作品一覧

  • イエスの意味はイエス、それから…

    イエスの意味はイエス、それから…

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻3,080円 (税込)
    #MeToo運動が起きたことで、いろいろなことが明らかになった。個人的な出来事だとされてきたことが、そうではなかったことがわかった。暴力と見なされていなかったことが暴力だと認識されるようになってきた。セクハラを受けた側が居場所を失い、声を上げたことで社会の期待を裏切る存在となる。加害者の言うことが信用され、被害者の言うことは思い込みとされる。この論理のすり替えはなぜ起きるのだろう。著者エムケは系統だって論じるのではなく、つぶやくように、自問自答するように、暴力とそれが見過ごされるメカニズムを掘り下げていく。子供の頃に言われた言葉、職場での出来事、友人の家で起きたこと……違和感とともに記憶の彼方にあった出来事の意味が明らかになっていく。私たちは、そう思わされているように、無力でも孤立してもいない。暴力を支える仕組みを問い直し、私たちのものの見方、言葉、イメージ、その共有のしかたをひとつひとつ考え、小さな声で世界を変えていく一冊。
  • なぜならそれは言葉にできるから――証言することと正義について

    なぜならそれは言葉にできるから――証言することと正義について

    ビジネス・実用

    4.4
    1巻3,960円 (税込)
    暴力をうけた人は、それを話すことができるだろうか。周囲の人はそれを聞くことができるだろうか。暴力は、日常の「こうであるはずだ」という約束を壊す。世界で生きていく前提が崩れてしまうのだ。だから、何が起こったのかを認識するのにとても時間がかかる。その話を聞いた人も、言われたことを即座に理解することはできない。けれども、暴力は世界中で蔓延し、ある日突然被害者になる人は増え続けている。世界への信頼を打ち砕かれた人が、ふたたび世界へと戻って来られるために、私たちは何ができるだろうか。著者エムケは戦地を取材し、さまざまな人と出会う。そこから、「語ること」「聞くこと」「聞いたことを伝えること」について考えていく。語ることを強いるのではなく、言葉にできないとするのでもなく、「それでもなお語る」ことを探ること。口ごもりながら、断片的に語るとき、そこには空白があり、謎があるかもしれない。だからこそ「それ」は言葉にできる。語りの首尾一貫性ではなく、聞く人が「それ」を聞けるかが、世界への信頼を取り戻す鍵となる。出会った人々の言葉とともに、旅するエムケの生活や思い出が、普遍的な考察へとつながっていく。温かく、深みのあるエッセイ。
  • 憎しみに抗って――不純なものへの賛歌

    憎しみに抗って――不純なものへの賛歌

    ビジネス・実用

    4.3
    1巻3,960円 (税込)
    人種主義、ファナティズム、民主主義への敵意――ますます分極化する社会で、集団的な憎しみが高まっている。なぜ憎しみを公然と言うことが、普通のことになったのだろう。多くの難民を受け入れてきたドイツでも、それは例外ではない。2016年には、難民の乗ったバスを群集が取り囲んで罵声を浴びせ、立ち往生させる事件が起こった。それまでのドイツではありえなかったこの事件は、社会に潜む亀裂をあらわにした。自分たちの「基準」にあてはまらない、立場の弱い者への嫌悪、そうした者たちを攻撃してもかまわないという了解。この憎しみの奔流に飲み込まれないためには、どうしたらいいだろう。憎しみは、何もないところからは生まれない。いま大切なのは、憎しみの歴史に新たなページを加えることではなく、基準から外れたとしても幸せに生きていく可能性をつくることではないだろうか。著者カロリン・エムケはドイツのジャーナリスト。自分とは「違う」存在を作りだして攻撃するという、世界的に蔓延する感情にまっすぐに向き合った本書は、危機に揺れるドイツでベストセラーになった、いまの世界を読むための必読書。

ユーザーレビュー

  • なぜならそれは言葉にできるから――証言することと正義について

    Posted by ブクログ

    強制収容所の生還者、捕虜、強姦、虐待など過酷な体験からのサバイバーが自らの体験を言葉にする大変さ、言葉の重さ、沈黙に触れている。話の文脈もバラバラだったり、言葉に詰まりながらの語りは当たり前で、彼らとそうした体験を持たない聴き手との断絶を意識しながら、彼らの傍らにいて切れ切れの言葉を聴いていく、聴き手の姿勢が問われているし、そこに著者は希望を見出そうともしていると思いました。

    0
    2024年02月13日
  • 憎しみに抗って――不純なものへの賛歌

    Posted by ブクログ

    全体的に当たり前のことを書いているだけなんだけど、具体性と詳細さで細やかな部分まで主張を伝えてくる。当たり前のことに詳細に気づくことの難しさを感じるし、そういうことをきめ細やかに内省させてくれる。そして自分で気づき続けなくてはならないことを教えられる。のだが、こういう本を読む人にはたぶん少なからずその土壌がある。この本に手が伸びない人に、どうやって伝えていくかを考えると気が遠くなるとも思った。
    イスラム教徒を差別することがISの理想(ある限られたイスラム教徒のみを認める過激な信条、ヨーロッパの二分化)を叶える方向に作用するという説明はなるほどと思った。
    多様性のなかにいると落ち着く。それはつまり、他者(不純なもの)の個人が守られているということであり、自分にとって異質なものもまた、自分を安心させるものであるということ。文化的、宗教的なものと世俗的な社会との摩擦に普遍的な公式はなく、つど具体的に観察して慎重に考察する。という言葉にハッとした。

    0
    2022年10月12日
  • 憎しみに抗って――不純なものへの賛歌

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    ドイツクラウスニッツに到着した難民達のバス、アメリカニューヨーク州スタテンアイランドで脱税たばこを売っていたと疑われて警官に取り囲まれたエリックガーナー、共に一方的な他者の憎しみが描かれている。バスの中の難民一人一人の境遇があるにも関わらずな難民として不可視な存在として全てを排除しようとしているのである。かたや黒人というだけで常に恐怖の一旦として疑われ、警察に取り囲まれ命を落としてしまった彼は本当に言葉で言い表すことができない。
    偏った見方をしてしまうアメリカ国内の歴史もあるのだと思うが、現代でまだ起こりうる、起こり続けているこれらの問題に対して個人個人がよく考えて行動をしていくしかないのかなと思いながら読みました。

    0
    2022年06月19日
  • なぜならそれは言葉にできるから――証言することと正義について

    Posted by ブクログ

    それは言葉にできるからとカロリン・エムケは信じる。とても言葉にできない体験も、時間や聞く人への信頼などによって言葉になることもある。聞くこと、伝えることの大切さを説いて素晴らしい。他者の苦しみ、故郷などの体験から語られる文章にも感銘を受けた。彼女の弱者に向ける視線と本質を見極め言葉にする力にこれからも期待します。

    0
    2021年01月27日
  • なぜならそれは言葉にできるから――証言することと正義について

    Posted by ブクログ

    2019年?冊目。(最近レビュー執筆怠り数え忘れた...)

    『憎しみに抗って──不純なものへの賛歌』から注目していたジャーナリスト、カロリン・エムケの新刊(原書の出版は2013年で、『憎しみに抗って』よりも前)。

    年末年始、他に読みたい本がたくさんあるけれど、これは連休中にもう一度読み返さなければいけない...今年の自分にとって、本当に大事なテーマで、消化して整理するにはまだまだ時間がかかる。現段階の雑感だけでも言葉にしておきたい。

    ...

    「言葉にし得ない体験」をめぐる考察。

    極度の暴力や不正に遭った人が失った言葉に対して、どんな言葉も及ばず「それ」としか形容できなくなってしまった体験に対して、著者は「それでも言葉にできる可能性」を信じている。
    だけどこの本は、「言葉にし得ない本人」にではなく、「言葉にし得ない本人の周囲の人々」に向けられて書かれている。もっと言えば、後者の人々が持つべき責務のようなものが語られている。

    「それは言葉にしがたいよね」と、簡単に語れない本人の沈黙に迎合し、変えることも理解することも諦める周囲の人たちの姿勢は、ときに、本人が語り得る可能性を閉ざしてしまうかもしれない。
    語りを無理強いすることはもちろん避けつつも、本人の沈黙に耳を傾けて、その沈黙の背景に思いを寄せ、扉が開くかもしれない兆候を信じて待つ...そういう姿勢を、周囲の人間が持つ必要性を感じた。

    暴力や不正に限らず、「例外的極限状況」を体験した人たちが、なんとかして「それ」を語ろうと口を開くとき、多くの場合、その言葉は混乱している。
    時系列がおかしいかもしれない。何度も同じ話が繰り返されるかもしれない。一見関係のないような言葉が出てくるかもしれない。

    著者はその混乱に、「可能性」を見出しているように思えた。まだその本人が「壊れていない」可能性を。言葉を取り戻せる可能性を。
    なぜならその混乱は、その言い澱みは、その脈絡のなさは、壊れた世界に片足を踏み込んでしまいながらも、もう片方の足は壊れる以前の世界に残っていて、そのズレの狭間で、元の世界の片鱗を取り戻そうとしている証であるから。言い換えれば、その人はまだ、壊れる前の世界を完全には失っていない証であるから。

    混乱が、なかなか手が届かないながらもなんとか元の世界にあるものを取り戻そうとする足掻きの現れ、つまり本人が「まだ壊れていない」証なのだとしても、多くの場合、その混乱に潜む可能性は見過ごされるように感じる。語る本人にではなく、語られ、聞く側の人間によって。
    語る本人がはまっているズレ、支離滅裂さ、言葉選びの不安定さは、「語りの不可能性」として捉えられてしまう。その混乱はときに、「語る側の力量不足」としてさえ捉えられてしまう。

    語る側が混乱を整理する義務を負うばかりでいいのか。語られる側こそが、語りのなかにある混乱に耐え、曖昧さのなかに留まり、早く整理して理解してしまいたい欲求に抗う努力をする必要があるのではないか。
    そうでなければ、語られる側に対する語る側からの信頼は生まれず、語られる側にすらなることなく、語りそのものが起きなくなってしまう。

    ここ数年、ずっと「ネガティブ・ケイパビリティ(性急な答えに飛びつかず、曖昧さや不可解さの中にとどまれる力)」の重要性をあちこちで感じてきた。語られる側が持つべき「語りの混乱への受容力」は、まさにネガティブ・ケイパビリティの一つだと思う。
    来年、本格的に追いかけたいテーマ。

    この著者は、ジャーナリストというよりも思想家のような印象が強い。読み手を恍惚とさせる筆の運びは、アーティストですらあると感じる。政治的・地政学的なメカニズム以上に、人間心理のメカニズムに迫る人であるとも。とにかく、今とても気になる人。

    0
    2019年12月28日

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