【感想・ネタバレ】ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試みのレビュー

あらすじ

「人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した」。歴史学、民族学、そして言語学を綜合した独自の研究は、人間活動の本質が遊びであり、文化の根源には遊びがあることを看破、さらに功利的行為が遊戯的行為を圧する近代社会の危うさに警鐘を鳴らす。「遊びの相の下に」人類の歴史の再構築を試みた不朽の古典をオランダ語版全集から完訳。

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Posted by ブクログ

ヨハン・ホイジンガ(1872~1945年)は、オランダのフローニンゲンに生まれ、ライデン大学の歴史学教授として、広く西欧にその名を知られた文化史家である。1938年に発表された本作品のほか、『中世の秋』(1919年)などの著作を残している。
ホイジンガは、「遊びは真面目な機能を果たしていて、人間文化の本質的基盤と密接にかかわりあっている」として、人類は「ホモ・サピエンス(知恵ある人)」ならぬ「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」であるといい、本書の題名を付けたのである。そして、本書の中で、いったいどの程度まで文化は遊びの現象で説明されうるか、遊びと文化の関係はどのくらい密接かを明らかにしようとしている。
その概要は、まず最初に、「遊び」の定義・形式的特徴が列挙される。①命令されることのない、自由な行為である。②本来の生活ではない、仮構の世界であり、その目的は物質的利益や個人の生活上の必要を満足させるような領域を超えている。③ありきたりの生活から継続的時間と場所が区別され、時間的・空間的に限定されている。④規則を持ち、それを守る点では真面目で真剣である。➄秘密を持ち、ありきたりの世界とは別物である。更に、機能の面から見れば、「遊び」は、何かのための戦い、または何かの演技である。
次に、文化とは、遊び「として」始まったのでも、遊び「から」始まったのでもなく、遊びの「中で」始まったということが説かれ、競争、祭礼、詩文、音楽・舞踏、知恵・知識、法律、戦争、貴族生活の慣習などが、そうして発展したことが述べられている。
そして、最後に、本書が書かれた19世紀の前半には、文化において真面目が支配的になり、遊ばれる度合いが大きく減少してきたことを指摘し、「真の文化はある程度、遊びの内容をもたなくては成り立ちえない。なぜなら、文化はなんらかの自己抑制と克己を前提とし、さらにその文化に特有の性向を絶対最高のものと思い込んだりしない能力をもち、しかも自由意志で受け入れたある限界の中で閉ざされた自己を見つめる能力を前提としている。文化はある意味ではいつの時代でもやはり一定の規律への相互の合意に基づいて遊ばれることを欲している。真の文明はいかなる見方に立とうと常にフェアプレーを要求する」と締めくくっている。
最後の部分については、本書が書かれたのが、ヨーロッパで(真面目の権化である)ナチスを中心としたファシズムの勢力が拡大していく時代であり、その潮流に大きな警鐘を鳴らしていたことは間違いないが、80年を経た現代においても、偏狭なナショナリズムをはじめ、「遊び」を否定する主義・思想が世界を覆っており、ホイジンガの主張の重要性は何ひとつ変わってはいない。
「人間・文化の本質は何か」を解き明かしつつ、我々人類の向かうべき方向を示唆してくれる古典といえる。
(2019年11月了)

2
2019年11月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

遊びから文化が生まれるならば、今の時代からは文化は生まれないな、と。
面白い視点でした。読みにくかった。

0
2025年01月13日

Posted by ブクログ

すべての文化は遊びからはじまっているのではないか。
ホイジンガの問いと解釈は非常におもしろい。

日々の生活に照らしあわせると、会話や仕事、ファッションや散歩。乱雑に思い浮かべるだけでも遊びの要素はたくさんある。

すべて、と言い切ってしまっていいものか。
感覚的には、すべてのことに遊びが、と言いたいが、それは危険だろう。
しかし、ものごとに遊びの要素を見出すのは大切だと思う。

発展させれば、物事に遊びの要素を付け加えるということも、またいいのではないか。

0
2020年09月30日

Posted by ブクログ

「遊び」の精神性。動物は遊ぶことができるという意味で超論理的であり機械仕掛け以上の存在たり得る。遊びとは何なのかに向き合った本。儀式、信仰、戦い、演奏、愛との関係。その起源と語源。各種言語における遊び。日本語においても〜遊ばせなどの表現があるが、そういった細かいところの文化的・思想的背景まで触れられている。真面目との対立性。歴史的に「遊び」として捉えられる人々の行いを多く挙げ、その精神性に迫っている。大抵、人の命を賭けたりするものも含まれていて遊びの概念の広さを感じる。哲学すら遊びの概念から生まれたと見ることもできる。18世紀以降の遊びの地位向上、19世紀以降のスポーツの発展。そして現代における遊び。現代の遊びに括られるものは、昔の文化や儀式の概念と密接に結びついた「遊び」から精神性が抜け落ちてしまったもの。うーん、長い。

0
2025年05月26日

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