本を選ぶときに見ていく順番は、まずタイトルが気に入るか、好きな作家さんや興味のある作家さんか敢えての挑戦か、表紙が好みか、裏側のあらすじのようなものに好みの内容が書かれているか、手頃な厚みであるか。
この本は、最後の厚みがわたしにはやや分厚く、むうと唸りながら棚に戻す手に取る戻すを何度も繰り返し、い
...続きを読むい加減怪しい客に見えるんじゃないかとキョロキョロして余計怪しくなりながらレジに向かった思い出のある一冊です。
11歳の少女ふたりは、4歳の幼女を殺してしまう。
ひとりは裕福な家庭で育ち、ひとりは貧しい家庭に育つ。
別々の矯正施設へ送られたふたりは、二度と出会うはずではなかった。しかし、はじめての出会いのように再会も突然やってくる。
少年犯罪を犯した人間の更生物語などではなく、ふたりの女性が運命に流される物語とでも言えるだろうか。
タイトルにある邪悪な少女というのは、勿論殺人を犯したふたりの主人公のことだろうが、本当に邪悪なのは誰なのかと思わせる。
少なくとも主人公のふたりではないはず。
無責任な親、妹を押し付けた姉、主人公ふたりの周りにいるろくでもない男たち、平気で手のひらを返すひとたち、彼らは何も悪くないのだろうか。
少女ふたりが殺人を犯すまでの過程が描かれているし、ここが肝腎なところだと思うが少女ふたりの心象描写が甘い気がする。何というか、少女らしくないというか、少女の気持ちが描ききれていないというか。
矯正施設での描写も殆どなく、もっとそこを描いて欲しかった。
この事件があって矯正施設での時間があるからこそ、女性となったふたりの運命の残酷さが際立ってくるのだから、ふたりの差異をしっかり描いて欲しい。
イヤミスというようなことをどこかで読んだが、イヤミスとも違うと思う。
少女が殺人事件を犯し、成人してからも事件が起きているのでいい気持ちになるはずもないけれど、ドロドロした悪意を主にするイヤミスではないと感じる。
ラストの好みも別れるところだと思うが、わたしはこのラストに救いを感じた。
他の手段が取れるならその方が良かったのだが、他の手段を取れないところこそが運命なのだから。
ここまでページを使いながら女性となったふたりと事件に比重が置いてあるところと、タイトルと内容がそぐわないところ、イヤミスという妙な噂のようなものに惑わされるところが残念だ。