もうずいぶん昔のことになるのですが、池上彰さんが選挙特番で小泉進次郎議員を取材した際に話題にしていて、気になっていた本書。
ちょうど夏に文庫フェアが開催されていて、比較的ページ数が少なめだったこともあり、気軽な気持ちで手にとってみました。
著者のマックス・ヴェーバー(1864-1920)はドイツの政治・社会・経済学者。
本書は彼が1919年に行った学生向けの講演が元になっています。
当時のドイツは、第一次世界大戦での敗戦後、ドイツ革命と後に呼ばれた動乱のさなか。
・「政治」とは「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である」
・「国家」とは、「ある一定の領域の内部で(中略)正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」
との定義のもと、ドイツの現状を批判的に捉えながら、職業としての政治はどうあるべきかが述べられています。
まわりくどいところが一切なく、はっきりしていて、「直截」という表現がぴったりくるヴェーバーの文章。
なかでも、職業としての政治に身をささげる人間は、「信条倫理」と「責任倫理」のパラドックスに挟まれることになる、という部分が心に残りました。
理解しきれていないかもしれないけど、「信条倫理」は、自分が正しいと信ずるところを行って結果は神に委ねること、「責任倫理」は、人間の欠陥のあれこれを計算に入れること、つまり結果のためには時として手段を選ばない、ということかなあ。
そしてヴェーバーは「信条倫理家はこの世の倫理的非合理性に耐えられない」と指摘しています。
私は別に政治を職業にしているわけではないけれど、自分には「信条倫理」に偏ったところがあるかも、と読みながら少しぎくっとしました。
正しいと思うことに則って行動すること自体は良くても、それが独善的になったり、結果に結びつかなかったりする場合もあることに、注意しないとなあ。
「修練によって生の現実を直視する目をもつこと。生の現実に耐え、これに内面的に打ち勝つ能力をもつことは欠かせない条件である」という言葉がヒリヒリと沁みました。
もうすぐ、衆議院議員選挙がありますね。
投票した議員が必ず当選するわけでもないし、自分の望みが政策に反映されることも果てしない道のりで、それが「生の現実」ではあるけれど……ヴェーバーにならって「それにもかかわらず!」と心の中で唱えながら、投票所に行ってこようと思います。