【感想・ネタバレ】無と意識の人類史―私たちはどこへ向かうのかのレビュー

あらすじ

新型コロナウイルスの出現、大規模災害をもたらす気候の激変と温暖化、グローバル資本主義による格差と分断・・・
人類は「拡大・成長」と「不老不死」の夢を未来永劫、追い続けるのか。
地球規模での「第三の定常化」時代に向かう現在、人類が「無」をどう捉えてきたかを遡りつつ、私たちの世界観、生命観、死生観の在り方を壮大なスケールで問いなおす。
人口減少・定常型社会の社会保障、コミュニティ、死生観、哲学等、ジャンル横断の研究・発言を続けてきた第一人者による人類史への気宇壮大なアプローチ。

[第一の定常化]ホモ・サピエンスの増大 →転換1「心のビックバン」
[第二の定常化]農耕と都市の拡大 →転換2「枢軸時代/精神革命」
[第三の定常化]近代の進歩 →転換3「地球倫理」へ
人類は新たな「生存」の道への転換を図れるのか?

「狩猟採集社会や農耕社会それぞれの拡大的発展において、それが資源・環境的な制約にぶつかった際、人間はそれぞれ『心のビッグバン』『精神革命』という大きな意識転換あるいは従来になかった思想ないし観念を生み出し、…新たな『生存』そして『創造』の道を見出していったのだ」(本文より)

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Posted by ブクログ

中身を消化できてはいない。けど、「環境、経済、社会」と哲学に加えて物理学という普段統合して考えてこなかったことを書いてくださっている。
何か明示的な結論が与えられるものではないが、これから思考する方向性に広がりをくれた本。
またいつか読み直す必要が出そう。か、広井先生の続編を読むだろうな。

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2023年10月28日

Posted by ブクログ

エントロピーの増大に抗い、外に開放されながら、「定常的」であること。

エントロピーと自己組織化の奇跡的な均衡が、人間の体という境界線で起こっているということなのか!

さらには、
一個の人間を基軸にしたとき、その内側、つまり器官から細胞、分子に至るまで、同様のことが起こっており、その外側、つまりコミュニティから社会、地球、宇宙に至ってもまた、同様のことが起こっているのだ。

複雑極まりないことを、シンプルに解き明かし、まるで「解った!!」かのように勘違いさせてくれる、この手の本が大好きだ。

ここでは書ききれないほどの無数の「アハ」体験。
この本はヤバい。

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2022年01月23日

Posted by ブクログ

まず、この先生が取り上げているテーマが普段自分が考えていることが多く、考え方も自分とよく似ていることに驚かされた。
取り上げられている事は、有と無について、宇宙誕生レベルの大きな視点からの人類史(ビッグストーリー)、死生観についてなどであった。
これらのテーマについて自然科学、人文科学、宗教をミックスして統合して論じていた。
現代社会は消費と生産を拡大していく資本主義の限界に直面しており、それは地球の有限性からくるもので、今後拡大路線から定常状態に移っていくこと、その際に物質的な生産ではなく精神的な創造に移っていくだろうという意見には納得させられた。現実にも、日本においては車や家電などが大きな物があまり売れなくなっているようだが、逆に映像、ゲーム、本などのコンテンツの消費は増えているように思う。デジタル技術の発展もありものよりもデータの時代となるのではないか。また、個人や自我を強く持つ生き方を超えて、コミュニティーや更には世界を成り立たせている根源的なものとの繋がりが回復されていくと論じていた。
死生観については生と死を区切られたものと考えず、死と生を統合していくことや、生と死の間にグラデーションを持たせることを提唱していた。これは終末期医療も診ている身としては納得できる考えであり、人生の最後の時に死を受け入れていく時間が必要と考えるし、死に向かっていく着地の時間を設ける事は良いだろう。また、実際にそのようになっているようにも思う。死を避けるべきものと考えず、人生の一つの過程、根源的なものの中に帰っていくことと捉える事で、死に肯定的に向き合えるのではないかと感じる。
本書は著者の今までの仕事のレビューというようなところもあり一つ一つの論点に深入りしていないところもあったので、気になる項目については以前の著書も読んでみたいと感じた。

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2022年01月11日

Posted by ブクログ

広井良典(1961年~)氏は、東大教養学部卒、東大大学院総合文化研究科修士課程修了、厚生省勤務、米MIT客員研究員、東大先端科学技術研究センター客員教授、千葉大学法経学部教授などを経て、京都大学こころの未来研究センター教授。専攻は公共政策、科学哲学。社会保障、医療、環境、都市・地域等に関する政策研究から、ケア、死生観、時間、コミュニティ等についての哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。
私はこれまでに著者の『死生観を問いなおす』(2001年)、『ポスト資本主義~科学・人間・社会の未来』(2015年)等を読んできたが、前者で書かれている「輪をなす時間/重層的時間モデル」(生は生で完結。“現在が永遠”)という死生観、後者における、資本主義が行き詰った今、我々が目指すべきは、過剰の抑制、再配分の強化・再編、及びコミュニティ経済の展開に基づく「定常型社会/持続可能な福祉社会」であるという主張、いずれにも強く共感したことから、著者がそれら一連の著作の到達点と位置付ける本書も手に取った。
本書では、まず、今日において、“現代版「不老不死」の夢”の議論が活発になっていること(脳の情報すべてを機械ないしインターネット上にアップロードして永遠の意識を実現するという「意識の永続化」と、老化を止めるという「身体の永続化」)、及び、新型コロナ・パンデミックや極端な気候変動のような、人間の行う経済活動の規模が自然環境や地球の許容度超えたために生じたと考えられる現象が増えていることを挙げ、前者は「生(個人の人生)の有限性」、後者は「地球環境や生態系の有限性」、即ち、いずれも「有限性」というテーマが、我々人類に突き付けられているのだという。

著者の考え方のフレームワーク・概要は以下である。
◆人類は誕生以来、狩猟採集社会前期までの拡大・成長の後、約5万年前に成熟・定常化(定常化①)へ移行するが、その時に「心のビッグバン」(自然新興)が起こった。また、農耕社会への移行に伴い再び拡大・成長するが、BC5世紀頃に成熟・定常化(定常化➁)へ移行し、その時に「枢軸時代/精神革命」(仏教、キリスト教などの普遍思想・宗教の誕生/)が起こった。「心のビッグバン」と「枢軸時代/精神革命」は、「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していた。そして、約300~400年前に産業化(工業化)社会に移行したことに伴い、再度拡大・成長してきたが、その限界に達した現在、我々は第3の定常化(定常化③)の入り口にいるのではないか。そして、そこで生成される新しい思想・価値原理とは「地球倫理」と呼べるような世界観ではないか。
◆「無の人類史」という観点から見ると、人類誕生以降「有と無の未分化」が続いた後、定常化①に「無の自立」、その後の拡大期に「無の「異世界」化」、定常化②に「無の概念化・抽象化」、そして直近までの産業化(工業化)による拡大期に「無の排除」が起こった。そして、定常化③においては「有と無の再融合」が行われる(べきな)のではないか。
◆そして、上記の1点目が「地球環境や生態系の有限性」を、2点目が「生(個人の人生)の有限性」を、それぞれ、ポジティブな形で乗り越えていくための考え方である。

読み終えてみると、死生観をめぐる哲学的・理念的な議論と、地球環境の有限性、定常型社会、人類史といった社会的な次元の議論とが混じり合った幅広い内容となっているが、著者の他の著作同様、ロジカルかつ丁寧な論理展開により、わかりやすく、かつ納得性の高いものとなっている。
著者の「我々(個人および社会)はどこから来て、どこへ向かうのか」についての思索の到達点を示す力作といえると思う。
(2021年6月了)

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2021年06月09日

Posted by ブクログ

歴史、哲学、物理学を駆使して「無」あるいは「死」について考察していく本。現在は人類史の3回目の「成長・拡大」からの「定常化」の時期にあり、その先の「無」は何なのかを考える。生と死は断絶したものでなく融合していて、認知症はそんなファジーな位置にあると。
なかなか理解し難い部分もあったが、宗教、文明、環境さらには「火の鳥」「アマテラス」などを引き合いに説明を試みてくれている。

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2023年12月30日

Posted by ブクログ

死とは、生とは、有とは、無とは…?哲学的な問いに対して学問的見地から迫ろうとする本。ちょうど1週間前に読んでたシュレディンガーの生命とは何かが引用されていたり、仏教「超」入門に書かれていた思想に通ずる考察があったりと、最近読む本の話題・興味としては近しいものだった。生と死の連続性はなんとなく分かるが、有と無の連続性は結局ポイントがずれていた気がした。定義の問題になるのでは…
老年的超越という概念が面白かった。

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2023年09月26日

Posted by ブクログ

この本を読むきっかけは、雑誌「ひらく」の連載を読んでいて知ったということです。
著者の本は少々読んだことがありましたが、ずっといい続けてきたことが、一応この本で一定の整理がついたようです。
最後に書いていますが、コロナ禍で、執筆する時間が取れ、筆が動いたと。
イントロダクション 生の有限性、地球環境の有限性
第1章 無と死を考える時代
第2章 有限性の経済学
第3章 超長期の歴史と生命
第4章 無の人類史
第5章 「火の鳥」とアマテラス
第6章 有と無の再融合
エピローグ 時間の意味
あとがき
著者は高校時代から「生きる意味」を深く掘り下げ考えるということの重要性を感じ、大学、研究生活と続き、母の痴ほう症など色んな経験の積み重ね、また、人との出会いでこの本が書けたということだ。
無から有そして無、しかしながら「無」はただ単なる「無」ではなく、意味ある「無」にすべく、どれほど有意義な「有」を過ごせるのかが重要なポイントのようです。

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2022年03月14日

Posted by ブクログ

2021.61
うちのアカデミックボートに参画していただいてる広井先生の新著。
・幸福は風土的なもの。死生観。
・自然とのつながりにより超長期的時間軸を得られ、その結果、今一瞬を生きれる。
・地球倫理の登場と個人の変容の必要性。

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2021年09月09日

Posted by ブクログ

 文明は進歩を遂げたが私たちはどこへ向かうのか。人類史は狩猟採集、農耕社会を経て産業革命以降の成長社会へと移った。  
 環境問題や格差の拡大が限界を示唆する。「第三の定常化」を提唱し持続可能な社会への転換を説く。経済成長の呪縛を超え無や意識の深化を重視する時代へ。量から質へと価値観を転じることで私たちは新たな豊かさを見出せるのではないか。
 未来を考える視座が今求められている。難解だぁ~!


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2025年02月25日

Posted by ブクログ

思っていた様子と違ったので、途中で何回か断念しそうになりました。話題の内容はあらかた入っているので、人新生みがあるのですが、個人的に展開する論理は空中戦のような印象を持ちました。それぞれの情報はいいものが多いので、ここに自分自身で考えるための話題収集にはとても良い気がしました。

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2024年07月01日

Posted by ブクログ

 人類史における拡大・成長と定常化のサイクルは、3つのフェーズに分けられる。
 それは、狩猟採集社会、農耕社会、そして産業化(工業化)社会である。各社会では、成長の後、定常化するまでに、人の意識にはそれぞれ変化があったのだとか。
 狩猟採集社会では、心のビッグバンがあり、人間のこころという固有の領域が生まれた。農耕社会では、枢軸時代/精神革命があり、キリスト教などの普遍宗教が生まれた。
 そして、産業化(工業化)社会では、地球倫理という考え方が生まれた。つまり、地球資源や環境、人間の寿命は有限であることを意識し、宗教の多様性を理解しつつ、それらの根底にある自然信仰を積極的にとらえていくということだ。
 しかし、それだけでは不十分であり、もっと超長期つまりビッグヒストリーを考えないと駄目なんだ。宇宙の誕生、いやそれ以前からの歴史を考えないといけないというから、なんとも壮大な話である。
 

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2024年01月03日

Posted by ブクログ

自分の凡庸な頭には、スケールが大きすぎるし、哲学の話はピンとこないし、抽象的すぎてよくわかりませんでした。

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2021年07月10日

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