感情タグBEST3
Posted by ブクログ
技術者らしいぶっちゃけた書きぶりは、時にポリティカルに危うく感じられるところもあるが、それが著者の言わんとするところを飲み込みやすくもしている。「AIを完全に信用するわけではないが、人よりはまし」。この気分(あるいは事実)と我々はどのように向き合っていくべきか。様々な話題を提供しながら、真っ当な議論を展開している。
Posted by ブクログ
AIが生活に組み込まれているのは間違いない事実で、どう向き合うかを考えさせられた。機械に出来ることは機械にやらせて、人間は人間しか出来ない仕事をするべきとはよく言われることだが、この本は人間しか出来ない仕事は無駄な仕事を生み出すことと言い切っており、人間の仕事の価値を鋭くえぐっている。考えることから逃げ出さずに、どうAIと向き合い付き合っていくかを真剣に考えるべきと感じた。
Posted by ブクログ
実に鋭い。
主張が正しい、間違い以前に、視点と着想が鋭い。
「人の無駄な仕事を考えつく能力は圧倒的(よってAIに仕事を奪われることはない)」
「よい君主のもとで奴隷でいることほど楽な生き方はない」
には完全に同意。自分がそう生きることはないけど。
AIをシステムやサービスとして提供しようと考えるなら、この本で問われていることにどう答えるのか、考えておく必要がある
そんなこと考えてもしょうがない、とかそれを言い出したらキリがない、などと言い訳する連中にAI(というか技術)を語る資格はない。
Posted by ブクログ
AI化が進む社会に対しての考察。
いたずらに個人の責任をあげつらうといった精神論ではなく、時代の流れや社会の要請の面から考えているのが新鮮だった。
著者個人としては失敗しても自分で決めたい、と述べている。しかし、今を生きる「失敗が許されない世代」に対してAI化が進む(判断を委ねる)事は仕方なく、そういう社会を作ってきたのは著者含めた先の世代の責任だとも記している。
それでも、文学(SFやアニメなど)を用いながら、このままAI化を進めていいのか考えましょうと呼びかけている。一度進めてしまった、あるいは手に入れてしまった便利さは手放せない故に。
Posted by ブクログ
人間の、感情やバイアスに支配された不合理な判断よりもAIの判断に委ねる機会は今後増えていく。物心ついたときからAIがいる人が増えるのだからなおさら。
一方でAIに判断基準を教えるのは人間。例えば自動運転時の衝突回避で歩道側にハンドルを切るのか対向車線側にハンドルを切るのか、といった重い判断と責任を負う場面が出てくる。
人間はいつか思考から逃げ切るのか、それが人間にとって幸福なのか。
Posted by ブクログ
洗濯機の発明で洗濯が、電卓の発明で計算が、
車の発明で移動が楽になった様に、AIの発明で
考える行為が楽になる(解放される)。故にAIは
積極的に活用した方が良い。
但し、AIに依存し過ぎると人間のコアコンピタンスである『考える力』が衰える(思考からの逃走に
繋がる)ので意思決定は自分でしたい。
専門的な言葉が利用されていて、分かりづらい箇所も一部ありますが、新たな気付きがある面白い本です。AIについて興味がある方にお勧めです。
Posted by ブクログ
AIが自ら思考するよりも最適解を出してきた世界で人間はどう生きるのか?
今後、予想できないくらい確実に進化していくChatGPTが既にある中での自分の存在意義は?
Posted by ブクログ
考えることを多くの人がやめなければAIに操られることはないけど実際AI社会になってしまったら私も考えることを放棄しそうで怖くなった
常に考える自分を信じる
Posted by ブクログ
AIとの現実味のある付き合い方を考えることができて良かったです。
そもそもAIがここまで盛り上がったのは「ものごとの決定の責任をなにかに押しつけたい」というニーズがあったからだ、という因果関係は今までに自分にない認識でした。
そのニーズはネットの普及で選択肢が広がりすぎたこと、さらにSNSの普及で失敗が許容されない社会になってきたことからきているとのことで、まさにその中を生きてきた世代としては納得させられるものでした。
本の中で繰り返されていた筆者の主張は、「たとえめんどくさくてもAIについて知って、実装者に全てをコントロールされないように意見を形成していこう!」というもので、とても現実的でスッと入ってくる内容でした。
長期的なものごとをじっくり調べる時間はやはり必要。暇をしっかり確保して、テクノロジーの駒にならないようにしたいと思いました。
Posted by ブクログ
大学の情報学部の教授の著作。
最近の学生の気質から、AIが台頭してくる近未来を予見する。
「社会の舵取りをAIに任せるのがいいのだろうか? それを本書で検討していきたい。」
それが本書のテーマであり、結論としては、タイトルに反して、
「AIの思考が今後どんなに人間に優越することになっても、私たちは考えることをやめてはいけない」
と、思考からの逃走に警鐘を鳴らす。
凡そ、予想のついた内容ではあるが、日ごろから若い学生たちと多く接している教授という立場から、なぜ昨今の学生は考えることをしないのか、それは何に原因があるのかを、分かりやすく解き明かす筆致が見事で、読みやすい。
曰く、失敗が許容されない洗練された社会の仕組みに因があり、失敗を繰り返す試行錯誤の先にあるイノベーションを、いきなり求めるのは無理がある。
そもそも、人間(の多く)は、創造的な思考、あるいは意思決定が苦手であると著者は記す。
「進学でも就職でも結婚でも運転でも、相当いろんなことを間違える」
なるほど多くの学生の例を見ていて、実際に思うところであろう。
そうなると人間は、苦手なことを道具に頼ろうと考える。
「面倒なことを外部化したいという人間の業は、深く濃い」
故に、道具や機械などの技術は果てしなく発展し、考えつくものはあらかた外部化し尽くした先にあるのが「思考」、その外部化ということになる。
「最後に残った大物が思考である。これを外部化できるキラーアプリケーションがAIだ。だからAIは重要なのである。」
なかなかロジカルな展開で読みやすかった。
そして、最終的には、AIは、今後の社会には重要かつ必要であるとしつつも、
「AIの思考が今後どんなに人間に優越することになっても、私たちは考えることをやめてはいけない。」
と、若者に未来を示す立場にある教育者としての啓示を忘れない姿勢がよい。
なかなか考えさせられる一冊だ。