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  • デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化
    4.6
    1巻3,463円 (税込)
    17世紀、デカルトとニュートンのパラダイム成立によって、世界から魔術が失われた。 貨幣による資本主義と合理的な科学思考によってできあがった近代的な世界。 魔術は科学に置き換えられてしまった。しかし、科学的に再編成される過程で色あせていったパワフルな知を取り戻すために、今こそ「世界の再魔術化」が必要だ! デカルト・パラダイムに反旗を翻し、1960年代のカウンター・カルチャーの空気をひっさげ、「世界の再魔術化」への道筋を探った知的冒険の書、待望の復刊! オカルト学の山々を乗り越え、たどり着いたひとつのヒントはグレゴリー・ベイトソン。 ロボティクス、アンドロイド、VR的な現実世界の出現を前に、今こそ再読されるべき書。

ユーザーレビュー

  • デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化

    Posted by ブクログ

    グレゴリー・ベイトソンの偉業と著者モリス・バーマンの作家性が見事に融合された、まさに感動巨編!

    同著者の『神経症的な美しさ アウトサイダーがみた日本』も素晴らしい本でしたが、この本も後半に行くにつれてぐいぐい引き込まれていく、吸引力の凄まじい一冊です。付箋を貼る手が止まらず・・・。

    そして、著者モリス・バーマンの深い見識に加え、訳者柴田元幸さんの丁寧な日本語もまた素晴らしいのです。

    デカルトの二元論を批判的に見ながら、グレゴリー・ベイトソンの全体論を理解する本としても最適な一冊。ベイトソンは、まだその著作に触れたことはありませんが、ずっと気になっていた人物。捉えるのが難しい〈精神〉の存在

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    2025年11月24日
  • デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化

    Posted by ブクログ

    私の大学生活でこの本を何度読み返したか分からない。タイトルの「再魔術化」という表現は、マックス・ウェーバーがかつて「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、近代化によって以前のアニミズム的思考が薄れてしまった状況を表した「脱魔術化」との対比表現である。しかし重要なことは、両者は対立的ではないということだ。なぜなら、「再魔術化」は、近代のデカルト的思考を否定しているわけではなく、むしろそれとアニミズム的思考との統合を目指しているからだ。そして、この統合に取り組んだのがグレゴリー・ベイトソンである。本書でもベイトソンの理論が簡潔にまとめてあるが、彼の代表作である「精神と生態学」「精神と

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    2024年08月02日
  • デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化

    Posted by ブクログ

    自我を全体の一部としてとらえていた近世以前の世界

    産業革命を経てデカルト的な化学というイデオロギーによって自我は世界と切り離され、自然と人間のつながりが薄れ、今や多方面で限界がきているように見える

    今こそベイトソン的な全体論的世界の関わりかたを模索すべき
    という内容。非常に学び深い本であった。

    いままさにこの現代、筆者の描く全体論的な世界へのパラダイム推移を自分自身が体験しているのではないかと感じた。

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    2021年09月22日
  • デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化

    Posted by ブクログ

    P19 本来の意図が自己の保護であっても、他社との意味ある関わりから身を引くことで、結局は自己自身が窒息。自己が撤退するにつれて、まわりの世界は当然手ごたえを欠いた、非現実的空間となり、それがさらに内への逃走を加速する。


    メモ、雑記、まだ途中:
    ・試し刷りみたい ハードカバーじゃない 低コスト本? 曲げて読めるからいいけど

     読んでると、しばしば面倒な気分になる。資本主義や貨幣の制度をやめて、あったかい信頼で繋がる世の中にしよう、という類にふと感じてしまう面倒さ。魔法を取り戻した世界はアダムイブ以前のheureuxにみち調和で溢れている…世界との一体感、それはきっと素晴らしい、いやすばら

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    2019年09月15日
  • デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化

    Posted by ブクログ

    書物の面白さの一つは、発表された後に時代が追いつき、予言の書のような姿を示す作品が現れることである。その点で、1981年に発表され、村上春樹の翻訳の”指導役”として極めた優れた翻訳家の一人である柴田元幸により翻訳された本書が約30年ぶりに復刊されたというのは、まさに本書が現代において求められていたからに他ならない。

    本書では、デカルト以降の近代社会に通底する”主客分離”により、意識を持つ主体とそこから切り離された世界の二元論には様々な限界が訪れつつあることを示す。その上で、近代以前の社会においては、主体と世界の境目は実に漠然としており、”魔術的”とも呼べる関係性がそこには存在しており、現代の

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    2019年08月16日

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