あらすじ
【内容紹介】
小澤征爾がヨーロッパ横断したラビットスクーター、日本最古の人気国民車「スバル360」、スバリストが愛するレガシィと四輪駆動と水平対向エンジン、国内でも大人気のレヴォーグ、アメリカで高評価のアウトバック、最新安全技術のアイサイト……原点はすべて「中島飛行機」にあった。
【目次抜粋】
プロローグ
第一章 富嶽
第二章 ラビットスクーター
第三章 スバル360
第四章 水平対向エンジン
第五章 四輪駆動
第六章 田島と川合
第七章 業界の嵐
第八章 アメリカ
第九章 マリー技師の教え
第十章 LOVE
第十一章 アメリカも変わった
第十二章 百瀬晋六の言葉
長いあとがき
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
戦時中には戦闘機を、戦後は自動車を。
日本の工業産業を発展させた中島飛行機もとい、富士重工もとい、スバル。
「私は人を死なせすぎた。今度は人を救う乗り物を作りたい」
創業者の言葉と共に始まった自動車ビジネスは、暗中模索、五里霧中の最中に始まった。誰でも乗れる自動車、長持ちする自動車、環境に優しい自動車。望まれるスペックに応えるために、従業員たちはそれこそ東奔西走の如く、世界を駆け回った。
スバルは昔から好きなメーカーでしたが、メカに強く、環境や人命意識の高い理由は、創業当時からの方針だったのだと、初めてわかりました。
素敵なメーカーです。
Posted by ブクログ
スバルの歴史についてよくわかる本だった。
元々スバルは中島飛行機という国産飛行機会社であった。戦後、GHQにより解体され富士重工としてスタート、飛行機屋としてのプライドと技術を持ち続けながらラビットスクーターやスバル360などを開発した。また、かつて興銀がメインバンクであったこと、日産やトヨタと提携していたことも分かった。四輪駆動が東北電力からの依頼であったことなど意外なエピソードも多数あった。スバルが軽自動車から撤退しアメリカ進出を決めた過程についても知れて面白かった。飛行機時代からの技術力と安全性のこだわりがスバルの強みだ。
Posted by ブクログ
歴史的背景を含めSUBARU(旧富士重工)がどのような変遷たどり現在に至るのかが非常にわかりやすくまとめてある。加えてプリンス/日産プリンスがIHIエアロスペースになったりという航空宇宙防衛に関する相関も学ぶことができる。資料/情報源として非常にわかりやすいと感じるとともに、歴史のロマンを感じられる一冊だった。今後10年で自動車の業界も、航空の業界も大きく変わっていくと思うが、スバルを応援したくなるそんな本であった。
航空宇宙/自動車業界に興味のある方は是非ご一読いただきたい。下手な業界誌などを読むよりも全容がすっきり理解できる気がする。
Posted by ブクログ
モーターショーで空飛ぶ車をスバルが出してたのを当時不思議に思っていたが今さらながら納得
最初の戦時中の話は長いと感じたが後半読むにつれ必要な前振りだとわかった
Posted by ブクログ
⭐︎4.7
まさかアイサイトの原点が、戦闘機だったとは。
というのが、最初の感想である。我が相棒の原点を知ることができて本当に楽しめました。
太田で勤めていたこともあるので、近代史の教本としても楽しめましたし、なんか縁のある土地に縁のある車を手に入れて乗ることができている幸せ。
しかし、中島飛行機・富士重工・SUBARUの会社の歴史は、良いことも悪きこともあり、日本が過ごしてきた昭和の悲劇と勃興。
日本を見るのではなくアメリカを見ての経営に舵取りをした現在まで、知ることができました。
影響されやすい私は、ガンプラ以来何十年かぶりにプラモデルを買ってしまった。トミカでてんとう虫が売ってたのにも驚いたですが。
今のプラモも、一回煮た方がいいのかなぁ。
誰か教えて・・。
子供の頃はよく母に叱られながら鍋にガンプラ入れて煮てましたけど。
Posted by ブクログ
仕事のモチベーションを上げるきっかけにならないかなと思って読んだ。
戦前の軍需企業、多大な借金からの銀行支配と、永らく不自由な経営環境であったことが分かる。それでも偉大な創業者や技術者が築いたアイデンティティのある会社はやはり強い。戦後から約50年間は実質スバル360しかヒットがなくて続いているのだからそう思う。そして、やっと花開いたと思ったらEV化の波。だいぶ運には見放されている会社だ。
もはや国内消費者の方を向いていない会社だとの批判があるが、応援している。結局のところ、輸出産業が輸出で稼いでくれないと対外の購買力が弱くなって貧しくなってしまう。
あとがきの「今のスバルはもう一度、大きな夢に挑戦してほしい。EVや自動運転車ではなく空飛ぶ車を作ってほしい。だいたいスバルが空飛ぶ車を作らなくてどうするのか。他社にやらせていいのか。」はちょっといい言葉。
Posted by ブクログ
戦時中の話は詳しい。中島飛行機は三菱重工と二分する飛行機会社だった。異なる点はフランスの技術を学びそこで安全性重視の考え方を取り入れ、それが、水平対向エンジン、モノコック、アイサイトといった安全技術絵と繋がった。戦後は解体され、一部はプリンス自動車として日産に取り込まれたが、残りの富士自動車は6つ集まってその数でスバルと名付けられた。スクーターからスバル360という軽自動車のヒットを出すが、トヨタが販売店を完璧に組織化するのに対し、自転車上がりの販売店を自動車化することなく、併売店中心のネットワークでうまく立ち上がらない。その中で興銀出身の田島社長が研究開発投資やアメリカ進出の礎を作り、次の財務悪化立て直しのための日産出身の川合が立て直し、今のスバルへとなっていく。この本ではそこで大体が終わってしまい、アメリカでなぜ成功したかについては、日本は出遅れてアメリカしかなかったのでそこに集中したくらいしかなく、そのあとの品質不正問題も背景は全く掘り下げられていない。