あらすじ
革命の進行するさなかに書かれ、理性を絶対視した革命政府の過激な改革を宗教、財政、軍事面にいたるまで痛烈に批判。その後の恐怖政治とナポレオンの登場までも予見した。ホッブズ、ロックに連なるイギリスの政治思想における重要書目であり、のちに保守主義の源泉と呼ばれるようになった歴史的名著。
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Posted by ブクログ
多分あまり語られない視点からの感想。本書の訳者もこの視点には特に触れてない。
本書は保守主義の源泉らしい。私は保守とか革新とか詳しいことは分からないし、エドマンド・バークについても何の知識もないので、そのまま特定の思想こだわらずに読んでみた。するとここに書かれてることの要点を一つに絞ることができた。それは彼は「社会の白紙化」を批判したのだということ。社会を改革する際、いったん今ある社会を全部破壊してまっさらにする。その後に理想的な社会を建設する。それは必然的に超巨大プロジェクトになるけど、このようなアプローチを無謀かつ非合理的だといって批判した。フランス革命を見てみるとその際暴動、殺人、教会荒らしなどが多発、政敵や教会の評判を落とすためのプロパガンダが多用され社会は紊乱した。バークは国民議会の裁判制度を批判し、これは悪用され異端審問のようになるだろう、それはフランス国民にとって史上最悪の恣意的な専制主義が蔓延するだろうとその後の恐怖政治まで予測。しかし、彼が批判したのはフランス革命だけど、今となってはそれは表向きで、フランス革命に限らずそのような社会の白紙化を実施しようとする改革すべてに当てはまる普遍的な批判で、ここにこそ本書の価値があると思う。保守とか革新とか右とか左とか関係なく。特定の思想のバイブルみたいな扱いだったらここまで読まれてなかっただろうし、読者は意識しなくても社会の白紙化が無謀で非合理的な改革だと納得する人が多かったのだろう。
もちろん保守的な思想、世襲の王を残しつつ議会と共存させることの利点を述べてはいる。しかし、絶対王政の擁護者ではないし、合法的な王位の世襲つまり立憲君主制を支持しており、自分達イギリス人の自由が永続して守られ、神聖なものとして受け継がれていくことが大事だと述べており、自由を守るどころか暴力と略奪と迫害に至った革命には賛同できなかった。紆余曲折を得て立憲君主制にたどり着いた自国の王と歴史に敬意を表しており、合法的な王は不正ではなく正義であり、悩みの種ではなく恩恵であり、奴隷のしるしではなく自由を保障するものだとしている。恣意的な権力を無鉄砲にふるう行為が問題なのであり、それを制御することは王の有無と関係ない。それなら自由の保障としてどうにかこうにか伝統として続いてきた王を頂いていた方が社会が混乱しなくていい。カール・ポパーは伝統とは正しい記述のために言語を用いるもの(虚偽の抑制と排除)としている『推測と反駁』。であるならこれがなくなったとき社会はどうなるのか、ポパーの主張はバークの主張が真実に近いと思わせてくれる。バークは騎士道精神を例にあげている。
78ページ
(フランスのみなさんは)なにもかも新しく始めなければならないようにふるまったのです。始め方が間違っています。手元にあることごとくを侮蔑することから始めるのは、元手になる資本もなしに商売を始めるようなものです。
119ページ
(イングランドもフランスと同じ様に)その古来の法律と裁判所と法人の、なにもかもが廃止されるべきだというのでしょうか。
174ページ
この革命はまさに、感情と風習と道徳的な意見の革命に他ならないのです。わたしたちのなかにあるすべての尊敬の対象が滅ぼされ、すべての尊敬の原則が破壊されようとしているなら、人類に共通の感情を抱いている人間は誰であれ、それについてひときわ弁明が求められる事態となっているのです。
336
まっとうな改革者であれば、自分の国を白紙とみなして自分の望みを好き勝手に書き込んでいいなどと思い上がったりはしないでしょう。
(白紙と言っている。この批判は哲学者カール・ポパーの社会白紙化批判に近い)
370
フランスの建築家たちは目に入るすべてをがらくたとして一掃し、自国の庭園装飾専門の庭師のようにすべてをまったく同じ水準にならしました。
(フランスの革命家達が政治家というより建築家や庭師に喩えられている)
391
これらの市民と称するフランス人たちがまるで征服した国のように自国を扱っているさまを見逃すことはできません。
573、バークによる原注
国民議会の主要な指導者ラボー・ド・サンテティエンヌ氏は、かれのあらゆる行動の原理を可能な限り明確に表現しています。
「人民を幸福にするには、そもそも人民を改革しなければならない。人民の考えを変え、法律を変え、習俗を変え…略…人間を変え、物事を変え、言葉を変えなければならない。…略…すべてを破壊しなければならない。そうだ、すべてを破壊するのだ。すべてを作り直さなければならないのだ」
(自分を理性的存在であると公言する人の集まり。もうヒステリーにしか見えない)
バークはこのような全部破壊したい衝動がどうして生まれてくるのか分析している。それは、今あるものを少しづつ改正していく方が合理的だが、このような社会の白紙化を目論む人々にはその能力が欠けているからだと。伝統を現在の価値観にあわせて改革していくのは難しい作業だが、革命家にはその能力が欠けていたので、楽な全面的な廃絶と破壊という稚拙な行為に走ったのだと辛辣に批判している。世襲の君主を頂きながら、国民の自由と権利を保障する、これは確かに折り合いをつけるのは難しい、だがそれをやるのが政治家の仕事であって、実現できれば全破壊のような極端に走らずに済むし社会に混乱は生まれない。上にも書いたけどこの批判は別にフランス革命だけに当てはまるものではなく普遍的なもので、現在の私達はフランス革命以降、思想の右も左も関係なく社会を白紙化し、地上に楽園を作ろうとして大失敗した例をいくつも知っている。善意の破壊者は批判されない傾向にあるが、そういう人も批判の対象になる、というかそういう人達こそ批判しなければなならない、という警告を教えてくれる数少ない書物でもあった。私にとって保守主義の源泉やバイブルといった標語は表層に過ぎないと思った。それとよくフランス革命は理性を絶対視し、と言われるが、どう見ても理性に反逆してるようにしか見えない。
ここからはバークですら関係ない話。
哲学者のポパーも社会の白紙化を批判したが、その際このような全部破壊したい衝動がどうして生まれてくるのか分析している。それは、このような政治家は芸術家なのだと。しかもただの芸術家ではなく、天上の理想を見てそれを地上にもたらすことができる偉大な神のごとき者だ。それゆえ画家が絵を描く前にキャンバスをまっさらにするように、芸術家としての政治家も社会をまず更地にする。そうでないと神のごとき巨匠が美しい作品を描けないのだから。じゃあキャンバスではなく社会をまっさらにするとはどういうことか。それは今ある制度や伝統を廃絶しなければならない。彼は粛清し、追放し、退去させ、殺害しなければならない。すべてを破壊しなければならない。そうだ、すべてを破壊するのだ。芸術家としての政治家はこのように歩まなければならない。バークは彼らを建築家に喩えたが、新築を建てるならまず今ある建物を全部破壊する必要があるというわけ。社会や国家は芸術作品と同じで美しくあらねばならない、という考えは容易に暴力的な施策へと至る。そして彼らにはそうするだけの理由と権力がある。巨匠に反対意見など無用、今最高の社会を描き出してやるから黙って見てろ。楽園作りのためには時には人を追放したり反対者を殺害したりしなければならない、いいんだ、許されるんだ、楽園が作られるのだから。計画が巨大すぎてエラーが次々見つかるが、指導者の権力が絶大かつ、莫大なコストを支払って今さら間違いを認めるわけにはいかないという心理も働き悲惨なことになる。飛行機のパイロットが素人でしかも取り換えらえられないというのに等しい。これが楽園作りが毎回暴力だらけになり失敗する理由の一つ。
Posted by ブクログ
自然に形成されたものへの信頼、人工的に形成されたものへの警戒。制度の基礎は歴史の知恵(慣習・文化)や伝統。社会は人工的に作られるものではなく、成長するもの。人間は自然に従い家族を形成した。しかし家族と家族を繋げる自然な契機は存在しないので、法を制定し国家を形成した。国家とは死んだ人、生きている人、まだ生まれない人を共に結ぶ協同体▼マグナカルタ・権利請願・権利章典、世代を超えて多くの人々の努力と工夫によって培われてきた制度や慣習こそ英の国体(constitution)であり、安易な改変に慎重であるべき。慣習の中にある観念(すでに判断されたものprejudice)を拠り所とし、慣習にもとづいて権利として定着しているもの(すでに書き込まれたものprescription)を安易に改変していけない。社会変化は徐々に行われるべきで、過激な変革で社会秩序を崩壊させてはいけない。また、変化はその国の歴史から離れたものであってはならない。祖先を顧みない人々は、子孫のことも考えない▼人間の理性への懐疑。今生きている人間は現在のことしか知らず、理性は時間によって制限されているため、過去と未来の世代によって補われる必要がある。人間は愚かであり、間違いを犯しやすい。古い体制の欠点を指摘するのに大した能力はいらない。しかし、古い体制を保存しながら同時に改革するのは多面的な能力と知性の秘策が必要である▼理念よりも具体的なもの。権利は代々相続されたもので、イギリス人の権利であり、人間の権利ではない。フランス革命の目指す自由や平等といった抽象的・普遍的な理念は挫折する。社会的紐帯の中でのみ自由が可能になる。フランス革命は人間を野生の自然状態に戻す。社会をバラバラにする▼議会では教養ある経験豊かな人間が主導すべき。フランス革命により、いい加減な人間たちが権力を握る。野蛮で凶暴な権力の濫用がはじまり(革新派ジャコバン独裁を予見)、軍において人気を得た者による専制になるだろう(ナポ1帝政を予見)▼代議士は国民全体の利益を追求すべきであり、代議士のつとめは選挙区の利害を代表することではない。代議士は選挙区の有権者の意向に拘束されず、議会において自由に議論できる。エドマンド・バークBurke『省察』1790
※アイルランド出身。ダブリンのトリニティ・カレッジ卒業後、ロンドンのミドル・テンプル法曹院に所属。ウィッグ党(後の自由党、LibDem)の下院議員。アメリカ独立を擁護(ジョージ3批判)。アイルランドのカトリックの権利を擁護。東インド会社の不正を糾弾。自由主義者。
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革新派・左派ジャコバンの政治
●自分たちの方針に反対する人間を次々に処刑。
●無神論者エベール「神はいない、理性を崇拝せよ(理性の祭典)」。
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英国王の存在が、英国民の政治体制への忠誠につながっている。忠誠は利害計算ではなく感情・情緒に訴えるものなので、強固で安定したものになる。伝統・慣習が政治体制の安定に寄与している▼執行(大統領)と立法(議会)が互いに独立している米よりも、執行(内閣)と立法(議会)の連携が強い英の方が政治は安定する▼無知な民衆(多数者)に選挙権を拡大すべきでない。労働者階級(多数者)が政治において団結すれば、自由党・保守党がともに労働者(多数者)の支持を求めて競争し、労働者(多数者)の欲求に応じた政策を行う。教養に対する無知の支配は最大の悪である。ウォルター・バジョットBagehot『イングランドの国体』1867 ※UCL、ジャーナリスト、自由党。
狂人とは理性を失った者ではない。理性以外のあらゆるものを失った者である▼正統とは正気であり、荒れ狂って疾走する馬を巧みに操る人の平衡である。ギルバート・チェスタトン『正統とは何か』1908
保守主義。現存する具体的なものを重視。理念・思弁的なものへの嫌悪。保守主義は進歩主義の出現(フランス革命)に触発され、近代に生まれた新しい思想▼保守主義は伝統に固執するものではなく、過去からの連続性に留意しつつ状況に合わせて変化させるもの▼独ではロマン主義と保守主義が結びついた。知性よりも感情。理性よりも想像力。俗悪より崇高、平凡陳腐よりも神秘、既知よりも未知、有限よりも無限。カール・マンハイムMannheim『保守主義的思考』1927
※ユダヤ系ハンガリー人、LSE
人間は常に誤るということを受け入れ、誤りから常に学ぶこと。歴史は絶対的な法則に従って進むのではない。人間が頭の中で描いた理想主義的・ユートピア的な青写真に基づいて全面的な社会改革をすれば、かならず独善に陥る。改革は現実の社会に即して少しずつ修正を加えながら進めていくもの。カール・ポパー『開かれた社会とその敵』1945 ※オーストリア人、LSE
個人の道義心、神の意図(divine intent)が社会を規定する。最も急進的な体制は画一化をもたらし個人の自由を制限する一方、伝統的な社会生活は多様さと神秘に満ちている。文明社会は秩序と階級を必要とする。個人の財産と自由は不可分である。人は理性よりも感情によって左右されるのであり、自分の意志と欲望を制御しなければならない。社会は緩やかに変わらなければならない。ラッセル・カーク『保守的な精神』1953 ※バークの思想を継承。アメリカ人。
保守主義と自由主義との違い。保守は変化を恐れ、新しいものに対する臆病な不信をもち、政府の権力を使って秩序を維持しようとする。保守が変化を恐れるのは社会(とくに経済)に自生的な調整力があることを知らないからだ。自由主義は市場には自己調整能力があり、それが新たな状況に適応した新たな秩序を生むと考える▼保守は抽象的な理論や一般原則を信用しない。自由主義者は自己調整能力を持つ社会についての理論をもち、その理論から社会が調和するための政治原則が導かれると考える。保守は一般原則をもたず、場当たり的である▼保守は権威に依存する傾向にある。保守は一般原則をもたないため、既存の権威による統治に頼らざるをえない。保守は過剰な政府権力による支配には反対するが、政府の個別の目的に応じて反対するということに過ぎない。保守は集産主義的・統制的な手法には反対する点は自由主義者と同じだが、保守は常に保護主義的であり、農業分野において、しばしば社会主義的な手法を支持してきた。フリードリヒ・ハイエク『自由の条件』1960 ※オーストリア人、LSE
合理主義。理性の権威を除く、あらゆる権威からの自由を提唱。物事の価値、意見の正しさ、行為の適切さを決定する理性の力を疑わない(p.2)。繕うこと、修理すること、素材についての忍耐強い知識を必要とする作業を時間の無駄だと考える(p.5)。自覚的に計画された社会、ベバレッジ報告、ナショナリズム、世界国家などは合理主義の所産(p.7)。ハイエクの自由主義は、社会主義とは別種の政治における合理主義であり、あらゆる計画に抵抗する計画も結局は社会主義と同じ政治のスタイルに属している(p.22)▼保守的であるとは、見知らぬものより慣れ親しんだもの、試みられたことの無いものより試みられたもの、神秘より事実、可能なものより現実のもの、無制限なものより限度のあるもの、遠いものより近くのもの、有り余るものより足りるだけのもの、完璧なものより重宝なもの、理想郷の至福より現在の笑いを好む性向(p.200)▼自由・デモクラシー・正義は長い歴史の中で得られた経験をもとに抽象化されたもの。経験に先立って存在したのではない。抽象的な原理から出発するのではなく、実践の中から習得していく。原理を学べばそれで十分なのではない。理性や抽象的な原則を現実の政治に無理やり適用すべきでない。実践的な政治を重視しよう。政治教育をつうじて、伝統を学び、歴史を学び、模倣から始めよう。マイケル・オークショットOakeshott『政治における合理主義』1962 OX, LSE
フランス革命では「自然人こそが人間らしい」という錯覚によって、物質的な欠乏から弱者を解放することを追い求めた結果、人間の隠れた本音・暴力衝動を解き放ってしまった。ハンナ・アレントArendt『革命について』1963
Posted by ブクログ
「保守」とはなにか、そんな疑問に答えてくれる名著が本書である。著者エドマンド・バークはイギリス出身で、ホイッグ党所属の政治家として長年政治に携わった。ちなみにホイッグ党とは、議会を重視する政党であり、ゆえに昨今の議会政治のあり方を考えるうえで重要な本である。
エドマンド・バークは「保守主義」としてあるべき条件として、①壊さないこと②今あるものをうまく活かす、この2つが大切である。つまり、「革新」のように、全てを一気に変えるわけではないが、かといって、全てのものを変えないわけではない。重要なのは、変えていくべき箇所は適宜修正すべきであり、もし修正した箇所がある場合、慎重に検討を重ねて実行しなければならないのである。段階的に政策を進めていくのが、保守系政治家としてあるべき姿なのである。
また、本書の最後に人気取りの政治、いわゆるポピュリズムに関して批判してるのが興味深い。たしかに政治家にとって、より多くの有権者に投票されることを望む。しかし、そのために政治家同士が不毛に争うのは、国家構築に役立たないと指摘している。
上記以外にも、財政、軍事など、昨今の政治経済に繋がる箇所があるので、今読んでも十分な価値がある。
Posted by ブクログ
革命勃発後わずか半年の段階で、その後の革命の進展をほぼ正確に予言している洞察力にまず大きく驚く。フランス革命のような世界史出来事を同時代で経験すると、まず熱に浮かされたような興奮に包まれてしまって、冷静にモノゴトを見れなくなりそうなものだが、イングランドの老政治家の人間世界に対する眼力の凄さには敬服しかない。
本は、フランスの青年貴族に当てた書簡の形で進む。(実際に出された手紙が元になって出版されている。)従い、章番号や小見出しは原著にはないが、翻訳版では理解を助けるために追加されている。その見出しから。
P397 予言 — 君主政が復活すれば専制になる可能性がたかい。
P453 予言 — いまの司法制度は寡頭政治への道具になる。
P457 予言 ー 国の支配者は軍部から現れる(ナポレオンの出現
Posted by ブクログ
保守思想の古典との評価の高い本書について、バークの思想といった形では良く取り沙汰されているので、何となく知識はあるといった状況ではあったが、漸く完読することができた。
まずもって、本書がフランス革命勃発の一年後、1790年に発表されていることに驚かされた。革命が急進化して、国王一家の処刑、反対派の粛清といった恐怖政治に至ったところを批判していたのであろうと勝手に思っていたのだが、そうではなく、かなり初期の段階から、革命に潜む問題状況を洞察していたことを知った。
国民議会の性格や、宗教、司法、財政、軍事に渡る改革について、その問題点を一つひとつ具体的に解き明かしていく各論も鮮やかであるが、理性万能思想に対する懐疑、伝統を尊重せず破壊に走る傾向性に対する忌避といった骨太の思想に強く感銘を持った。
バークがこのような思想を持つことができた背景には、故国イギリスにおけるマグナ・カルタから清教徒革命、王政復古、そして名誉革命に至る歴史を踏まえた、憲法及び議会制に対する深い思索があったのではないかと、本書全体を通読して学ぶことができた。
つまみ食いではなく、頑張って通読することが、特に古典には必要だと、改めて思ったところである。