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「カール・ポパー」の「開かれた社会とその敵」「出発点 私の知的発展」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「カール・ポパー」の「開かれた社会とその敵」「出発点 私の知的発展」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
この本では主にプラトン、ヘーゲル、マルクスが批判されていました。この3人はポパーが本書を執筆していた時代にはすでに権威と化していた。ポパーはあらゆる情報源に権威はない、どのような情報源だろうと何ものも批判を免れないと言っている(事実、基準そして真理。相対主義へのさらなる批判)。これは彼がリスペクトするカント譲りのもので、カントこそはキリスト教の権威にも臆さず、黄金律と呼ばれていたまやかしの道徳を批判した。ということはプラトン、ヘーゲル、マルクスがどのような権威だろうと、批判すべき箇所があるなら批判すべきだし、彼らだって批判を免れない。そういったわけでポパーは果敢に批判をした。何で彼がこんなに批判(反駁)を重要視するかというと、批判こそが体系的に学ぶことのでき、人間を進歩させる唯一の道だから。この考えには人間というのは途方もない無知だ、というソクラテスの洞察が下敷きになっている。これは本書では扱われない3つの世界論の話になってしまうけど、要するに全人間の全知識の世界3(あらゆる芸術作品やあらゆる著作)というものが客観的にあり、個々の人間はその膨大な知識のほんのわずかを知っているにすぎず、他の知識については途方もなく無知であるという考え。どれだけ知識人ぶっていようと人間である以上間違える、この間違いを訂正したときようやく人間は前進できるという。このポパーの3つの世界論からすると、全てを知っている神のごとき哲学者、歴史を動かす法則を見出したエリート革命家などというカリスマ的指導者像は非常に危ういものだということです。彼らは批判を受け付けない、批判が建設的だとも思っていない。が人間である以上彼らも間違える。しかしその間違いは訂正することができない。彼らは巨大な権力を有してるのでその間違いによる被害も甚大なものになる…。
さてしかし、ちょっと私達の時代を見てみると、私達の時代にもあの手この手で批判を逃れようとする人達あいることに気付く。最近のトレンドはエビデンスというものを提示して相手を黙らせるやり方、ファクトチェッカーなるもので人々をひれ伏させるやり方、相手を黙らせる権力を持っているなら、批判者の逮捕や抹殺などの実力行使は昔から相変わらずいる。肯定的証拠をいくら積み上げても理論の正当性は証明できないと気づいたポパーは、批判に耐えられるものが暫定的に真実になっているに過ぎないとした。エビデンスやファクトチェッカーを持ち出せばそれで有無を言わさず決着がつくわけではないということです。というかそういう有無を言わさない状態こそをポパーは批判し、有無を言わさないような人間こそ信用ならないとした(いかなる情報源にも権威はない)。エビデンスやファクトチェッカーだって当然批判に晒されなければならない。人間にはゴールはない、真理にたどり着けないかもしれないが、少しずつでも近づいていくことが出来る。エビデンスを一つ提出すればそこで歩みが止まるわけじゃない。。ポパーは一撃で物事を解明してくれる権威ある情報源の存在を否定する。
事実、基準そして真理。相対主義へのさらなる批判は付録なんですけど、実質第26章と言っても過言ではない。それぐらい重要かつ面白い。
個人的にポパーのヒストリシズム批判で面白かったのは「ヒストリシズムの倫理」
本当に当たる未来予知なんてものがあったら、人間の社会はどうなるのか、また人々の生き方はどうなるのか、と分析したこと。プラトン、ヘーゲル、マルクスは歴史には必然的な進行があるとするヒストリシストとして批判されたが、皆未来予知を行い結構自信満々に「こうなる!」と世間に告げた。上記の通り絶対的全体は人間には把握・認識できないとするカントをリスペクトし、人間は途方もない無知でいつ間違えるか分からないと理解するポパーは、絶対的全体を認識しこの世界にはこれこれの法則がありそのリズムで動いていくとし、衰退するだの崩壊するだの楽園が来るだの大げさなことを自信満々に説くこれらの人々の人々のいかがわしさを見抜きにせ予言者と名付けた。ポパーのこの考えによると、人間は科学的理論に対して自信満々にはなれないという。人間は必ず間違えるし、どのような理論も仮説の域を出ず、いつ反駁されて覆るか分からないもの。自分の理論はいつか反駁されて古くなってしまうと思えば自信満々にはなれない。むしろ間違いを指摘してくれる他人を尊重するようになるが、必ずこうなる!というような言明は、自分の知的才能は他人より優っているという傲慢な信念で、他人を尊重もしないだろう。こういう人物は自分が無傷でいられるように、往々にして批判者を黙らせる。
マルクスはプロレタリアが世界的に団結し社会革命が起こるのは必然だと説く。革命が必然であるなら、その革命を一日でも早く到来させることこそが正義という社会になる。その間に嘘をついて人を騙したり、暴力を使用したり、殺人を犯したりしても、革命が到来し成功すれば全て許される、その間のことは正義だったことになる。別な言い方をすると、来るべき未来の道徳を受け入れよ、また未来を創るためにきわめて有益な行動をしている人々の道徳体系を受け入れよ、ということになる。ヒストリシズムの道徳論は「未来の権力こそ正義」であると主張する。確実に当たる予言というものがもしあったら「成功を崇拝し未来の権力者に服従せよ」という独裁者に非常に都合の良い理論となる。
なんかおかしい。500年後の未来が分かると仮定しても、来るべき未来の道徳を受け入れよ、未来を創るためにきわめて有益な行動をしている人々の道徳体系を受け入れよなんて原則を私達が採用しなければいけない決まりはない。道徳体系の選択にあたって助けとなるような予言的社会学は存在しない。それは私達が決定することであって、その権利を歴史や未来に譲り渡すことはできない。この点でヒストリシズムの道徳論は成り立たない。
歴史について
ヒストリシズムを批判したポパーが、人間が歴史を叙述するとはどういうことなのかと問わないわけにはいかなかった。
ポパーは多くの人が語ってる意味での歴史は存在しないという。それは人類の歴史、普遍的な歴史と呼ばれるもの。歴史の事実とも呼ばれている。
ここで疑問が沸く。ちょっと待ってくれ、普遍的な歴史が存在しないなら私達が学校の授業で習う歴史は何なの?あれは普遍的な歴史じゃないの?と。学校で習う歴史…あれは実は一定の観点から選択された歴史にすぎず、事実としてあったがままの歴史ではない(世間一般で思われてるような「中立な歴史」ではない)。これ個人的になかなか衝撃でした。もし普遍的な歴史なんてものがあったとしたら、全人類の生・苦悩・喜びと悲しみ・死、全ての時代を通した全人類の人間の経験の事実、ということになる。こんなもの人間に認識することは不可能で理念でしかない。というわけで私達が学校で習う歴史は、全人類の生・苦悩・喜びと悲しみ・死ではなく、一部の目立った人の生・苦悩・喜びと悲しみ・死になっている。それは戦争や陰謀を勝ち抜いた英雄・勝利者・権力者です。政治権力という一点から見たに過ぎない歴史が、さも人類の普遍的な歴史、あったがままの歴史の地位まで上げられている。そしてその他大勢の無名の人々のことは忘れられている。政治権力の歴史とはどんなものか振り返ってみよう。横領・暗殺・裏切り等の各種陰謀、また忘れてならないのが戦争。私達の習う歴史は妙に戦争(人殺し)の話が多い、戦い・合戦・内乱・暴動・クーデター・革命…上げたらきりがない。こういう歴史を習うと「人類の歴史というのは陰謀と殺し合いの歴史なんだな」と勘違いしてしまうかもしれない。また歴史というのは一部の権力者達で動いていて、その他大勢は参与してないんだなとも思うかもしれない。歴史は闘争により動いている法則なのではと勘違いするかもしれない。
なぜこんなものが人類が習うべき歴史として教えられているか、ポパーの仮説は権力者が崇拝されることを望んでいるからというもの。誰しも戦争の指導者になり教科書に載るような英雄になりたい。私達の歴史の授業でも戦争の勝者は大抵名前を暗記するはずだ。戦場には直接赴かない首相や大統領の名前も覚えると思う。そういう願望があるんじゃないかと。ポパーはこれを権力史が歴史の核心にまで高められた理由の一つとする。このような歴史の見方についてポパーは批判する。裏切りや暗殺、大量虐殺や略奪を人類の歴史として教えるのは、人類を道徳的観点から捉える考え方への侮辱だと。そしてこれは、第二分冊で支配者は堂々としたウソ(プロパガンダ)を使用し国民を支配していい、というプラトンの欺瞞を批判した箇所と繋がる。
私達は歴史に動かされてるわけではないし、歴史が私達に代わって決定を下してくれるわけでもない。歴史には何か最初から目的があって、その目的に向けて動いてるわけでもない。歴史に意味を与えるのは私達の方。そして今までは「権力の歴史」としての意味を与えられていた、ということ。そろそろ歴史の法則を暴く予言者を脱して、世界の権力史にどのような目標を立てることが人間にふさわしく、また政治的に可能なのか、自由とそれに伴う進歩が依存する民主的制度を擁護・強化するような歴史の意味を与える時期なのではないか、というのがポパーの考えです。
そしてこれは、第一分冊の英語版第一版の序、私達の文化を存続させたいのなら、私達の精神的な独立性を偉大な人間に捧げきって従属してしまう人類の悪習を断ち切らねばならないという洞察、偉大な人間だろうと間違えるし、むしろ偉大な分犯す過ちが大きくなるという洞察、過去の偉大とされる精神的指導者のうちには、自由と理性に対して絶えず繰り返された攻撃を支援していた者がいるという洞察と繋がると思います。歴史には進歩の法則も退歩の法則もない。開かれた社会の敵に無防備になっていれば、先人が築き上げてきた進歩を次の世代が失うことだってあり得る。
Posted by ブクログ
優秀な指導者が国を導くべし
一番賢い人が国を統治すべし
民族の英雄が国を率いるべし
今なお人気なフレーズですが、とんでもないワナが隠されてます。そして、国が詰んでしまう。
自由と民主主義って大事なんだなって気付かせてくれる。
しかし、自由と民主主義は大事なんだよ!と言っても、具体的にどう大事なのか説明できる人ってあんまりいないじゃないですか。
で、そこを開かれた社会の敵につけこまれる。
「ほらみろ、自由の賛美者も自由が何か分かってない」
「個人主義者は周りの人間のことを考えられないエゴイスト」
「国が発展するなら独裁者率いる全体主義だっていいじゃないか」
「私達は自由という放埓と無秩序から国の統一が乱れないように制御してるだけだ」
本書を読めば自由と民主主義の何が大事なのか分かるし、ちゃんと説明できる人になれると思います。
というか政治家は必読かもしれない(特に第9章と397ページ)
実現するのにすごい時間がかかりそうな、遠大な大規模構想を計画してる政治家は特に要注意(このような人物は往々にして、自分の価値観を押し付ける目的で政治的手段を使う。困ってる人を助けるのは義務だが、「全員を幸せにする」というのは、他人の私的な領域を侵している。これは私達に拒否権がある場合にのみ行使できる権利である)(第2分冊113ページ、第4分冊161ページ)
民主主義の重要性として一つ例をあげると
プラトンとマルクスが陥った落とし穴「誰が支配すべきか」という問い。
「生まれつき優秀な者」「最善の者」「主人たる人種」または「労働者」「人民」これらに違いない。どちらも絶対的な真理や道徳的正しさの基準を獲得できる最終的な参照フレーム(権威ある情報源)を持った偉大な人物や集団とされる。ポパーこれを指導者原理・無拘束主権論と呼ぶが、この論理には権力者の抑制と均衡がとれないという欠点がある。
ポパーは「民主主義とは何か」とは問わず「民主主義は私達の自由と安全を守るためにどんな役に立つのか」と問う。
こう問うと「悪辣な支配者が登場しても、暴力を使わず合法的に被支配者が悪しき支配者を排除できる」と答えることができる。
ポパーは民主主義のこういう制度を評価してるわけです。
独裁体制だとこれができないんですよね。
ただしこの制度は、被支配者が支配者を選んでそれでお終い、あとは一番優秀な人に全部お任せします、と知力を使う権利を放棄しては成り立たない。
これだと独裁体制と何も変わらない。
優秀者におまかせするのではなく、私達が責任を持って制度を判断しなくてはいけない。
ここは、プラトンの絶対的な知の所有を誇る神のごとき哲学王と、ソクラテスの自分はなんて知らないことが多いのだろうという知の探究者(お互いの理性を尊重し合い、お互いの間違いを正していこう)との対比です。
神のごとき王者が自分の間違いを認めるわけがなく(そもそも批判を弾圧してる)、結果尊大な態度になり暴走を誰も止めることができなくなる(現在の私達の時代に権威主義的だと言われてる国の指導者や、報道官などを見てると分かりやすいと思います)
Posted by ブクログ
!注意!
きつい言葉を使用した感想なので、読む場合は注意してください。
本書はヒストリシズム(歴史法則主義、歴史信仰などと訳される)の弾劾と、非人間的、権威主義、暴力的統治、圧制や抑圧こそを善しとする閉じた社会の共感者「開かれた社会の敵」を分析し、自身の理性を使い、話し相手の理性も信頼し、自分が間違ってるかもしれないという謙虚な態度を持ち、民主的な改革を望む人達が、閉じようとする勢力にどう対処すべきか解決策を模索するようにできている書です。
ヒストリシズムというのは、歴史には最初から目的があり(共産主義社会の実現に向けて動いている等)私達には知られていない私達を影から動かしている法則とか規則があり(歴史が私達に何をすべきか告げ、歴史が私達に代わり決定を下す)その法則を発見し分析すれば、未来に何が起こるのかも予測できる、という考えです。
人間は道徳的な決断もする必要ない(道徳的義務から解放されている)歴史が人間に代わって裁いてくれるから、といった考えにも至り、モラルの問題としても深刻で危険なわけです。
私達人間を動かしてる力は強大なので、社会の民主的な改革など不可能だという偏見の元でもある。
また、目的にむかって自発的に展開していくということは、現在あるものが最善という考えに至り、これが政治に適用されると現在の政権が最善という、まことに独裁者に都合の良い論理でもあるのです。
この弾劾の過程で、左右(ナチズム・共産主義)のヒストリシズムが批判されます。
この左右の歴史法則主義は、歴史の舞台において真に意味ある演じ手は、偉大な民族やその指導者(プラトン)、あるいは偉大な階級(マルクス)や偉大な理念(ヘーゲル)で、これらを考察し歴史法則を暴き、未来を予測すると考える点で一致している(本書第1章冒頭)
この冒頭で本書の批判がどこに向けられているのかが分かります。
結論からいうと、ヒストリシズムというのは論理的に成り立たず、歴史には法則などなく、本物の法則のように初期条件に依存せず、反論自体が不可能で(反論を回避していることは利点ではない)、科学的予測とは違い降ってわいてきた占いや予言と同じ物だと。
『ヒストリシズムの貧困』では、そういうものは発展の法則ではなく絶対的「趨勢」だと言われている。
ポパーにとっては普遍理論さえたえず批判にさらされているべきだと言う。批判できる余地があることが理論が科学的と呼ばれる地位を獲得できる。
こうした批判がなされないと、歴史法則主義者は気ままな理論を構築し、自分の好みの理論が消えるような条件で検討することをしない。これこれの性質の趨勢が存在すると言われても、こうした言明はテストできないので、本人はずっと希望的な思考を保持できる。結果、ユートピアは確実にやってくる!といった幻想に目を晦まされて、視野が非常に狭くなり(貧困)、抵抗しがたく私達をその人達のお気に入りの未来に連れていくことができる(川村仁也『ポパー』清水書院)
このシリーズ全4巻を読めば、人間というものは天国や楽園といった究極世界や完成された世界、ゴールの世界のようなものには安住できないということがわかると思います。
また、ヒストリシストが往々にして陥る「ユートピア社会工学」も批判されます。
楽園の建設という、実現に時間のかかる遠大な大規模構想を練る国家社会建設です。
あまりにも国家の計画が多過ぎて、目的を集約できない。
計画が多過ぎて問題がどこにあるのか分からず、上手な軌道修正ができない。
そして革命の第一世代では建設が終わらない。
世代が変わると当初の目標も変わってしまい、ゼロからやり直すなんてことも起こる。
(ソ連を見ればいい、レーニンの世代で終わらずスターリンの世代でもその次の世代でも計画は終わらなかった。最終的にどうなったか)
計画通りに進んでないことについて民から怨嗟の声が上がってくるが、最優秀者が国を率いると驕っている閉じた社会の共感者には、そんなものに耳を貸す謙虚さはない。
ヒストリシズムの問題は、知力や理性の放棄、堕落に繋がるということと、この考えに染まった権力者により、社会を全て破壊した後打ち立てる大規模計画と侵略戦争を肯定する全体主義・独裁国家が生まれるということ。
第1巻では、こういったものの源流にプラトンがいるとして彼を批判、もとい弾劾してます。
「平和や自由や正義を説いてるのに、何でこの人達はいつも暴力的なんだろう」という謎が解けると思います。
それは私達が
「精神的な独立性を偉大な人間にささげきってしまい、従属していまうという悪臭を断ち切らねばならないということ」(第一分冊27ページ)
であり、またそれは私達が
「なされるがままになり、世界をコントロールするいっさいの責任を、他の誰かある者に、あるいは人間をこえた権威に委ねることの拒否でもある」(第一分冊32ページ)
これが解決策でもあるんですが、自分の知力を使う勇気を持つこと(カント)
閉じた社会では、いち個人が自分の知力を使い自由に考えを発表できる、という権利が搾取されている。
マルクス及び追随者は搾取を問題視したが、搾取ということなら彼らも人々の精神的な独立性を奪ってるのではないか、と本書を読めば思うわけです。
(この権利をいまだに民から奪ってる国もある)
このポパーの弾劾が、私達に無関係な昔話ではないということです。
誰だって全体主義に抑圧されているより自由な方がいいですよね。
誰だって独裁者が全部一人で決めて反論も封じられてるより、皆で話し合って決める方が良いですよね。
しかし全く不思議なもので、ときとして人間は、独裁者を選び、自由が抑圧されることに反対しなかったり、むしろ抑圧を望むのです。
本書の6~9章(プラトンの政治綱領、民主的な社会から閉じた社会に戻る方法)を読むと、まずプラトンがこんなことを述べていたのかと驚くかと思いますが、今でもこれを実践してる国があるぞ…と気付き他人事でいられなくなります。
自由と民主主義に対するネガティブキャンペーンはプラトンの時代からあったが、今でも存在する。
ヒューマニズム的な感情に対し嫌悪を抱かせ、あろうことか非人間的な目的のために利用しようとする人達がいる。
閉じた社会が開けてくると、必ず反動で閉じようとする勢力が現れる、これは何で?ってことなんですが、このような分析も、弾劾の一つです。
この時に私達が彼らに対して無知であったり怠惰であったりしてはいけないという。
閉じた社会が開けてくるのは進歩の法則とかではないので、また戻されてしまう恐れがある。
Posted by ブクログ
知的誠実さが極めて高い論証を読みたい人におすすめ。
ヒストリシズムや本質主義、自然主義に依拠するあらゆる言説を批判するとともに、プラトンが全体主義と酷似した政治理論を提示したことを論証する。
対して、個人の権利や自由を保証するために国家が必要であるとする「保護主義」を擁護するとともに、保護主義がプラトンに遡って不当に批判されてきたことを示す(不当な批判としては、個人主義と全体主義、利己主義と人道主義の関係を整理し、それぞれの組み合わせが可能であるにもかかわらず個人主義と利己主義を同一視して人道主義の義憤を促すといったものがあった)。
カントについて触れた、自然科学の人間中心的な説明も面白く読める。