老犬を怯えさせる幽霊の真偽をめぐって田舎町で論争が起こる表題作ほか、すべて初訳の9篇を収録した短篇集。
牧眞司・編の『町かどの穴』『ファニーフィンガーズ』はエンタメ色が強いラインナップだが、井上央が編訳した本書はラファティの思想が浮かび上がるよう設計されている感じ。特にカトリシズムと反ダーウィニズムが色濃く反映された神話的なムードの作品に魅せられた。以下、気に入った作品の感想。
◆「下に隠れたあの人」
最初クリストファー・プリーストの『魔術師』みたいにマジシャンの業を描くのかと思っていたら、違うテーマに枝分かれしていった。ドリアン・グレイの変奏って感じか。エンターテイメントというものを考えるとき、〈手品と良心〉は確かに重要。演者と客はお互いに了承して騙し騙される関係だけれど、その黙認契約をエンタメとして成立させるために超えてはならないラインがある。小文字cはユーモラスだし実際は良心の化身だけど、正体不明すぎて不気味。良心というものは、都合がよくて優しくて親しみがあるような存在じゃないんだろう。
◆「さあ、恐れなく炎の中へ歩み入ろう」
本当にカトリックの人なんだなぁと思う。暗い闇のなかで信仰という希望の灯をリレーしていく終末の宗教的ヴィジョン。最後にはプロットの構造をしっかり明かしてくれる人というイメージができかけてたが、長篇ではこういう叙事詩的な作風だとのこと。長いお話の途中の一章だけを読んだようで掴みきれないとこも多いけど、書いてる本人には"視えている"としか思えない世界を文字で追うこと自体がとにかく気持ちいい。
◆「千と万の泉との情事」
手付かずの泉を求めてさすらう処女厨みたいな男と、全然儚くない泉の精とその夫の三角関係を描いた中世ファンタジー風の物語。だが話のキモは恋愛ではなく、過去の旅人が残したノートから明らかになるこの世界の地下に眠る秘密。叡智を誇りながら消えていった〈先行者〉がいた、というモチーフはラファティのオブセッションのようだが、この作品ではそれが幻想地質学の形で表現されているのがグッとくる。「いま私たちの世界を成すもの、岩、山、大陸、大洋、これらすべてが一つに縫い合わされた。縫い合わすのに使われた針は、鉱物や岩石でできた針だった。この事実の証人として、いま私たちは地層の中に、この人工的な貫入、団塊[コンクリーション]のいたるところに、鋼を、鉄を、青銅を、鉄の合金を見いだすのである」。すべての泉の喉にも人工の管がある。これはもしかすると〈先行者〉ではなく、文明衰退後の未来の話なのか。
◆「鳥使い」
〈不純粋科学研究所〉シリーズ! ガイ・フォークスとキリストのダブルイメージで、公開処刑という祝祭的なイベントに飲み込まれていく研究員たちを描いているが、鳥使いとエピクトの友情物語でもある。お互いに少年ではない者同士が少年のアバターを使って戯れているという設定が、不思議にノスタルジックな余韻を残す。
ポストモダン的なアプローチを自家籠中にしていて「ポストモダンやってます!」にならないのがすごいなと思っていたんだけど、最後の「いばら姫の物語 学術的研究」はタイトルも中身もけっこう「ポストモダンやってます!」だった。今だと〈異常論文〉だよね。全然好きだけど、内容も飛躍的なアイデアではないので少し物足りなかった。