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気楽な随筆に見えた雑誌連載『考へるヒント』は、実は徳川思想史探究の跳躍板だった。モーツァルトやベルクソンを論じていた批評家が、伊藤仁斎や荻生徂徠らに傾倒したのはなぜか。その過程で突き当たった「歴史の穴」とは。ベストセラーを読み直し、人間の知の根源をも探る試みであったことを明らかにする、超刺激的論考。
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Posted by ブクログ
小林秀雄の作品はよく読む、同じものを何度も読むことがある。彼の思考を尽くした文章は鋭く本質を突き鮮やかな表現で脳に沁みる。感性・洞察・表現に卓越した小林の作品に政治思想史学者・苅部直がどう対峙するのか興味を持って読み始める。 小林をよく知る著名人の引用が多く、小林の論理なのか引用者のものか、はたまた...続きを読む苅部の理解なのか、迷う書き方である。評論家を対象にする論考の難しさもあるが作者の思索の踏み込みが甘く、練り不足での入稿の故かもしれない。 以下、論点を列挙する。 作者は小林秀雄の評論とりわけ『考えるヒント』が1950〜60年頃から大学受験の国語の試験によく出るのは何故かという問題意識から始める。 並行して、彼の一連の作品毎の思考をその内容や背景をなぞりながら分析する。 「近代批評の創始者」小林は言う、日本は西欧合理主義の導入にあたって「古代日本人以来の日本的自然」の扱い方を誤り、近代の悪徳を明瞭に自覚していないことで戦中は西洋文化排撃、戦後は西洋近代へのいたずらな崇拝に逆転するという思潮を生んだ、と。 彼の『考えるヒント』は身近な題材を糸口にして、さまざまな角度から逆説の論理が展開された作品であり、受験生の頭をことさらに悩ませることを通じてその読解力を試すことができるのでよく取り上げられた、とも。 『考えるヒント』は初回と最終回が伊藤仁斎・荻生徂徠をめぐる論考であったことに現れているように、「忠臣蔵」からあとの連載は徳川時代の思想、特に儒学について論じたものによってほとんど占められている。 仁斎は『論語古義』を最上至極宇宙第一の書とし共感や回顧の情を通じて『論語』という古典の意味を直覚した。小林も共感して、古典の精読・愛読を通して仁斎・荻生徂徠の古学・古文辞学から本居宣長の「ものの哀れ論」の国学へと思考を進める。徂徠の訓読を排して漢文に口承の日本語の表現をまじえた『古事記』の文章が重要とし、この考えを宣長は引継いで『古事記伝』を描き、最終的に『源氏物語』に辿り着く。口承の日本土着語が大陸由来の漢字を取り込んで日本文とする。折口信夫もそのことを「やっぱり源氏ですね」という別れ際の一言で小林に伝える。 小林はこれらの徳川時代の学者の思想の流れを時間をかけて解明し、大作『本居宣長』にまとめる。 寺田透の『考えるヒント』への酷評は面白い。 「書かれたことより著者のひとびとの信仰にその存立の基礎を置く文のようなもの」「結局何を言はうとしているのかわからない」「結局著者は考える人というより理論的な言葉をつかふ情念の人だという感じが深い」 小林は、物的な対象を計量的な方法で分析する数学的言語へ固執する近代科学の思考方法が現代人の思想を支配している動向に対して批判をする。科学の思考が法則性によってきびしく縛られているのに対して、人間の常識が直面する一回性・多様性の「熟慮」を重視することを強調する。 『モーツァルト』で、美しい音楽を聴いていると感じるときそれは客観的に測定した音を受容しているのではなく、外界に響いているように聞こえる音は実は自分の内面において精神が創作している、という。 感じるのは「かなしさ」(tritesse)であり、「悲」「哀」「愛」ではなく「可奈之」もしくは「可奈思」という万葉仮名(和語)でありチャイナ由来の漢語ではない、ともいう。この小林の評論を捉えて川上徹太郎は「文章の力を純粋に働かせてそれでもって音の流れを捉えることがこれほどまで可能なのか」という。 同時に、自分は『ゴッホの手紙』を思い出す。美の究極を求めるゴッホの狂気に同調する小林の激しい文章をである。ゴッホもテオも死んで話が閉じられて、ほっとしたことを・・・。 丸山真男は『日本の思想』で小林の戦争対応について「民衆に追随し、指導者の決断を正当化した」とし彼を人情・主情主義として批判した。これに対して小林は文学は「物のあわれを知り」「心が細やかで豊かに働いている生活経験の世界」から得た経験や直感や共感を言葉にすることが仕事である、として「合法則的な客観的事実の世界」を想定し分析する態度に対する、また科学が支配する「近代の常識」への批判を繰り返すことで丸山に応答した。また「僕は無智だから反省なぞしない。利巧なな奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と啖呵を切る。小林は「時局に便乗し聖戦の意義を高らかに謳いあげる」ことは最後まで拒んだのも事実である。 歴史を直線の進歩の過程と見なし「歴史的必然」「歴史的段階」を説く傾向に対して批判し「過去のその時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れては駄目だ」という。 明治維新を語るとき、平田篤胤の日本主義、水戸学、勤王の志士などの王政復古の側面でなく、仁斎・徂徠・宣長の流れを受けて、西周や福澤諭吉といった明治初期の知識人たちが西洋の思想や学問を深く理解し日本に普及させた社会の西洋化・近代化の運動のこととみる。また福澤は洋学者たちについて、儒学から引き継いだ悪習から脱することができず、政府の官職を得ようと奔走する傾向を批判し知識人の「私立」を提唱した、とし福澤の本当の偉さは旧文明と新文明の衝突を見つめながら新たな「文明の論」を「始造」しようとした試みにある、ともいう。 小林は政府の委員になるが、戦後高度成長の自負として官学がふりまく「歴史の過剰」に自ら加担させられるように思い身を引き、徳川時代と近代を通観する思想史を語る営みから撤退する。 言葉の微妙な働きへの注目、美をめぐる柔軟な感覚、形式論理とは異なる常識と判断力の涵養、歴史的に物事を理解する方法とそれに加えて学問における対話の重要性、結論を得ることをを目標としない開かれた自由な対話を少人数での会合で続けることが重要だ、という。 真心のありようは智・愚も善・悪も、人によって多様なので、天下に暮らす人々に二人として同じ人はいない・・・表面的な「まごころ」の奥にあって感情の動きを支えているのが「こころ」であり、さらに奥に進んで「たましい」「たま」に出会う、そしてそこには人間を超越した神の加護が自分の魂にも密かに及んでいることを自覚する、と小林は『本居宣長』で宣長から読み取ったという。 小林秀雄の評論を辿ってその意味と経緯(謎?)を分析する苅部の試みは一応達成されたが、網羅性に傾き各々の評論に対する掘り下げが浅い印象は否めない。作者自身が強調したいテーマや意志が見えない。 小林の個別具体的な人や事象の突き詰めから普遍的な本質を生み出す思考に対して、初めから政治や法律の抽象された普遍概念を扱う苅部の思考とのズレが最後まで交差できなかった感じもする。 小林秀雄の左にも右にも偏することなく、時々の思潮に重い錘を垂らして、ひたすら己の内側に向けて思索したこと、その個々の課題に迫る迫力と深さが真骨頂であることを改めて確認できた。
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小林秀雄の謎を解く―『考へるヒント』の精神史―(新潮選書)
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