超少子高齢化社会は、避けてはいけない、おそらく日本が人類の歴史上初めて直面する大問題です。
その中で介護の問題もあります。
わたしの両親も介護施設にはまだ入居してはいませんが、92才と90才です。
認知症、歩行が困難などの状態です。
家のトイレでも水を流さない・・トイレを汚してしまう。お風呂場で排便をしていた・・・
わたし自身も21世紀のはじめにホームヘルパー2級の講習を受けて資格を持っています。
そのときからのわたし自身の正直な考えとしましては、「できれば自分は介護の仕事はやりたくはない」です。
研修先では、ベッドに上品な高齢のおばあさんが寝ておられました。
しかしその方はベッドに介護の人の呼び出しボタンがあるにも関わらず、排便をおむつの中にしてしまっていました。
そうしたことのお世話をしたり、そうした人に見られたくはないような、尊厳にもかかわるようなみっともないことにも、どうしてもやっていかなくてはいけませんから。
プロローグ
認知症になった祖父
第1章
しんどい
第2章
布教
第3章
地雷
第4章
推しごと
・好きなものと一生付き合える約束はどこにもない
・人生の支えである・・・一生オタクであることもできなくなるかも
エピローグ
2040年問題のその先は
・超高齢社会になると、労働力人口が減少し、あらゆる業界が人手不足になるだろうと推測される
・単純に、人は疲れれば余裕がなくなる。余裕がなくなれば、人を思いやる気持ちも見失う
・まず、労働力人口が減るということは、それだけ納税額も減少する
・つまり、今後は社会保障を受けるにあたっても、現役世代の社会保障費が増加の一途を辿るけではなく、高齢者が負担する金額の割合も多くなる。
・「最後まで人間らしく、心配ごとなく、穏やかに」という老後は、もはや贅沢な悩みとすら思える。
・しかし、時をとめることはできない。未来は確実にやって来る。・・・しかも、現在を元とした未来しかやってこない。
・私たちにできることと言えば、健康寿命を伸ばしていくよう努力し、自分で”できること”をなるべく維持できるように心がけていくことくらいだろう
・老いからは逃げられない。どうしようもない部分もある。どんなに脳トレ、いい食べ物を食べようが、毎日散歩をしようが、認知症になる人はなるし、支援が必要になる人もいる
・2040年以降も生き続けるであろうわたしは、ちゃんと”老人”として余生を送ることができるのだろうか・・・老人になることさえ許されない世界が、待っていやしないだろうか
・まぁ、暗い予想の答え合わせは長生きしてしまったときにすればいい。
・今はただ、目の前のことを毎日一生懸命やるだけだ
あとがき
介護記録を残そう
編集後記
・介護は、一人で抱え込むにはあまりにも重く、先の見えない現実を前にすれば、絶望は避けられない
・「そもそも労働人口が減っている上に、介護職に就こうとする若者も減っているから、ぼくたちは常に仕事がある状態なんです」
古書見つけ宣言