浜由樹子『ネオ・ユーラシア主義』にも記述があったが、ロシア思想の根幹的テーマとして「自分たちは何者なのか」というアイデンティティーを巡る問いがある。それは西であり東であるユーラシアという地理的なものであったり、キリスト教ではあるけれどビザンチン時代からの正教会であるという宗教的なものであったり、社会主義は崩壊したけれど市場経済にも移行しきれてないという経済的なものであったり、帝国ではないけれど独裁的な指導者がトップであるという政治的なものであったり、それらがことごとくロシアとは、ロシア人とは何かという問いを突きつけてくる。
国家の成立からプーチン政権まで(原書は2020年の刊行なので2022年に起きたウクライナ侵攻は含まれない)のロシア思想史。先進的な西欧への憧憬と嫉妬というアンビバレンツな感情が常に思想の根底にあるように見受けられた。リベラルと保守が交代しながら統治者の座についていくのが面白い。キエフ大公妃オリガのコンスタンティノープル訪問、正教への改宗が歴史の起点になる。オリガが衝撃を受けたのはキリスト教の論理ではなくその芸術の美しさだった。「真理と善がルーシの地にやって来たのは、まさしく美を介してだったのである」。だからロシアにおいては芸術のための芸術という考えはなじまない。ロシアにおいては芸術は救済でなくてはならない。ドストエフスキーが「美は世界を救う」と書いたように。
東方正教会における黙示録の重視。物質主義的な西欧への反発。それらがロシア思想に特徴的な霊性を生み、育んだ。「世界が、その後にいっさいが変容するようななにかのできごとに向かって突き進んでいるのだという確信は、ロシアの魂の一部分となった」。
歴史を遡るとキエフはロシアの心臓と言える場所。アトス山に巡礼するほど信仰の篤いプーチンによるウクライナ侵攻は、「資本主義と共産主義のあいだでのイデオロギー的衝突ではなく、互いに異なる道徳的、倫理的、そして宗教的な世界観によって引き起こされた」ものなのか。プーチンが愛読するイヴァン・イリーンの予言、「ロシアが分裂と屈辱から立ち上がり、新しい進歩と偉大さの世紀が始まる」を自身の指導のもと実現しようとしているのか。訳者によるとタイトルの「聖なるロシア」とは「キリスト教の歴史観に基づき、自分の国を歴史的に一定の役割を果たす聖なる国とみなす理念」であるという。西側の商業主義とリベラリズムはプーチンの目には退廃に映る。
物質的、合理的な西欧の知に対するオルタナティブとしてのロシア的非合理性。ドストエフスキーが地下室の住人に語らせたようなシステムに対する反発と嫌悪感。直感的、本能的、霊的な知。全一への志向。その水脈を過去から現代へとたどっていくうちに、自分もまた非合理性を好む人間であり、だからドストエフスキーをはじめとするロシア文学やロシア思想に関心を持つのかな、と思った。
700頁近い大著、登場人物が多く、思想も複雑で、しかも必ずしも時系列に記述されてはいないので読むのは骨が折れた。一部は読み飛ばしている。オカルトとタイトルにあるから胡散臭さを感じたものの読んでみたらかなり硬派な思想史だった。この本の記述がすべて正しいとは限らないだろうが(本書ではプーチンの念頭にはユーラシア主義があるとしているが浜由樹子はそう判断するのは早計だとしている。訳者も本書の内容は「誤解が多い領域」とあとがきに書いている)ロシアという謎めいた国への理解がだいぶ深まったように思う。