「グノーシセアウトン」(汝自身を知れ)
古代ギリシャ語のこの言葉から始まる、「思考する人生」への賛歌のような哲学入門書。
現代の「女性」哲学者20人による執筆であることはもちろん、翻訳者も全て「女性」哲学者、その数13人!
白人男性主体の西洋哲学にあって、白人のみならずアジア系アフリカ系であったりする女性哲学者達が、20の項目それぞれについて、確固たる哲学の知識とともに、もともと「男の子用」だった世界に「男の子用」ではない場所を作るために、全ての人に開かれるべき門を作ってくれている。タイトルには女の子とあるが、もちろん全ての人に、だ。
ただやはり、女性として、白人以外として、抑圧された経験があるからこその、エンパワメントされる内容ではあり。
ある時代のある場所に於いては、白人の奴隷であって、男性の為に尽くす存在であって、中絶などもってのほか、学問など必要無く、黙って言うことを聞くものであった側、自分の本心をひた隠す側だった者達。
考えることを放棄しなければ生きられない、そもそもそれをおかしいと思うこともない、そんな時代にあっても、考え、実行した人は居た。ボーヴォワールをはじめ、フリーダ・カーロ、ハンナ・アーレント、マーガレット・アトウッド、ジュディス・バトラー、、、この本で初めて知ったアンナ・モランディという解剖学者、「闇の左手」のアーシュラ・K・ルグウィン、ラディカル・フェミニズム運動の成果として「コンシャスネス・レイジング」を興したシュラミス・ファイアストーン、、みんなそれぞれの仕方で、思考し、表現した。
様々な実在する/した女性と、物語や映画のなかの女性を例に挙げながら、アイデンティティ、自己知、論理学、科学、人種、ジェンダー、怒りなどについて、回り道を敢えて選ぶようなやり方、つまり哲学していくことが、どんどんと内部に潜っていく感覚の思考実験のようであり、とても深く苦しく心地良かった。
例えば「言語」の章。実際には全ての人に当てはまるにも関わらず、ステレオタイプ的に女性に用いられることが多い言葉について。
「がさつabrasive」「感情的emotional」「小うるさいstrident」などなど、それら記述と評価を混ぜこぜにする言葉のことを「厚い語」と呼ぶ。これを会話に使用することで、反論する為の労力が二倍にも三倍にもなりまた、正確に反論することが難しいそうだ。「そんな意味で言ったんじゃないよ」で済まされてしまう。
「技術」の章ではフランケンシュタインを例にとり、技術と倫理哲学について深く考察している。chatGPTや画像生成、生活が便利になり人によっては楽しめるこのような技術の無邪気な害について、アルゴリズムによる相対的な結論を客観的とみなしてしまうような倫理観の欠如について、考えるべき点があまりに多いなと感じた。
「吟味のある人生を生きたい。」
今はこのように言葉にして表すことができるが、若い女であった頃、どうしたいかわからないが、ただ楽しいだけで良いというのは違う、という感覚が常にあって、そうすると「生意気」「否定的」「和を乱す」などネガティブなイメージがついて回り、好き好んでそう思われたいわけではもちろんないのでイヤな気持ちになることもあった。
歳を重ねて、フェミニズムに出会い(自分の考え方に名前がついたような気持ち)、ハイデガーの「存在と時間」で決定的に哲学の世界に落ちて、深く潜るように思考を巡らせることが自分が「生きている」感覚なのだとわかった。
本のなかに何度となく出てくる「批判的に思考する」ことは、決してマイナスではないのだと改めて勇気を貰えた気がした。
ボーヴォワール、読まねば。読みたい本がたくさん増えた!