「君主論」は、10年前、中央公論社の「世界の名著」で、「政略論」と一緒に読んだのだが、あまり記憶に残っていない。残っているのは、なんだか曖昧模糊として、読みにくい文章だなということぐらい。
いま考えれば、読みにくいのは理由があって、論旨を明確に伝えることが目的の学術論文を書いたのではなくて、君主に
...続きを読む自分の持っている知識を伝え、自分を使ってもらおうと ― 早い話が猟官用プレゼンテーションとして書いたので、そこには当然相手のメディチ家の殿様に対する丁寧な物言いが必要になるので、曲がりくねった、修辞的な表現になるのもやむおえない。また、こういう表現方法が当時の流行でもあっただろうし、さらにその頃はこういうミもフタもないことをアケスケに言うのが憚られる社会背景もあっただろう。(なにしろ作品が書かれたのが1513年、ルターの宗教改革がはじまる1517年より前なのである)だからこそこの著作が長い間排撃され続けたわけである。今となっては、常識的な統治論、統治論、外交論であるが。
そういう大人の書き方をしているので、もってまわった言い方をしているけれでも、それでもあちこちに過激な言葉が出てきて、それなりに面白い。
「(国を征服し維持するためには)そこを治めていた君主の血統を根こそぎなくしてしまうことが肝要である。」(P17-18)
「注意しなければならないのは、人間はなでてもらうか叩きつぶされるか、そのどちらかでなければならぬものだということである。けだしひとは些細な危害の腹いせこそすれ、ゆゆしき危難には手も足も出せないものだからである。ゆえに人に危害を加えるにしても、とうていその腹いせもできないようなことをしなければならない」(p20)
「(領民に対し)ひどい目にあわせるなら一気にすべてをやっつけると、感じも浅くしたがって大して手向かいもしない。ところが恩を施すには小出しにするに限る、そうすれば余計にありがたがられるというわけだからである。」(p77)
「どんな場合にでも積善を自分の家業にしたいなどと望む者は、あまたのよからぬ連中に取り巻かれて身を滅ぼすにはうってつけの人間……さればこそ君主として必要なのは、その身を保ちたいと思えばよからぬ人間にもなれる術を会得しておき、必要に応じてこれを使ったり使わずに済ませたりすることである。」(p131)
などなど。
有名な箇所はこれ以外にもたくさんあるが、それは割愛。
この角川文庫版は、他の翻訳書では勝手な官庁名、役職名を用いていることを批判し、鎌倉時代の官名を用いるということをやっているのだが、そこになんの意味があるのか分からない。まわりくどいのがますますわかりにくくなっただけだと思う。奥付を見ると昭和42年頃の訳らしいので、だから古色蒼然としているのだろう.
「君主論」を読むなら、もっと現代的でわかりやすい訳で読んだ方がよい。その方が作品のエッセンスがよく伝わると思う。