あらすじ
「おち〇ちん…挿れてくださいぃ…」無理矢理言わされた少女の弱々しい言葉が車内に薄く響く…
――少女の行方不明事件をネタにSNSで日々の鬱憤を晴らす冴えない大学生、笹原。
ある日『るっぴ』という男からオフ会に誘われるが、迎えに来た車の中にはその『行方不明の少女』がいて…!?
どんなに事件が起こっても、自分には関係ない世界の話だと思っていた…
しかし目の前には夢にまで見た小さく柔らかいアソコ…
理性と欲望の狭間で葛藤しながら、そっと指で広げて、ちゅぷちゅぷと舌で愛撫すると、少女は声を押し殺して小さい喘ぎ声をあげはじめた…
※3巻・4巻は、描かれることのなかった幻の第2話~最終回までの構想をまとめた『完全読本』を収録!
※強〇は犯罪です。絶対に手口を模倣しないでください。
感情タグBEST3
匿名
エロティシズムの最深部へ…。
三島由紀夫が晩年に、仏の思想家であるG・バタイユに傾倒していて、「死・エロティシズム・美は、1本の線で繋がる」と話していた。
そして、「…バタイユってのはつまり、もうこの世で最も残酷なものの極致の向こう側にね、超絶的なものを見つけたっていうことを一所懸命やった人ですよ。それと、バタイユはそういうものを通して、何というか、生命の全体性を回復する以外に、今の人間は救われないんだと、いう考えを持っているわけですね…」と語っていた。
「…死とエロティシズムの一番深い類縁関係。先ず禁忌ってものがあり、それからの解放された日常がある、日本の民俗学でいうハレとケってものがあってね。で、そういうものは、ハレが無ければケも無いしケも無ければハレも無いのに、現代生活ってのは相対主義の中で営まれるから、ケだけに成っちゃった。日常性だけに成っちゃった。だからそこから超絶的なものは出てこない。で、超絶的なものが無い限り、エロティシズムってものは存在しないんだと。エロティシズムってのは、超絶的なものに触れる時に初めて真価を発揮するんだと考える訳でしょ。私の美と云うものも、それはそういうものと関係があるんですね…」
長い引用で恐縮だが、最初に書いた、死・エロティシズム・美は1本の線に繋がると云う言葉が、何となくお分かりいただけたかと思う。
この漫画は、そうしたエロティシズムの深部から、生命の全体性の回復へ繋がろうと考えるに至った主人公の物語として捉えるのならば、相対主義的な、世俗的な日常生活やモラルとは懸け離れた一つの「お話」として充分に成立し得るし、「世間一般の常識的な倫理基準」等とは一切無関係に、発表されて良いと思う。
しかし「模倣犯罪が怖い」とか「現実世界と混同する人間が出て来るとも限らない」等の思想性の無い浅薄な批判で、こうした作品を事実上の「発行中止」へ追い込むのは、「漫画」と云う表現の世界で「エロティシズムの深淵へ繋がろうとする試み」を断ち切ってしまうのではと、逆に危惧の念を憶えた。
漫画の表現は現在、「人を殺す」方面に於いてはかなり大幅に許容されてきたが、こと「エロティシズム」に於いては性犯罪に怯えるが余り、直ぐに「世俗的な倫理」で潰すやり方が今も続いている。これでは逆に「実体験として探求する者」が現れる可能性を広げてしまうのでは、と懸念する思いだ。
ジャケ買い
販売されている4巻まで購入したけど漫画としては2巻までで3巻以降は単なる読み物のため購入しても楽しめませんでした。
内容も犯罪物なので好き嫌いはわかれるかな。