舞台はアメリカのフィラデルフィア。
ニューヨークから引っ越して来たばかりの裕福な共働き夫婦と3歳と0歳の娘。
母親は執筆活動のために黒人の26歳ベビーシッターを雇う。
父親の職場でのいざこざから自宅に警察が来ることに…
長女を自宅から避難させたい夫婦は、深夜にも関わらずベビーシッターに連絡し、近くの
...続きを読むスーパーマーケットまで行って来て欲しいと頼む。
そこで、彼女は警備員に誘拐を疑われ、その事がこの夫婦とベビーシッター、更にはその時に出会う白人の男性(後にベビーシッターの恋人になるひと)との関係を複雑なものにして行く…
まず、私は翻訳の本を読むのは少し苦手だ。
翻訳家さんにもよるのだろうと思うけど。
それと、人種差別を考える時、どうしても自分には知識が無さすぎる…
勉強不足なだけなのだけど。
なので、人種差別のもっと深いところを知っていれば、もっと理解できたようにも思う。
でも、、、難しいのかな。
例えば、白人の恋人が黒人の彼女を連れて夜中に入ったバーの描写。
「白人の男性が何人かカウンターで飲んでいて、壁にはジョンウェインとカウボーイの写真が飾られている。」
この場所に来た事を、後で彼女は「2度とあそこには連れて行かないで」と激怒する。
初めのお店の描写の時に、私は彼女が嫌がるだろうなと想像できなかった。
そのため、また戻って読み返すことになった。
それに、度々出てくるベビーシッターであるエミラと友達たちが集まるお店やバー、それから頼む食べ物。
きっと黒人の好きなテイストで、それが好きな人たちが集まる場所として描写されていると思うのだけど、自分にはイマイチ「ピン」と来てない。
これもまた後から読み戻って、なるほどそうなのかなと思う。。
エミラが友達とシッター宅へ行った時、友達が放った言葉。
「この家プランテーションの雰囲気があるね」
きっとこの言葉も、差別的な何かを感じ取った友達の言葉なのだろう。
そんな細かな「もっと理解できたら」な点があっても、この本の内容は刺さるものがある。
この本には、潜在的な差別、それは人種だけでなく貧富の差や、都会と田舎の差だったり、親の子供達への愛情の偏り、そういった差別が描かれていて、
かつ親からの自立や、自分の将来への展望、労働環境、、、様々な問題が描かれている。
それにしても、、
雇い主であるミセス・チェンバレンも、エミラの白人の恋人も、無意識にいつも上から目線だ。
私達はあなたの味方よ、家族と思っているのよ、君のためを思って言ってるんだよ、そんな感じが満載。
白人が黒人を救ったり敬ったりする事に対して、もちろんそれはとても良い事だけど、この人たちの場合、それを自分の為の道具としている感じにも受ける。
あぁ。なんて難しい問題。
だけど、その問題をダイレクトに書いたこの作品だから、様々な賞を受賞したのだと思う。
日本は日本で島国であるが故の差別や偏見がある。
自分の中にもあるだろう潜在的偏見や差別を考えざるおえない内容だった。