題名にSFが含まれていたので書店で衝動買いした。よくある内容で、SFと現実(現在の技術)とを比較したもの。ウルトラマンや怪獣が実在したら自重を保つことができないと予想するなど、SFや漫画を超真面目に解説した本の類い。下手すると、SFへの冒涜だとか大人げない解説だとか騒ぐ人もいるかもしれないが、まあ今回はそこら辺を大割引して読んでみた。内容の一部に懐かしい話題もあったので、感想というよりも自分の思い出を中心に章ごとにコメントしてみた。
第1章「バビル二世」
主題歌を空でも歌えるくらい毎週見ていたと思うのだが、残念ながらアニメの内容は殆ど覚えていない。今ふと思ったのだが、バビルとバベルとの差は何なのか。どうでも良い事だが。
話に出てくるNASAのコンピュータはIBM System/360という超有名システムで、その後はSystem/370, /4300, /3080, /3090, /9370と後継が続いた。所謂、メインフレームコンピュータと呼ばれるもので、昔のSF映画に良く出ていた。私が初めて見たメインフレームはNHKのSFドラマ「タイムトンネル」の設備、アリゾナの砂漠の地下深くに建設された。おっちょこちょいのトニーとしっかり者のダグの時間旅行。個人的にはアンという女性博士が好みだった。アメリカ人の女性ってみんなあんな感じなのかと朧気に覚えている。話をコンピュータに戻すと、ここのコンピュータは何か事件がある度に火を噴いていた。時には消火器で鎮火していた。甘利にもアナログな対応なのだが、この時はコンピュータって危険だと思った。オープンリールテープみたいな記憶装置がゆっくり動いていたのも印象的。とにかく様々な色のランプが点灯・点滅していたのがとても格好良かった。
文中にFORTRANの紙カードの写真が出てきた。大学時代にコンピュータの演習があり、FORTRANのプログラムを紙カードのマークシートで入力するのだが、固い鉛筆(HB)で塗り潰すと読み取りミスが頻発して何回も何回も読み込ませなければならなかった。きちんと読み込んだか確認するのに約1時間かかるので、プログラムが正しくても読み取り確認作業は深夜にまで及んだ。カードリーダーにはそんな辛い思い出しかない。
第4章「火の鳥 未来編・復活編」
未来編は読んだことがある。レオナから見た人間の姿は非常にインパクトがあり、これに似た夢を見たりして、当時はこの画像が私の深層に刻まれていたことは確か。この頃のカメラがアナログで走査方式であることが原因であることが解り、ちょっと感動した。
第5章「2001年宇宙の旅」
この映画は地元の映画館で封切りしてすぐに見たのだが、宇宙船だけ覚えているものの内容は全く覚えていなかった。その後、テレビでも再放送で何度も見たが、これでも内容を覚えていない。シュールな映画なのだ、昔から。早川書房から続編(2010, 2061, 3001)が出たものの読んでいない。映画はこの他に2010年版があるとのことだが全く知らなかった。
この作品に出てくるコンピュータの名前はHAL9000なのだが、これはIBMのコンピュータのパロディであるのは有名な話。Iの前はH、Bの前はA、Mの前はLということ。
2001年のテーマ音楽でもある、R・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」も定期演奏会で実際に演奏した。昔の夢が叶って本当に嬉しい。
メインフレームコンピュータに触る機会は無かったが、会社ではDECのVAXで統計解析ソフトSAS、IRISのワークステーション(RISCプロセッサー)でダイキン工業の分子設計プログラムMOL-GRAGHを使っていた。これで材料設計を試みたが、真空状態で1分子を再現する分子軌道法だったので、全く役に立たなかった苦い記憶がある(実際の材料は液体なら隣に溶媒分子があり、結晶なら同じ分子が連続して並んでいる)。当時のOSはUNIXで、解説書は赤い表紙の本3種類しかなかったので、システムを管理するのにかなり苦労した。
第6章「ブレードランナー」
私が尊敬するフィリップ・K・ディックの作品。ディックの作品は殆ど所有している。神田の古本屋街に何度も何度も通って揃えたが、最近はあまり読んでいない。他に読みたいSF作品が甘利にも多すぎるのだ。
AIについては、つい最近まで研究していた。画像認識(機械学習、教師あり)が中心で、プログラムは最近はやりのPythonを用いた。教師データを大量に入手し、プログラムの動作を確認し、本部長の覚えめでたしで、あとは年度予算で複数の高速FPU付きコンピュータを買うだけだったのだが、買う寸前に銀座でお仕事をすることになった。
第7章「新造人間キャシャーン」
主題歌は「ささきいさお」だったのを覚えている。
第8章「ターミネーター」
アッセンブラ、マシン語、インタープリター、久々に聞いた、懐かしい!最近はいろいろなプログラム言語が乱立している。基本的な考え方はあまり差がなく、文法も共通部分が多い。言語と言っても英語、フランス語、ドイツ語程度の差しかないので、何か一つ覚えれば他のプログラム言語にはスッと入っていけるものと思う。シュワちゃんの視野にプログラム言語が流れるのはカッコイイが、プログラムを視野に出す意味はあるのだろうか。そんな暇があったらプログラムを早く実行すれば良いのにと思うのは私だけ?
「おわりに」
文中にPC-8801mkⅡが出てきて、とても懐かしかった。私が入社して数年が経って、隣の研究室の先輩からこのNEC PC-8801mkⅡを騙されて買った。会社で活用しようと思って自分の机に置いたのだが、机の大半を占めてしまったので机の上では事務作業が全くできなかったし、業務には全く使えず、社員寮に持ち帰り、程なくして廃棄した。
その後、留学先でMacintosh Ⅱsiを苦労して(注文してから手元に届くまで3か月かかって)購入したが、当然のことながら日本語変換機能はついておらず、日本からわざわざ変換ソフトを取り寄せた記憶がある。化学構造式を作成するソフトも入れたが、プリンターでの出力時に画像が歪んでいた。
帰国してからも、Appleにドはまりし、Macのコンピュータを買い続けたが、会社でwindowsが幅を利かし始めた頃にはビルゲイツの軍門に下ってしまって現在に至る。
若い頃からのコンピュータ遍歴を思い返すと、楽しい思い出が殆ど。コンピュータの自作も面白いし勉強になった。しかし最近は、mouseのノートパソコンを購入して文章を打ち込むだけの生活なので、コンピュータに関してワクワク感は殆どない。逆に、コンピュータウィルスやセキュリティ等を気にすることが多く、ちょっとつまらないコンピュータライフに落ち着いちゃってしまっている。