吉岡幸雄の一覧
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ユーザーレビュー
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・吉岡幸雄「日本の色を知る」(角川文庫)は 染織家の書いた書である。昔風に言へば染め物屋の著作である。当然カラーである。文庫本ながらきれいな本である。見てゐるだけで楽しい。色だけでなく花や風 景の写真も、その色に関連して載る。さういふのも美しい。例へば襲の色目、これは古語辞典や国語図録等によく出てゐ
...続きを読むる。しかし、それゆゑにどれが 本当の色なのか分からないことがよくある。似てゐると言へるのならまだ良い。へたをするとほとんど別の色である。それが同じ襲として出てくる。素人はどちらを信じたら良いのか分からなくなる。いや、どちらも信じられなくなる。さういふ時、標準になる色の図鑑等があればと思ふ。ところが、それさへも信じられない事態もあるから困る。本当の色はどれなのだと思ふことしきり、結局分からないでまますませてきた。ならば本書はどうなのだと思ふ。どうなのであらう。 最初の写真は梅の襲(12頁)である。この色はそこらへんの辞書や図録とは違ふ。紅梅の濃淡を下から上に並べた写真である。明らかにその上を行くと私は思ふ。次が桃の襲(16頁)、梅よりは明るいく澄んだ感じ、ピンクと言へさうな色を含む。次が柳の襲(20頁)、白つぽいのから新緑を超えて……いづれも和紙や布を染めたものを並べてあるのだらう。写真が大きくてきれいなこともあつて、これならば信用できさうだと思ふ。辞書等のは小さすぎる。色も悪すぎる。 信用できない。これは著者が著者である。京の染め物屋5代目である。当然、写真の色校正も著者自身がしてゐるはずである。さうでなければ広告に偽りありで ある。だとすればこの色は信用できる。さう思つて私は色を見ながら読んでゐた。杜若の襲(36頁)などは見事なものである。これでこそカキツバタだと思 ふ。女郎花の襲(60頁)や柿渋で染めた茶の色(64頁)などといふのもある。正に見てゐるだけで楽しい。
・ここでふと思ふ。これらの色をこのPC上で再現できるのか。最近はデジカメ写真で屏風や襖再現などといふことをやつてゐる。かなり精緻な再現ができるらしい。微妙な色の違ひもきちんと再現してしまふらしい。PC上での色の再現に関はる技術的な進歩が大きいのであらう。ならば梅の襲の紅梅の微妙なグラデーション(もどき)も再現できるのであらうか。それにはこれらが数値化できるといふこと必要なのであらうか。例へばFF0000のやうにカラーコードで表せるのか、である。たぶんかういふ処理方法だと、この十六進数から漏れる色は再現できないであらうから、あの襲の色目をPC上に再現するのは難しいのではないかと思ふ。他の方法はあるのか。あるかもしれない。しかし、個々のPCのディスプレイはまた個々で違ふ。十六進数を全く同じ色に再現できるのかどうか。 さういふことを考へてゐると、結局、PC上で色を再現するのはかなり難しい、ほとんど不可能ではないかと思つてしまふ。辞書や図録の襲の色目は見るからに 悪さうで、信用できない。そしてPCもあやしいとなると、信用できるのは、やはりかういふ著者がきちんと色校正をしてゐるであらう書しかない、たぶん。本当に「日本の色を知る」ことをしたければ、最後は直接その染色したものに当たつてみるしかない。その意味で、本書はそれに近いのかもしれないと思ふ。できることな ら、実際に、例へば紅梅の襲や桃の襲の微妙な差異を知りたいと思ふ。男でも女でも良い。男なら狩衣か直衣か。そんなのをこの吉岡氏の染めた布で作つて見せてもらひたいものである。それが日本の色を知る第一歩であらう。そこまで行く書物とか展示があつても良いと思ふのだが……。
Posted by ブクログ
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『日本の色辞典』、『源氏物語の色辞典』に続く色辞典、第3弾。
前2冊同様、著者らが染めた色の辞典である。
この本では、布ではなく、紙を染めている。和紙は布より染まりにくく、繊維も切れやすい。が、元本としたのが『薄様色目』(1812年)という古書であり、薄様は手紙やそれを包む和紙を指すため、和紙で再
...続きを読む現してみたとのことである。
上記書は色刷木版が付いていて、色の保存状態もよかったそうだ。ここを手掛かりに王朝のかさね色に迫ってみたのが本書である。現代にも続く、日本人の色彩感覚のルーツを探る試みとも言える。
『日本の色辞典』にも述べられているように、元となる色もそもそも色とりどりである。かさねはそれらを組み合わせたものなので、多種多様な色あわせが可能になる。
色選びは「季に合いたる」が身上とされる。いかにもその季節にあったものを選ぶのが、感性が優れている証になる。
それぞれのかさねには、春ならば「早蕨」、「牡丹」、夏ならば「若竹」、「萱草」、秋ならば「萩」、「朽葉」、冬ならば「枯野」、「松の雪」といった風雅な名が付いている。しかもかさねは同じ名前であっても幾通りもあり、同じ「紅梅」でも着る人・使う人の感性で、濃い色を用いたり、青味のある色と取り合わせたり、自由度の高いものだったようだ。
著者はあるいは元本にしたがい、あるいは自らのこれまでの研究から、元本とは少々違う色を選び、和紙を染めている。
そもそもは現物を多くの人に見てほしいとのことだが、手間の掛かる植物染めであり、和紙を染めたにしろ、布を染めたにしろ、高価でもあるし、大量生産が不可能でもある。次善の策としてこうした本を製作しているとのこと(この本自体もそうそうお安くはないが)。
季節にあった色合わせを考え、色に雅な名を付け、それを染めさせ、鑑賞し、批評する。
そんなことはやはり戦乱の世ではできないよなぁとしみじみ思う。よかれ悪しかれ、これは「暇」「ゆとり」がなければなしえないことだ。
お正月、こんな本を眺めながら、王朝の優美を思うのもちょっとよいかもしれない。
*「紫」と「二藍」はどちらも紫色だが、「紫」は紫根を使い、「二藍」は藍と紅の二色を混ぜたもの。「二藍」は二色を混ぜるため、赤味が勝るものから青味が勝るものまで、グラデーションがある。
Posted by ブクログ
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