、その価値観が普遍的ではないことを意識しておくのがよいのではないでしょうか。

    山に入ると帰ってこられなくなる、というのが珍しくない時代を想像してください。そうした時代に山に登るのは、やむをえない理由があるときだけです。通商や戦争などのために、山を越えなければ訪れられない場所へ行く必要があるときや、鉱物や薬草を採取するとき、あるいは修道士が俗世を離れて生活するときなどです。

    ヨーロッパで山を神聖視する文化の代表としては、古代ギリシャと旧約聖書の世界があります。 ギリシャ神話では、主要な12人の神々はオリュンポス山に住むとされ、詩や音楽の女神たちはヘリコン山やパルナッソス山に祀られました。旧約聖書では、シナイ山でモーセが十戒を授けられ、アララト山にノアの方舟が漂着したと伝えられています(図2)。

    他方で、山は邪悪で陰鬱な場所とみなされることもあります。 たとえば、スイスにピラトゥス山という険しい山があります。その山頂付近の湖には、イエス・キリストを処刑したローマ総督ピラトの霊が出没すると伝えられ、16世紀まで公式に立ち入りが禁止されていました。この山には竜にまつわる伝承も残っています。悪霊や魔物の巣窟として山が語られる伝説は、洋の東西を問わず枚挙にいとまがないでしょう。 山に対する畏怖の念は、このようにポジティヴなイメージとネガティヴなイメージの両方を生みだしました。

    山ほど醜いものはない、とバーネットは言います。ところが山について述べる箇所の冒頭では、海や山ほど眺めていて喜びを感じるものは広大な空の他にはない、とも書いているのです。 彼は続けます。こうしたものには荘厳な雰囲気があり、私たちは思わず神に思いを馳せる。人間が把握するにはあまりに大きくて無限を感じさせるものは、私たちをその過剰なまでの巨大さで圧倒し、心は「ある種の心地よい茫然自失と賛嘆」に陥る、と。彼はすぐさま、とはいえ山は世界の廃墟であって、その壮大さに感嘆するべきではない、と付け加えます。

    彼らのような人々を経て、崇高の概念が自然についても当てはめられるようになると、文芸では強調されていなかった特徴が前面に出てきます。彼らがアルプスで感じたような無秩序さや醜さです。そしてそれにもかかわらず心が高揚するという、矛盾を孕んだ感情です。

    美の概念についても、同じ頃に転換が起こりました。美しいものとは均整のとれたものであり、よって美はものがもつ性質であるという思想が支配的だったところ、美はそれを感じる人の心のなかにあるという思想が優勢になったのです。このことは美が道徳や有用性などから独立した、自律した価値とみなされるようになることを促しました。

    ・佐々木健一『美学への招待 増補版』中公新書
    2019美学の入門書と言えば、この1冊。国際美学連盟会長などを歴任した著者が、センス、コピー、スポーツなど身近な事柄を美学的に掘り下げる。最近の研究動向を踏まえた展望も語られており、幅広い人におすすめ。

    0
    2024年02月20日

    Posted by ブクログ

    素晴らしい一冊。興味のあった美学を知りたいと購入。美と崇高とピクチャレスク。分かりやすいし、これからの美術鑑賞にも役立つ内容。
    カントも学んでみたくなった。

    0
    2023年12月29日

    Posted by ブクログ

    現代の人が考える「美」や「芸術」「芸術家」への考えが過去より連綿と紡がれてきたものではなく、当時の人々によって再考され、新しく生み出されてきた、比較的新しい概念であることを初めて知った。

    美学という初めて触れるジャンルであったが、歴史通じて、時系列で記述されながら、ところどころでその時代ごとの繋がりが強調されていた。

    「美」への接し方や考え方を再考するキッカケになり、読んでいてとても面白かった。

    0
    2023年10月22日

    Posted by ブクログ

    「美しい」とは何か、哲学的に考えたくなり読む。「美しい」の考え方が歴史的に変遷する状況を学ばせてもらう。哲学的に一言で「美しい」と語るのは難しいが、美は技術で崇高で主観だ。誤読とも思うが、この言葉をもとに、考え方を深めていきたい。

    0
    2023年10月21日

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