現代において、いわゆる"normal"とされているものが、何故"normal"と見做されるのか、見做されるに至ったのか、そもそも"normal"とは? 歴史を遡り、語の定義と変化を追いかける。
結局のところ、今世における"normal"、何かしらの「基準」とされるものは、WEIRD=Western, Educated, Industrialized, Rich, Democraticなシスジェンダー男性によって、時に作為的に恣意的にかたち作られたものにすぎない。バイアスかかりまくりの"normal"に縛られる必要はあるのか。
日本はそもそもWEIRDの側には属せないが、「日本」というコミュニティの中で唱えられる「普通」が存在する。どこかの「普通」はどこかの「異常」、誰かの「異常」は誰かの「普通」、ということなのかもしれない。身を置いている環境で「普通」とされる状態に固執することの無為性について考える。