『生きるって人とつながることだ!』の作者、福島智さんのお母さま、福島令子さんが書かれた本です。
幼い智少年が眼球摘出から失明し、その後も難聴、さらにまったくの聴覚障害にいたるまで、入退院を繰り返す壮絶な闘病を、母親の視点から描いています。
想像もできない苦難の連続でしたが、つねに明るく、どこかア
...続きを読むッケラカンとした雰囲気が感じられるのは、令子さんのお人柄のおかげでしょうか。
たとえば、こんな描写があります。
子供の頃から飲み続けてきたクスリに不信を抱くようになった智さんが、一日一食の玄米菜食で、10キロのランニングをする治療法を試みようとしたときのことです。
全盲で、難聴も進んでいた智さんは、伴走なくしては走れません。
伴走とはいえ、令子さんは10キロ走れませんから、腰に紐を縛りつけ、自転車で引き、智さんを走らせました。
知らぬ人が見たら、あれ、何やっているんや? 犬の調教みたいやな、と思ったかもしれない。
人に見られるとちょっとはずかしい気もしたけれど、しかし今はそれどころではないという気持ちの方が強かった。
お住まいのある神戸は坂の町です。
でこぼこの土の道もあり、上り下りが激しい。少し走っただけで私はもう弱音を吐く。
「しんどいわ。もう休もう」
「何言うとるんや。あんた、自転車やろが! 僕は走っとるんやで。僕のほうがしんどいに決まっとるやないか。だめだ。まだ10キロ走ってない」
悲壮な気持ちで、一日10キロ走ろうとしているのに、二人のやりとりは、ボケとツッコミの漫才みたいです。
全盲ろうとなったあとのコミュニケーションは、点字タイプライターで言いたいことを打ち出し、智さんに渡す。それを読んだ智さんが答えるという気が遠くなりそうなコミュニケーションです。でも、どんなに息子が不憫だと思っても、言うべきことははっきり言うのが令子さん流です。
私—さっきのあんたの態度はまったく人を馬鹿にした、無視した失敬な態度です。いくら母だとて許しません。それでは立派な人にはなれません。(略)
智—おかんの態度で腹が立つのは、まず説明をしてからでなく、何も知らせずにただ動作——それも原始的、かつ不明瞭——だけで、自分の意志を伝えようとすることである。
指点字というコミュニケーションの考案も、この遠慮のない「あうん」の呼吸があってのことだったのだと思います。
病院に出かける直前、支度のできていない母に「まだ準備できとらんのか。はよせな、病院に遅れるやないか」
偉そうな物言いの息子に、なにか言い返してやりたいと思っても、点字タイプライターを打っている時間はない。そのとき、とっさに、智さんの手を取り、人差指、中指、薬指の六本の指を、点字タイプライターのキーに見立てて、打ったのが指点字のはじまりだというのです。
私は、その後ゆっくり、はっきりと智の指に点字の組合せでタッチした。
「さ と し わ か る か」
智は即座に、「ああ、わかるで」と答えた。それまで文句を言っていた智がにこりとした。通じた!
指点字が生まれた瞬間でした。