「科学道100冊2021」の1冊。
アレクサンダー・フォン・フンボルト(1769~1859)は、博物学者・探検家・地理学者である。ゲーテやシラーと同時代人。革命家のシモン・ボリバルとも親交があった。
今でこそ英語圏では一般的にはほぼ忘れ去られているような人物だが、後世に残した影響は大きい。フンボ
...続きを読むルト海流、フンボルト山脈、フンボルト山といった地理的な名称にその名を残し、多くの記念碑や公園もその名を冠している。その対象は世界各地にまたがり、実に南北アメリカ大陸からグリーンランド、中国、ニュージーランド、南極、欧州に渡っている。地名だけではなく、300種の植物と100種を超える動物が、フンボルトの名に由来する。さらには鉱物、そして月面にまで彼の名から命名されているものがあるというから大変なものだ。
本書はそのフンボルトの本格評伝。
貴族階級出身で、戦乱が続く時代に、南北アメリカへ旅し、ロシアへも旅したフンボルト。先々で各種標本を集め、最先端の機器で観測も行った。
プロイセン王に侍従として仕える一方、植民地主義を非難し、中南米の革命を支えた一面も持つ。
科学的な姿勢を持ちつつも、書斎に閉じこもるのではない行動派で、熱帯雨林に分け入ったり、活火山の炎を観察したりした。60歳になっても1600km以上、辺境の地を、若い同行者に負けぬ速さで旅した。
当時はナポレオンに次ぐ有名人と目されていた。「科学界のシェイクスピア」とも呼ばれた。
性格は温和で面倒見がよく、困っている人の相談にもよく乗ってやった。年間数千もの大量の手紙を受け取り、その返事を自ら書く筆まめさもあった。
晩年は、大著「コスモス」の執筆に励んだ。最終巻の草稿を書き上げ、世を去ったときには、多くの人がその死を惜しんだ。
彼の一番の功績は独特の自然観を生み出したことである。自然とは多くのものが織りなす「総体」であると見るのだ。個々の生き物をそれ1つだけ切り離すことはできない。すべては相互作用の結果である。
「生命の網(Web of life)」。すべてのものが関連し合い、世界は成り立つ。それは後の生態学につながる考え方であり、自然保護運動の萌芽でもある。
フンボルトの姿勢はダーウィンがビーグル号に乗る背中を押し、ワーズワースやコールリッジはフンボルトの自然観から詩想を得た。ゲーテ(cf:『形態学論集・動物篇』)には、「フンボルトと数日共に過ごすことは『数年生きる』のと変わらない」と言わしめた。エルンスト・ヘッケル(『生物の驚異的な形』)も、『森の生活』のウォールデンもフンボルトの著書に大きな影響を受けた。
さて、それほどの人物であるのに、現在の評価がさほどでない、あるいはほぼ忘れ去られているのはなぜか、ここまでくると不思議なくらいなのだが、著者は2つの理由を上げている。1つは第二次世界大戦後、英語圏では反ドイツ感情が高まったこと。第二には、フンボルトが提唱したのが自然そのものの概念であり、それがすでにわれわれの世界観の一部をなしていて、はっきり「それ」と示しにくいこと。
前者はそれこそ同時代人のゲーテが世界的偉人のままであることを思うと妥当なのかと思わないではないが、後者についてはそうした一面はあるかもしれない。
なかなか読み応えのある評伝である。