イタリアにて感染症科部長として働く著者が、イタリアでの新型コロナウイルスのパンデミック下で、職場の仲間たちと懸命に医師としての役割を全うする中で起きた出来事や、感じたことを綴る。
内容は
過去に起こったパンデミックの説明から始まり、序中盤ではイタリア初の新型コロナ感染症患者を担当したときの話を中
...続きを読む心に、Covid-19の危険性を伝え、終盤ではそのパンデミック中に著者の心の支えになった周り人々の話や、今後の展望、今回から学んだ教訓などを紹介している。
まず私たちが認識しなければならないことは、もし感染してしまったら、感染した本人のみならず、医療に従事している人たちにまでしわ寄せがくる、ということだ。
この本に
**医師の仕事をするのではなく、医師の役割を担う**
という言葉があるように、患者がどのような人であっても医者はその患者に向き合わなければならない。たとえ自分自身の身に危険が及ぶとしても、だ。
反ワクチン団体やノーマスク運動、最近では某氏の「人間らしい生活を送るのでマスクはしない」発言、ニュースにも上がった県庁、市役所にきたデモに対応した職員がデモに参加した人を通じて感染、しかし感染させた側は検査拒否、また五輪など日本での新型コロナにおける話題は尽きない。私はこのような中で人々の新型コロナに対する認識が甘くなってきているように感じる。
また、作中ではメディアの取り扱いについても
> メディアは、正確で吟味された情報の伝達にはもってこいの共鳴箱で、情報をどんどん拡散してくれるが、科学的な裏付けのない個人的見解が流されるときわめて有害になる
とあり、続けて、
> たとえその分野の専門家の言葉でもすべてが正しいとは限らない、ということも覚えておかなければならない
とある。私たちがメディア等から得た付け焼き刃の知識など現場で専門的に学んだ医師達はとっくに考えているはずである。
作中にあるイタリアのマッタレッラ大統領の
> 他人を病気にさせる権利を自由と取り違えてはならない。ウイルスと共存するということは、ウイルスが消えたかのようにふるまうことではない
のように、今私たちができることは、一人ひとりがきちんと病気について考えそして実行することではないだろうか。それは自分のためではない、周りの人達ために考えなければならない。
仕事、買い物、時にはリフレッシュするために休息も必要だろう。だが、それを行うためのリスクも考えなければならない。
仕事はリモートでもできるし買い物も配達サービスがある。
自粛に疲れたという人がいるが、もっと疲れているのは現場の人達である。現場の人たちが必死に拡大を防いでいるからこそ今私たちがこう暮らせているということを忘れてはならない。