§純情で可愛らしい子供達の世界
1.購入動機
某有名通販で紹介されていたのであまり考えずにポチった。大体どんな読者層をターゲットにしているのかすら皆目見当がつかないままでだ。
2.ストーリーの感想など
まだ漫画版(本書)第1巻を読み終えた時点での感想。純情で可愛らしく、節度があり爽やか。既に他所で指摘している方も居られるが、トランスジェンダーの問題では無い。
幼い子供には性差が無く、それが10歳頃の第二次性徴の始まりと共に、急変するお互いにまだ恥じらいを直ちには感じ得なかったり、突然感じ始めたりする、これが思春期の前期だと思うが、高校生では奥手だ。
そういう第二次性徴期の話題では「はいからさんが通る」で終盤、ヒロインのやはり幼馴染の美しい女形「蘭丸」の身長が伸び、その中身は男らしい体格に変容している事にヒロインが驚く件に似ている。
女の子の自宅の部屋や学校の密室で二人っきり、そこで無意識に胸元をチラつかせたりと、大人考えでは冷汗物のきわどい場面でもあるが、今時あり得ないと思える程子供らしくて可愛い思春期の子達の世界である。
最近リアルで地方都市の男女共学の高校生達と若干触れ合う機会を得たが、そこで年上の友人は「今の高校生にしてはなんと純情で可愛い」と言う。私達大人が考えているより実際の子供達はまだまだ純情なのかも知れない。
ヒロインと相手役の霧島とその妹は「タコピーの原罪」の様な貧困やネグレクト*1ではなさそうで、都市部の一戸建て、アイランドキッチン付きのマンションと、広い家に住んではいるが、楽な暮らしでもなさそうだ。
霧島の母は入院中で、忙しい父に代わって兄は甲斐甲斐しく妹の食事の世話をしている。(女子力が高い男の子だ)手まめに作り続ける手製のお弁当を夫婦共働きと思え、両親の帰りが遅いヒロインの昼食のコンビニのおにぎりと交換してあげるとヒロインはとても喜ぶ。
これからの男は外面の強さでは無く、こうした実力と行動を伴った優しさだろう。私にはこの兄がとても良い子に思えた。
また、ヒロインは一緒に昼食を取る相手が欲しかったと言い霧島はそれを続ける約束をする。「食事を共にするという事はその人と特別な関係を結び、その人を大切にする事だ」と私は友人の披露宴でキリスト教の僧侶から伺った事がある。
本作でも若干語られているが、これは実に大切な事なのだ。
ヒロインの生活感は希薄である。霧島を自宅の自室に迎え入れる直前に慌てて部屋を片付けるが久しぶりの親友との再会で積もる話もある筈と思うし、霧島とヒロインの小学生時代はまるで、トムとハック、或いはコナンとジムシーみたいな野生児として描かれていたのだが、ケーム機である。今の子達の遊び方はそうなのだろうけれど。
私にはこれからが楽しみ、ヒロインは既に或いは無意識の内に「私がずっと先に唾つけた彼氏だかんね」式に考えているのだろうが、小姑(霧島妹、良い子だった)あり、天然な恋敵(園芸部の子)ありで多難かも知れない。
深い真剣な内容は表面的には持たず今の所は「毒にも薬にもならない」が、子供らしく可愛く、爽やかで、読みやすい。
今や大家とされる高橋留美子の作品の様な、孤独、身体の障害、困窮、劣等感等を嘲笑い、あからさまな女性蔑視すらもいとわない「虐め笑いの構図」を持たない点は、お子さん向け*2なら当前だが、素晴らしい。
補遺
「毒にも薬にもならない」軽い内容にも見えるが(繰り返すが)相手役の霧島兄が良い。
特にイケメンでも無く、個性的でも無い、見た目ありふれた大人しい子だが、女の子に対する下心や分け隔ての無い優しさを自然に発揮し、巻末近くでヒロインに「君には俺がいてあげるよ」という意味の事を言う。彼の様に弟か妹が欲しかったという孤独なヒロインにはこの上ない優しさだ。不器用なヒロインはそれを「生意気になった」と評するが、それは「優しくなった」と素直に言いにくい照れ隠しで、その辺がヒロインの愛らしさの表現だろう。
カバーに作画の大山氏が書いている「影」。小説家でも漫画家でも映画監督でも、人々の持つ、表面的には中々見えない、心の奥底の、苦しみ、悲しさ、それこそ寂しさに共感した作品作りが大切だと思う。
目指すべきは山田洋次であり、高橋留美子では無い。
*1:ネグレクト:原作小説を読んでいないので、ウィキ等で調べたが、ヒロインは芸能人の隠し子らしく、貧困では無く、広い家は与えられているが子供の数年間に及ぶ一人暮らし(本作中の霧島兄の台詞にもある)=放置、スマホ*3は持っていても私服が粗末なのに合点が行く。立派なネグレクトだ。こうした「家庭環境」の子供達がごくありふれた存在として「ラブコメ」の小説や漫画に登場する現代社会の恐ろしさを痛感する。
霧島兄妹が本当に良い子達だったからヒロインは助かったが、もし悪党だったら?と女子高校生の一人暮らしに、フィクションとは言え恐怖さえ覚える。信頼のおける幼馴染でも、一人暮らしの女の子が安易に男を家に入れてはイケナイ。大変な事になるかも知れない。
*2お子さん向け:どうも成人男性や年長男児向けの「青年コミックス」だった様だ。しかし今の所の本作ならば、キャラクター達と同年配の中高生やそれこそ思春期の入り口にある小学校高学年に与えても良さそうに思う。
男児は心底優しい男性に育って欲しいし、女児もそういう男性を評価出来る様に育ってほしいと願うばかりである。
*3:スマホ:本作では「持っていない方がおかしい」と言われる。本当にそうなのか?此処では詳論しないが、スマホは大昔のSF、ジョージ・オーウェルの「1984年」に出て来た「テレスクリーン」と同等以上に悪質な、人間一人一人を支配階級が、管理、支配するツールであると私は理解している。
また、未成年者を性産業、性犯罪に巻き込むツールでもある。現実社会ではヒロインや霧島妹の様な未成年女性がそうした被害に合い、命さえ奪われている。
滑稽なのはウィキの記事は「テレスクリーン」をスマホになぞらえる事を意図的に避けているフシがある。彼等が一番憎んでいる「共産主義=全体主義」の支配の道具が現実には「資本主義=新自由主義」の支配の道具だったからだろう。
可愛らしい本書であるが、現実の大人社会が子供達にどんな酷い事しているのか心の片隅に置きながら読むべきだろう。