冲永宜司作品一覧

  • 心の形而上学 ジェイムズ哲学とその可能性
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    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 【内容紹介・目次・著者略歴】 心とは何か? 機能主義、経験主義、超越性、プラグマティズム、大脳生理学など、「心」をさまざまな角度から、検証する画期的な書。真理、経験、霊魂、超越的経験、実在、意識、宗教、神秘、偶然などなど。われわれの「心」の不思議に迫る。 【目次】 序 第一部 「思考の流れ」の成立から「純粋経験」へ 第一章 意識と物質の存在論 第二章 心粒子と「思考の流れ」 第三章 純粋経験の特徴と問えない領域 第二部 「経験」と心の形而上学的諸問題 第一章 自我の内なる視線と意識流 第二章 機能主義と意識、自我 プラグマティズムの視線 第三章 機能から経験の実在論へ 第四章 内的特性の位置 第五章 「新しさ」の形而上学 第六章 「この私」はなぜ存在するに到ったか 第七章 「私」枠と存在の「神秘」 経験への回帰によるその「解決」 第八章 「この私」の唯一性とその消去 第三部 超越的経験と心の形而上学的諸問題 第一章 超越的経験とその理解 第二章 心の存在と真理概念 第三章 心と霊魂 意識の辺縁から心霊研究へ 第四章 純粋経験と空の経験 第五章 虚無の根拠の無効化 純粋経験への途上にある具体的条件 第六章 純粋経験と空の理解 冲永 宜司 1969年生まれ。哲学者。帝京大学教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は、哲学、宗教哲学。 著書に、『無と宗教経験』『始原と根拠の形而上学』などがある。 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 無と宗教経験 禅の比較宗教学的考察
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    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 【内容紹介・目次・著者略歴】 「無」という概念を、自己否定の徹底が自ずから根底的な自己肯定へと至る事態と見做し、主に禅を題材にして意味、言語、意識などの角度から人間存在の根源事象を探った野心作。禅の原典テキストまで遡り精確な文献解釈を行いつつも、そこに表れるものを宗教経験の事柄として生きた姿を吟味、さらに西洋神秘主義など他の宗教経験との比較を通じて禅の特殊性と普遍性を浮き彫りにする。 【目次より】 序論 本書の目的 第一章 肯定としての無 禅言語の二つの次元 はじめに 第一節 牛頭宗における「無」 第二節 無が無でなくなる構造 第三節 即非の論理と空の次元 おわりに 第二章 禅言語の逆説構造 ウィトゲンシュタインの規則論を手がかりに はじめに 第一節 問いが発せられる条件 第二節 対法と事物一般の相対化 第三節 意外性の感覚 おわりに 第三章 宗教経験と悟り ウィリアム・ジェイムズと白隠との比較から はじめに 第一節 ジェイムズにおける「意識の神秘的状態」 第二節 「実在の感覚」と見性 第三節 「無」についての諸解釈 第四節 実在性の空解 おわりに 第四章 見性の心理構造 白隠を中心に はじめに 第一節 見性に先行する条件 第二節 見性の諸特徴 第三節 自らを信じるという問題 第五章 臨済の「無事」について 悟りと空の経験 はじめに 第一節 開悟の経験の内実 第二節 絶対無と空 第六章 禅と本覚 『大乗起信論』における所説をめぐって はじめに 第一節 『大乗起信論』の本覚思想の内容 第二節 本覚と頓悟との関係 『起信論』から禅ヘ 第三節 空寂知としての頓悟 宗密の荷沢禅解釈 第七章 荷沢神会の「衆生心」について 禅における自然と頓悟の問題 はじめに 第一節 荷沢神会における「衆生心」の概念 第二節 禅における頓漸の実際 おわりに 付論 デウス・空・救済 不干斎ハビアンの思想について あとがき 初出一覧 参考文献 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。 冲永 宜司 1969年生まれ。哲学者。帝京大学教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は、哲学、宗教哲学。 著書に、『無と宗教経験』『始原と根拠の形而上学』などがある。

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