焚殺 とは、これまたすごい文言だ。秦の始皇帝の焚書坑儒がぱっと浮かぶ。いわゆる焼死であるのに、この文言を使ったことには、その遺体の凄まじさが起因している。
1973年6月24日、アメリカ南部ニューオーリンズのゲイ・クラブ アップステアーズ・ラウンジで放火事件が発生し、32人が命を落とした。これはアメリカ史上、同性愛者を標的とした最大の大量殺人事件である。
アップステアーズ・ラウンジは、LGBTQ+の人々が安心して集える数少ない場所であり、当時同性愛者を受け入れた唯一の教会であるメトロポリタン・コミュニティ教会(MCC)の活動拠点でもあった。事件当夜、いつものように談笑する客たちの下階で火が放たれ、炎は瞬く間に店内を包んだ。
火事が拡大した原因については、燃えやすい設備であったり、窓が逃げられない鉄格子になっていたなど、店自体の不備も確かにある。
問題は、事件の容疑者について目撃者がかなり詳しい事を言っているのに、警察が複数回取り逃がしている点だ。もちろん加害者が逮捕されたとしても、失われた命は戻らない。しかし、通常通りの捜査を行い、裁判にかけていれば、法の裁きがどんな人の前においても平等であることを示せたはずだ。加害者はゲイフォビアというわけではなかったし、地元の有力者やその関係者でもない。警察側に逮捕する気があれば、機会はあった。にもかかわらず、やらなかった、と言ったほうが正しい。これでは、被害者は浮かばれない。被害者は、軽んじられた、いや、差別されたのである。
ゲイ・クラブで起きたという理由だけで、地元メディアは事件をほとんど報じず、多くの宗教団体や公的機関も、犠牲者を悼む姿勢を示さなかった。遺族から遺体の引き取りを拒否されたり、教会から葬儀を断られたりした犠牲者もいた。遺族の多くは「家族の恥」として沈黙を選び、犠牲者たちは匿名のまま扱われ、扇情的な部分ばかり報じられて、事件はやがて人々の記憶から消えていった。生存者の中には、クローズド・ゲイであったのに、事件によって自身の性的嗜好が明るみに出て、家族と疎遠になった者もいる。
少数派であったが、記憶を語り継ごうとする人々が、この事件の風化を防いだ。25年後の追悼式には、事件当時は沈黙していた関係者たちが出席した。2013年には、ニューオーリンズ市議会が事件とその後の冷淡な対応に対して公式な謝罪決議を可決。
NHKドラマで放送されている、フランスとベルギーにわたる犯罪事件でも、被害者となった女性が弱い立場に置かれて、容疑者がなかなか捕まらなかった。捕まえる捜査陣と社会に、被害者に対する差別意識があり、その事が二重に被害者を苦しめている。罪は罪であり、罰を受けるべきは、罪を犯した者のみである。
エドガー賞 犯罪実話部門(2019年度)受賞。ラムダ文学賞LGBTQ+新人作家賞(2019年度)受賞。