土橋茂樹の作品一覧
「土橋茂樹」の「三位一体―父・子・聖霊をめぐるキリスト教の謎」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「土橋茂樹」の「三位一体―父・子・聖霊をめぐるキリスト教の謎」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
難しかったです。
これで新書?入門編?と言うレベルです。
キリスト教徒なので三位一体=父・子・聖霊と言う事はもちろん分かりますが、改めてその成り立ちや、そもそも三位一体って何?と聞かれて、それを明確に説明できないなと思い、本書を手に取りました。
疑問に答えてくれるかな?と期待して読み始めたのですが、成り立ちの流れについてはどうにかついて来れたと言う感じですが、成り立ちの背景や理由となるともうダメでした。
政治などのその時々の状況に、哲学的な考えを取り入れながら、人間関係をスパイスにして、ある程度の期間を経て三位一体と言う考えをブラッシュアップしていった程度の理解です。
公会議の舞台となるトルコってイスラム教の国だよね?当時のギリシャ人って肩出してカーテンみたいな服を着ている人の事?東方ローマ帝国の人って今の何人?など、そもそものお話の前提となる歴史も哲学も知識も全然足りない感じで、まだまだ勉強しなければならないと感じました。
Posted by ブクログ
キリスト教における三位一体教義をその変遷を辿りながら歴史を追う本。 おそらくこれでも入門書に近い本なのだろうが、難解な哲学用語、似たような人名が散見されるので、初学者には苦しい難易度。でも読めなくはない。
意外だったのは三位一体教義がキリスト教分裂前に確立。しかも論争の舞台となったのがほぼ東方だという点。西方の関わりは薄いらしい。それでも何故西方教会で受容され、今でも主要な祈りとしてミサで唱えられているのか。私は信者ではないが、不思議な感覚に陥る。
その点について本書では触れられていないので、今度はそちらを勉強したい。キリスト教、学べば学ぶほど奥が深い。
Posted by ブクログ
刊行後しばらく話題になっていながらも、本書を読むのには時間がかかった。本書をぱっと手に取った時に、いったい誰のために書かれた本なのかいまいち掴み所がなかったというのが正直な実感である。ただ、通読してみて思うことは、本書が三位一体研究の現在を垣間見させてくれる本であるということである。三位一体論は神学的にも重要であり、著名な司祭や研究者たちの著作を通して三位一体論の考えに触れてきた人も多いであろう。しかし実際にそれが何かと問われると、答えに窮するということが多いのではないだろうか。そうした状況に本書は分かりやすい解答を与える本であるかと思いきや、そうではない。むしろ教義論争史の細部を実際にテクストを読み解いていくことを通して何が問題であったのかを明らかにしていくものである。掴み所の無さはまさにここにあった。
本書が書かれるべくして書かれたことの理由が明らかになるのは中盤以降である。従来の図式的・教科書的三位一体理解ではなく、論争の次第を一つ一つ解きほぐしていくより理解を深めることはできないという現状の報告を経て初めて、事の次第が明らかになるのである(129、168頁参照)。具体的な論の展開は本書そのものを読んでもらうことが必要であろうが、想定される読者がおそらく読みたいと思う教理史は本書終盤の239頁から249頁までのカルケドン公会議に至る記述に見られる。そこにおいてようやくキリスト論で実際に論じられていることがどのような変遷を経てどのような結論に至ったのかが総括される。しかし再三本書で論じられているのは、その実際の論争の経緯の中で何が具体的に積み重ねられた議論であったかなのである。私たちは教理史の歴史を学んで結論を確かめるだけでなく、彼らが生死をかけて問い続けた問いに実際に取り組むことを通して、教義論争が机上の空論や概念の遊戯ではなく、キリストが如何なる存在であるかを巡る切実な問いの積み重ねであることを理解できるのである。
本書の叙述を通して教父思想の奥深くへと案内され、中でも中世神学の核心に位置するポワティエのヒラリウスの記述は、そこに広がる沃野をうかがわせるものである。三位一体の教義のある一つの雛形をナジアンゾスのグレゴリオスに見出し、その華やかな展開をアウグスティヌスの思想の内に描き出す著者の記述は、多くの人が避けて通ろうとする複雑な問題へ近づく勇気を与えてくれるものである。結語に述べられているように本書は読者の一人ひとりにとって見取り図を提供してくれるものなのである。
Posted by ブクログ
正直、書物の本作だけ読めばなかなか骨が折れるし、著者本人が何べんかエクスキューズしているものの、書物への依拠というか偏りは否定できず、良書とは言えないのかなと思わなくもなく。この辺りはキリスト教神学も何となく日本の考古学に似ているような。
ただ、ギリシアにまで遡り、延々と議論を続ける本件、キリスト教世界であるヨーロッパの思考回路の大元を示すものと改めて感じる次第。
この手の議論は少なくとも日本には存在しない。もしかするとアメリカにもないのかもしれない。
良いか悪いかは別にして、現在、古き良き云々と宣う方々の思考にはまったく垣間見えない視座。
個人的には謙虚に学ぶべきかなと思いますけれども。