あらすじ
羽生善治は将棋ソフトより強いのか。渡辺明はなぜ叡王戦に出ないのか。最強集団・将棋連盟を揺るがせた「衝撃」の出来事、電王戦でポナンザに屈した棋士の「告白」とは? 気鋭の観戦記者が、「将棋指し」11人にロングインタビューを敢行。プロとしての覚悟と意地、将来の不安と葛藤……。現状に強い危機感を抱き、未来を真剣に模索する棋士たちの「実像」に迫った。
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AIが将棋界にもたらしたドラスティックな変化を当事者のプロ棋士たちの生の言葉で語られている。ある意味AIの被害者ともとれる彼らのAIへの向き合い方、その中で将棋界のいく先を憂いながらも覚悟を決めていく様子など勝負の世界に生きるプロの矜持が味わえる。負け惜しみでもなく、AIに勝つことを目指すでもなく、冷静に覚悟をもってAIに向き合う様が格好良くも切なくもある。
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AI将棋とプロ棋士達の本ってこれからのAI社会をどう生きるかみたいなことが詰まっててほんと面白いなと思う。プロ棋士11人のインタビュー本なんだけど、推しの棋士が出来た。
◆羽生善治 : 何の将棋ソフトを使っているかは言いません
◆渡辺 明 : コンピュータと指すためにプロになったのではない
◆勝又清和 : 羽生さんがいきなり負けるのは見たくない
◆西尾 明 : チェス界の現状から読み解く将棋の近未来
◆千田翔太 : 試行錯誤の末に見出した「棋力向上」の道
◆山崎隆之 : 勝負の平等性が薄れた将棋界に感じる寂しさ
◆村山慈明 : 効率を優先させた先にあるものへの不安
◆森内俊之 : 得られるものと失うものの狭間で
◆糸谷哲郎 : ソフトの「ハチャメチャ」な序盤にどう慣れるか
◆佐藤康光 : 将棋はそれほど簡単ではない
◆行方尚史 : 自分が描いている理想の棋士像とのズレ
大川 慎太郎
(おおかわ しんたろう)1976年静岡県生まれ。日本大学法学部新聞学科卒業後、出版社勤務を経てフリーに。2006年より将棋界で観戦記者として活動する。著書に、将棋ソフトとの関わりや将棋観について羽生善治や渡辺明ら棋士11人へのロングインタビューを収録した『不屈の棋士』(講談社現代新書)のほか、『将棋・名局の記録』(マイナビ出版)、共著に『一点突破 岩手高校将棋部の勝負哲学』(ポプラ社)がある。
西尾 明(にしお あきら、1979年9月30日 - )・・・将棋棋士。青野照市九段門下。棋士番号は248。神奈川県横浜市出身。2019年6月より、日本将棋連盟常務理事(メディア担当)[1]。将棋との出会いは3歳のとき。祖父と伯父が指しているのをみてなんとなくルールを覚えた。小学校1年生のときから2歳上の兄と将棋センターに通う[2]。1988年、小学3年生(予選出場は2年生から)のとき、第13回小学生将棋名人戦で準優勝。翌々年の1990年9月から奨励会で指し始め、1999年度前期から三段リーグに参加する。そして、混戦となった2002年度後期三段リーグで11勝7敗という成績で2位となり、四段昇段を果たした。11勝7敗での四段昇段の前例は野月浩貴のみであり、このときは村山慈明・遠山雄亮・佐藤天彦・広瀬章人などが同成績の激戦であったが、順位に恵まれた西尾が昇段となった[3]。居飛車党であり、角換わり、横歩取り、矢倉を指すことが多いが、時折、中飛車や相振り飛車も採用する。攻守にバランスが取れた棋風である。浅野中学校・高等学校卒業[7]、東京工業大学生命理工学部中退。将棋界の東京工業大学出身者には、元女流棋士の藤田麻衣子がいる[8]。2007年、理事に就任した中川大輔の後任として奨励会幹事となった。趣味はギター。大学時代はロック研究会に所属[9]。奨励会時代の仲間などとアマチュアバンド活動を行っており[10]、これが高じて囲碁将棋チャンネルで放映中の「めざせプロ棋士」のオープニング及びエンディングテーマ曲を提供。2016年には電王戦のテーマソング「Transmission」を作曲、提供した[11]。この影響から「世界一将棋が強いギタリスト」の異名も持つ[11]。マルチプラティナム・ロックバンドの、トゥール[12]、ジャズピアニスト上原ひろみのファン[9]。インターネットに造詣が深く、Ustreamにおいて、将棋界初のタイトル戦中継番組のライブストリーミングを企画し、多くの反響を得た結果、現在のニコニコ動画等による将棋タイトル戦中継の礎を築いた。コンピュータ将棋に詳しく、2015年の電王戦FINALでは、将棋連盟側のアドバイザー役をつとめた。この際、2ヶ月間連日10時間以上5台のパソコンを駆使し、外出中もスマホでパソコンを遠隔操作した。好きな雑誌は『ニュートン』『日経サイエンス』[9]。2015年3月20日に結婚[13]。2児の父である[9]。※2019年6月現在。2018年9月(秋学期)より、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにて「将棋」の授業を担当している。[14][15]初年度のアシスタントは野田澤彩乃。将棋の歴史から実技・実践まで扱う授業となっている。[16]普及活動にも熱心で、地元・横浜市の「横浜西口こども将棋教室」の講師として小学生への指導を行っている[17]。
勝又 清和(かつまた きよかず、1969年3月21日 - )・・・将棋棋士。石田和雄九段門下。棋士番号は215。神奈川県座間市出身。東海大学理学部数学科卒[1]。1983年に第8回中学生名人戦で優勝[注釈 1][2]。その年に奨励会に入会。1級までは順調に昇級したが、そこからの各昇段に2年以上ずつかかり、22歳でようやく三段に昇段する。しかし、三段リーグでも昇段のチャンスをつかめず、一時は退会も考えた[3]。年齢制限(26歳)も迫っていた。転機となったのは、第52期(1994年度)名人戦の七番勝負を戦う米長邦雄名人と羽生善治四冠の闘志あふれる姿を見たことだった[3]。勝又は同年度4月 - 9月の第15回三段リーグでは昇級を逃すも、リーグ表順位で勝又より下の近藤正和と同星の12勝6敗の成績を収める。これが結果的に大きかった(次回のリーグ表で、勝又は3位、近藤は4位)。勝又は次の第16回三段リーグ(1994年度10月 - 3月)の最終日を、2局のうち1局勝てば自力昇段(「マジック1」に相当)という状況で迎えた。近藤は2勝0敗で追い上げたが、勝又は1敗の後に1勝して近藤と同じ13勝5敗。よって、勝又が四段昇段を決めた(1995年4月1日付けで昇段・プロ入り)。このときの同時昇段者(トップ通過)は、勝又よりさらに年上の北島忠雄(29歳)であった[注釈 2]。石田和雄九段門下で初のプロ棋士である。2人目は2010年10月に16歳でプロ入りした佐々木勇気。奨励会時代に「変則ルール将棋」として、「玉を詰ますか、先にと金ができたら勝ち」というルールの「と金が命」というゲームを考案した[6]。パソコンを用いた将棋の研究を始めたのは、棋士の中では早い方である。特に、最先端の序盤の戦法の研究で知られ、「教授」の愛称で呼ばれる。「将棋世界」誌(日本将棋連盟)では、2006年1月号から10月号まで「勝又教授の これならわかる! 最新戦法講義」を連載、また、「突き抜ける!現代将棋」を2009年10月号から2015年4月号まで連載。世界コンピュータ将棋選手権などコンピュータ将棋の大会で解説を務めることが多い。自身のTwitterによく学生将棋の大会についての内容を投稿している。動かせないところに駒を動かすという反則(成桂を斜め後ろに動かす)を犯して反則負けをしたことがある(2000年・第9期銀河戦、対増田裕司戦)。2012年4月24日の対佐々木慎六段戦(竜王戦4組昇級者決定戦)で、二手指しの反則負け。2013年、東京大学教養学部前期課程で全学体験ゼミナール「将棋で磨く知性と感性」を担当するため、東京大学大学院総合文化研究科客員教授に就任した[7]。
チャトランガ(サンスクリット語: चतुरङ्ग、chaturaṅga)・・・古代インドのボードゲームの一種である。 将棋やチェスの起源と考えられている。 チャトランガとはサンスクリット語でchaturは4、そしてaṅgaは部分という意味である。
不屈の棋士 (講談社現代新書)
by 大川慎太郎
知名度が圧倒的なことはもちろん、羽生が凄いのは、「将棋が強い人」という枠に収まっていないところだ。いまや「知性の象徴」になっていると言っても過言ではあるまい。世の森羅万象に強い好奇心を持ち、勉強をし、軽いフットワークでどこにでも出かけていく。 2016 年 5 月に放送された「NHKスペシャル 天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」は、そうした羽生の姿勢がよく現れていたと思う。
学ぶことは結局、プロセスが見えないとわからないのです。問題があって、過程があって、答えがある。ただ答えだけ出されても、過程が見えないと本質的な部分はわからない。だからソフトがドンドン強くなって、すごい答えを出す。でもプロセスがわからないと学びようがないという気がするのです。
「将棋とはそもそも家元制度でした。現代に入ってテクノロジーが入ってきて、技術的なことに関していえば、それまでとはまったく違う道を進み始めた。茶道や落語などでそういうことを取り入れている話は聞きませんよね」 かつて名人位は世襲制だった。師匠が弟子に技術を伝えるものだった。昭和に入って実力制になり、さらにいまはソフトが介入してきている。将棋は芸術だけではなく、勝負の側面があるからだ。たしかにほかの伝統芸能にはない状況で、苦労も多い。だがそれが将棋の独自性であり、これだけ大きな注目を集めている理由でもあろう。
いくつかあるのですが、その中の一つが、出場が決まっているタイトル戦の日程との兼ね合いです。対ソフト戦はタイトル戦より優先順位が下なんです。そもそも私はコンピュータとどうしても対局したいわけではありません。元々コンピュータと指すためにプロになったわけではない(笑)。現役のプロ棋士がコンピュータとぶつかる状況になったのはこの 5 年くらい。その前にプロになっている人たちは対ソフトの意識はないでしょう。もちろん個人差はあると思います。ものすごく興味があって戦いたい人もいれば、まったく興味がない人もいる。私は 2007 年にボナンザと対局しているので、まったく興味がないわけではありませんが、どうしても戦いたいわけではない。なので少なくともタイトル戦と日程が重なるのなら、そちらを優先するということです。
将棋の面でトクになるとは思えません。人間の勝負とはまったく別物ですから。トップ棋士同士とはいえ、やはり人間の将棋はミスありきなんです。でもコンピュータ将棋はミスがないから、事前にソフトの弱点を探る練習が大事になる。昔からそういうゲーム感覚の遊びは嫌いじゃなくて、たとえばRPGで意味なくレベルを上げることとか好きなんですよ。ここはこう、ここはこう、とチクチクつついていく感じがね。でもそれは人間同士の将棋に活きないですし、そもそもそこまで暇じゃない。何ヵ月間か公式戦がないのであればやってもいいですけどね。対局があったらその準備は明らかにクオリティが落ちるし、結局はどっちもどっちになってしまう。だからよほど金銭的なメリットがない限りやらないでしょう。言い方は悪いけど、自分は 10 年前に比べると、将棋を指すモチベーションとして金銭的な意味合いは薄れているんです。だから積極的に対戦したいとは思いません。
渡辺の魅力の一つに、これまでのタイトルホルダーが口にするのを 憚 るようなことを堂々と語れることがある。 「解説がないと棋譜は並べてもわからない」と以前に聞いた時は仰天したものだ。もちろんほとんどはわかるのだろうが、細かい部分まで正確には理解できないので、そういう物言いになるのだろう。 自分を大きく見せようとしない。 いままでの超トップ棋士たちが 纏っていた神秘性のようなものを自ら脱ぎ捨ててしまったのが渡辺だ。その「ぶっちゃけ感」が魅力であり、まれに物議を醸すところでもある。 渡辺がソフトを研究に使っていることは以前の取材の折に聞いていたが、具体的な内容については知らなかった。 今回、訊いてみて驚いた。
渡辺がソフトを使う一番の理由は、「利便性」。家で研究をする際に、「将棋盤で駒を動かすのが面倒くさいから」というのだ。「現代将棋って 60 手目の局面から研究したかったりするじゃないですか。だから将棋盤で初手から動かすのは面倒くさい。あと元の局面に戻すのも面倒です。 1 歩の違いとかが正確に戻らないことがある(笑)」と渡辺は苦笑しながら明かした。たしかにパソコン上で駒を動かせば、一度でも進めた手順はすべて保存できる。 プロ棋士が「駒を動かすのが面倒」と発言するのもなかなかすごいが、たしかに効率面ではソフトの方が扱いやすいだろう。
だいぶ変わったと思います。定跡のサイクルが早くなりましたよね。この戦型が流行ってるなあと思ったら、すぐに指されなくなったりする。それはインターネット中継が本格的に始まった 6 ~ 7 年くらい前に、一度起こっていることなんです。リアルタイムで棋譜が見られて、感想戦の結論も載っているから、情報の伝達が早くなって定跡のスパンが劇的に短くなった。昔はリアルタイムで棋譜が見られなかったわけですから。そこでスパンが一度短くなったけど、皆がソフトを研究に使うようになって、さらに短くなった感じがあります。
うーん、みんながいいパソコンとソフトを持って同じような研究をしたら、(むしろ) 指す将棋は相当狭くなると思います。将棋の定跡はほとんどが「先手よし」。でもいままでは、なぜ先手よしなのかがわからなかった。極端なことを言えば、昔はどんな指し方をしてもいい勝負だったんですよ。それは先手が正確にとがめられないからなんです。でもこれからは、後手で新戦法を出しても、その日のうちにソフトにかけられて具体的に先手よしと解明されたらすぐに消滅してしまう。いままでは、本来ダメなはずの新手もみんなわからないから 2 年くらい持っていたのが、即ダメになる。だからスパンがすごく短くなるけど、そもそも戦法の数がそんなにないので、後手番で戦える戦法がドンドン少なくなっていく(笑)。それが繰り返されていくと、マイナー戦法の登場は増えるでしょう。でもそれもその場しのぎにすぎないので、ゆくゆくは消えていく。それも淘汰されていくと、どうなるのかなあ(笑)。考えられるのは先手勝率の上昇でしょうか。
ないですねえ。ワクワクすることはないね。たとえば詰将棋に関しては昔からコンピュータの方が解答が速いって知ってるけど、コンピュータの計算競争なんて誰も見ないでしょう。それと同じ。人間が暗算の競争をやるから見るんですよ。どっちが先にミスるんだ、っていう。
──人間にしか指せない将棋というのはあるのでしょうか。
渡辺 人間にしか指せない将棋とかそういうことではなく、人同士がやるからゲームとして楽しめるんです。たとえばマルバツゲームがそうでしょう。あれをコンピュータとやる人はいない(笑)。もしくは大人同士でもやらない。子供とやるから楽しいんでしょう。オセロもそうですよね。コンピュータとやる人は多くないと思う。だから「人にしか指せない将棋」というのはカッコつけた言い方で、人同士がやってもよくわからないから、いまの将棋界の繁栄がある。いままではプロの力がはっきりとわからなかった、つまり神話的なものがあったんですね。でもソフトによって棋士の実力などが数値化できる時代になって、それで今後はどうなるのかなというのが現状なんです。
勝又清和。 難解な現代将棋をわかりやすく解説することに執念を燃やし、専門誌や新聞に多数の論考を発表している。東海大学理学部数学科卒業。 2013 年より東京大学教養学部で将棋の講義を担当するため、東京大学大学院総合文化研究科客員教授に就任した。 名実ともに「教授」となった勝又だが、アカデミックな優雅さやスマートさとは違った庶民的な雰囲気を持っており、実に親しみやすい。「はにゃ」などと擬音語を漏らしながら、何かおもしろいことはないかと将棋会館を駆け回っている。多くの学生大会に手弁当で訪れ、指導や解説を気さくに行っている。学生将棋に携わる教員に一番人気のある棋士は羽生ではない。勝又なのだ。
物事をわかりやすく解説できるのは、知性があることの証明だ。日進月歩のプロ将棋を解説するのは 容易くない。対象をきちんと把握し、変化の理由を論理的に捉え、自分の言葉で再構成しなければいけないからだ。
昔からずっと理系でしたが、コンピュータは触らなかったんです。僕の専攻は基礎数学だから。もちろん興味はありましたよ。中学時代に受けたインタビューで、なりたい職業はシステムエンジニアと答えていたくらいですから。でもコンピュータにはまっちゃったら将棋の勉強がおろそかになって棋士になれないでしょう。数学科なのに、 1 回もスーパーコンピュータに触らないで卒業しました(笑)。本格的に触るようになったのはたしか 1991 ~ 92 年の頃で、将棋連盟が棋譜のデータベースを使うようになったからです。将棋に役立つのならいいだろう、と解禁しました。将棋界がコンピュータに近づいていかなければ、本格的に使わなかったでしょうね。
メディアに注目されているという意味では、こんなにいい時代はないでしょう。 2016 年秋には、村山聖 注 35 九段の生涯を描いたノンフィクション『聖の青春』が映画化されますし、 羽 海野 チカさんのマンガ『 3 月のライオン』がアニメと実写化されます。ただこれまで将棋界を応援してくれた業界、新聞社やテレビ局などがどこも厳しい状況なんですよね。私も東大で将棋の授業をやっていますけど、なかなか 2 校目、 3 校目につながらない現実があります。囲碁の日本棋院が数多くの大学で授業をやっていると聞くと焦っちゃいますよ。東大の授業は教養的な話で、将棋の歴史、世界の将棋、コンピュータ将棋について。あとは学生同士での実戦です。学生の反応はいいですよ。私は日本が誇る娯楽と文化の代表は将棋と確信しているんです。囲碁は日本発祥じゃないでしょう。スポーツでもいいんですけど、日本発祥で気楽に楽しめるものってどれくらい思いつきますか? 将棋はケガをしないし、年齢や性別も関係ない。だからいま部活が大変といわれていますけど、将棋が一番いいと思っているんです。一生懸命やれば楽しいし、頭を使うし、礼儀も学べるし。
佐藤天彦(さとう・あまひこ) 1988 年 1 月 16 日、福岡県福岡市生まれ。 2006 年 10 月四段昇段。一般棋戦優勝は新人王戦で 2 回。 16 年の第 74 期名人戦で羽生善治に勝利し、初タイトルの名人位を獲得。クラシック音楽やヨーロッパ文化に関心が高く、愛称は「貴族」。
頭のよさの定義は難しいが、学歴が一つの指標になることは間違いない。では、棋士はどうなのだろう。昔よりは増えているが、実はそれほど大学進学率は高くはない。といっても学力が足りないのではなく、学校に行く時間があるのなら将棋の勉強をしたほうがいいということで、端から進学をあきらめるケースが多いのだ。 棋士と接していると、物事の理解力、判断力、解決力が高く、いわゆる「地頭のよさ」を感じる。また棋士はとにかく達意の文章を書く。頭の中で物事をきちんと整理し、自分の主張を持ち、論理的に話を展開できるからだろう。
西尾は神奈川県の名門浅野高校から東京工業大学に進学している。将棋に専念するため中退したが、元々の学力は疑いなく、棋士の中でも突出している。こんなエピソードがある。両親のすすめで西尾は幼少時にそろばんを習っていたのだが、幼稚園児の時点で珠算 1 級、小学 2 年生の時には暗算六段を取得していたという。 数学はそれほど好きではなかったそうだが、物理と化学に熱い思いを寄せるバリバリの理系である。まずはコンピュータ将棋との関わりから尋ねた。
理系の勉強が好きでしたから。物理学は美しさがあって、将棋につながるものがある。有名な物理学者が宇宙をチェス盤になぞらえた発言があっておもしろいんですよ。物理学は、ルールを知らないチェスのようなものだ、と。宇宙の中でポーン(チェスの駒) が一つ動くのを見て、あ、ポーンは一つ動くんだということを理解してルールを学んでいく。だけどポーンが(敵陣の一番) 奥まで行ってクイーンに昇格するという事態になかなか出会わないから、それを我々は知らない、とか。…
──ソフトを使う時に意識していることや気をつけていることは? 西尾 評価値がゼロ付近、つまりソフトが「いい勝負」と判断していても、人間的な目で見ると「勝ちやすい」、「勝ちにくい」はあります。結局は人間対人間の戦いなので、そこは気をつけて判断するようにしています。
──ソフトを研究で使っている棋士は増えているようですが、全体的に棋士の指す将棋の内容は変わりましたか? 西尾 変わったと思います。明らかに序盤から中盤にかけての幅は広がったし、怖い局面でもソフトで事前にある程度裏が取れていれば冒険する人も増えています。将棋は自分が思っていたより、もっともっと可能性の広いゲームなんだなってわかったのは純粋にうれしかったですね。それまでタイトル戦でも横歩取りとか角換わり腰掛け銀の先後同型とか、似た感じの将棋が多くてやや閉塞感を感じたこともありましたが、最近はそうでもないです。
──今後、棋士の勉強法は変わっていくのでしょうか。これだけソフトが強いと、複数の棋士による研究会やVS(一対一による対戦) が減る可能性はありますか?
西尾 「強い相手と戦いたい」という部分に価値を見出す人は、研究会を止めてひたすらソフトと戦うのもいいと思います。ただ私はいままでと変わらずにやっていきます。人間と指すと「こういうところで考えるんだ」とか、「いまの流行はこの辺なのか」とか、「だからここが水面下で研究されているのか」など参考になるんですよ。ソフトとだけ指していると将棋界の戦法の流行りがわからない。ただ最近、研究会での感想戦はあまり好きではないんです。ソフトを使って解析するほうが精度の高い検討が行えるので。
西尾の口から「チェス」という言葉が出た。 将棋とチェスは兄弟のような存在だ。インドで発祥したチャトランガというゲームがシルクロードを通って西側に伝わったのがチェス、東側に伝播したのが将棋とされている。
チェス界から学べることがある。 西尾はそう確信し、チェスに関する文献に当たり(多くは英語だ)、また自身のフェイスブックなどで海外のプレーヤーと交流している。羽生善治がチェスでも日本トップクラスの実力を有し、チェスの大会に出場するために海外にしばしば赴いていることは有名だが、西尾はチェスを指すわけではない。非常に珍しいアプローチと言えるが、チェスについて話す西尾の口調は弾んでいた。
一般の方にはなかなか想像しにくいのではないだろうか。もちろんこの資本主義社会の中では誰もが日々、それぞれの舞台で戦っているわけだが、棋士のように、自分の仕事の結果が白黒はっきり公に示されることは少ないだろう。 99%完璧に進めていた仕事が、最後のわずかなミスで水泡に帰し、たった一つの黒丸をつけられておしまいということが棋士にはある。だからこそ勝利の栄光も大きいのだが。
──山崎さんとしては、棋譜データベースみたいに将棋連盟がソフトの導入をサポートするのであれば納得するということですね。 山崎 そうです。じゃなかったら、本人の力と関係のないところで勝負が決まってしまう可能性がある。たとえば角換わりの先後同型をソフトに探索させて、その手を使って勝つこともあるでしょう。それが許せないというほどではないけど、寂しいですね。将棋というのは人間同士の勝負で、お互いに答えを知らない中でやるものじゃないですか。怖さはあるけど、それに打ち勝つことも大事なわけです。ファンにもそこを楽しんでもらっている部分があると思う。もちろんソフトの手だって全部が正解ではない。でも、ソフトを使うと怖さを取り除くとまでは言わないけど、薄めているのは間違いない。勝負としてのおもしろさが減ってしまったら、スポンサーやファンがどう思うでしょうか。そういう状況が続けば今後、棋士全体が対局だけで食べていくのは大変でしょう。本当の上位棋士しか生き残れなくなる気がします。
ここまでの山崎の話を聞いてどう思われただろうか。 自虐的すぎるように感じられるかもしれない。人によっては古風なプライドを掲げているだけに映るかもしれない。たしかにそれは山崎の一面ではあるのだが、言うまでもなくそれだけではない。天馬空を行くような彼の将棋を見れば、山崎の中には一本の大きな芯が備わっていることがよくわかる。
対局姿も情感たっぷりだ。形勢判断のヒントになる、相手に失礼、などといってポーカーフェイスをつくる棋士も多いが、山崎は気持ちが露骨に顔に出る。頰を膨らませ、眉間に皺を寄せ、体を前後に揺らして将棋盤に向かっている。
どこを目指すんでしょうね。正直、どこに向かっているのか全然わからないです。名人を目指していたらもっと勝っているでしょう。こんなに勝っていないってことは目指していないんでしょう。ただ棋士の在り方としては、少数派のほうが落ち着きます。研究が流行って研究将棋が全盛になったらそこから離れるし、みんなが力戦派になったら研究家になりたい。だからソフトの影響でみんなが自由奔放な将棋をやるようになったら、自分は定跡形を極めてみたいなとは思います。
たしかに親には「天邪鬼」って言われますね(笑)。人と同じなのが嫌というか、昔からうまくいかないんです。団体行動も好きじゃない。したいんですけど、どうもうまくいかない。人間関係もそうですね。一瞬は仲良くできますけど、なかなか続いていかない。中学時代、半年ごとに学校を転々としていたので、思春期にきちんとした人間関係が構築できないと、その後が難しいんでしょうね。 30 代半ばを過ぎて、将来は孤独老人になることが見えています(笑)。そういう面は人より異常に劣っているんです。人生においてしんどいというか、寂しいところではある。ただ将棋を指している時だけは一切関係ないんです。だから棋士をやっているのかもしれません。
糸谷将棋は実に魅力的だ。 広島県出身の糸谷は身近に強い相手がいなかったので、インターネット対局で腕を磨いてプロレベルの力をつけた。ネットとはいえ対戦相手は人間なのでソフトを使ったわけではないが、コンピュータを活用して強くなったのは間違いない。糸谷はいまでも、将棋盤はパソコンのモニター上で見る方がラクだという。「対局で将棋盤を見る時は、首を下げるから負担がかかって痛くなるんですよ」と笑う。
糸谷は関西若手棋士のまとめ役ともいうべき存在で、西川和宏 注 52 と一緒に、普及グループ「西遊棋」を立ち上げた。通常、将棋界でイベントを行う際には、将棋連盟の職員などが裏方の作業に徹し、棋士は出演するだけ。しかし「西遊棋」はイベントの企画から始まって、「棋士がそこまでするのか」と驚くようなことまで自分たちの手で行っている。ファンのイベント申し込みメールに、糸谷自身が返事を出すこともあるそうだ。これに刺激を受けた関東の若手棋士も「東竜門」という組織を立ち上げた。東西の若手棋士が新しい普及の形を模索しながら切磋琢磨している姿を見るのは、実にすがすがしい気分になる。
──人間にしかできないことを模索することの一環として、ソフトに戦法を開発することができるのかという議論があります。人間にしかできないという人もいますが、糸谷さんはどう思われますか? 糸谷 いま、開発していると思いますよ。系統立った将棋かどうかはわかりませんが、ポナンザは人間とは全然違う将棋をやっている。一見、メチャクチャに見えるのは人間の感覚で、ソフトにとってはそうではない。ちゃんと理由があってやっているわけですから。
将棋には歴史がある。それはつまり、戦術にも歴史があるということだ。プロ棋士の試行錯誤によって時代を追うごとに洗練され、発展してきた。指され続けるもの、廃れるものには相応の理由がある。その中で、いままで誰も考えつかなかったような新しい戦術を披露することがどれだけ大変か。それも思いつきレベルではなく、ほかのプロ棋士が感嘆するレベルのものを生み出すのには飛び抜けた才能と血を吐くような努力が必要だ。
佐藤は将棋を崇拝している。佐藤にとって将棋は絶対的な存在であり、深く頭を垂れている。深さと幅広さ。将棋とは宇宙なのだ。 だから将棋が安易に扱われることをとてつもなく嫌う。 「将棋はそんなに簡単じゃありませんから」 この取材で、佐藤は何度そう口にしただろう。あまりに繰り返すので、原稿では何度かカットせざるを得なかったが、それくらい強調していた。口調に怒気をはらませていることもあった。
「僕はロジカルな人間ではない」という行方は、幼少期から算数の成績がよかったことはなく、国語が大好き。漢字を覚えるのが早く、 2 ~ 3 歳で相撲の番付を読めていたそうだ。
──人間にしか指せない将棋はあると思いますか。 行方 それはあるでしょう。ミスもするけど、そこから生まれる何かもあるわけですから。終盤で 1 分将棋というギリギリの状態で、わけのわからない局面を肩で息をしながら戦っている姿というのは、絶対に何かを感じるはず。そういうものを見せていきたいですし、そこにしか価値はない、くらいに思っています。
Posted by ブクログ
タイトルを見て想像した内容とは異なり、将棋ソフトとの戦いやつきあい方を11人の棋士が自身の将棋観を踏まえて語る内容であった。私は将棋観戦を始めて一年未満で、AIが示す評価値や読み筋ありきの観戦なので、将棋ソフトのない将棋界がもはや想像できない。この本が書かれた時代はまだソフトが味方か敵かわからない過渡期で、棋士としての誇りや強くなりたい向上心や好奇心、またソフトに淘汰される恐怖などが率直に語られている。各棋士の語る信条は、私が今まで見た対局や本などから得た知識からその棋士に抱いていた人となりとほぼ同じで興味深かった。
Posted by ブクログ
将棋ソフトと棋士界の対決についてのインタビュー本。ここ4・5年間「どうすれば競わずに済むのか」を念頭にずっとアスリート・棋士・eSports選手達の本を読んできたけれど、本書ではもう只「勝負事って何て美しいんだろう」とだけ思うに至りました。
Posted by ブクログ
文句なしにおもしろい。AIに向き合う棋士の葛藤が余すことなく綴られている。そして誰一人答えをだせていない。2015年~2016年頃、棋士は将棋界におけるシンギュラリティにいち早く向き合っていたのだ。
そして今現在2019年、将棋界は凋落するどころかかつてなく注目を集めている。AIの脅威は部分的には杞憂に終わったかにみえる。ただ各々の棋士は自分の指す手が自分の思考によって生み出されたものか、それとも気づかずAIによって導かれたものか、茫漠とした理解の中で日々戦い続けている。
Posted by ブクログ
プロ棋士11人に、将棋ソフトと将棋界についてインタビュー。それぞれの生き様がにじみ出ているようで読み応えがある。現役最強棋士として羽生、渡辺明、ソフトに好意的な勝又、西尾、千田、ソフトに敗れた山崎、村山、対決を恐れない森内、糸谷、背を向ける佐藤康光、行方。強いソフトの登場がこれだけ将棋界に激震をもたらしていたと初めて認識した。
Posted by ブクログ
コンピュータ将棋に対峙する棋士のインタビュー。2016年。
羽生、渡辺のトップ棋士から、棋士の中でも先駆者と言われてる勝又、西尾、千田、そして背を向ける佐藤康光、行方まで色んな人のインタビューがあり、面白かった。
中終盤の評価値や寄せなどの研究で既に多く棋士が利用しているみたいですが、中には定跡の研究で使われて、その手が実際に指されたりもするみたい。
つまり知らないと不利になる可能性が高い。
もう既にAIには勝てなくなりつつありますが、今後棋士がどのような矜持を見せるのか、興味深いところ。
Posted by ブクログ
’’人工知能はもはや人間を超えたのか’’’’棋士(棋士のつくる棋譜)という職業の存在価値はそのときどこにあるのか’’’’人工知能とどう向き合うか(戦うのか戦わないのか)’’
2016年6月という非常に絶妙の時期に、現役最強棋士・人工知能に特に詳しい棋士・実際に人工知能と公開対局して敗れた棋士・人工知能と闘う気はないと公表する棋士、同じ質問を11名の棋士にぶつけることで、いろんな考え方をあぶりだしてくれた、名著と呼べるインタビュー集です。
タイトルがその切り口を彷彿させないだけに勿体ない。登場してる棋士が豪華絢爛。将棋指しでない人でも、人工知能に凌駕されつつある時点での人類最高頭脳集団の苦悩や覚悟や決意を体感できる名著です。千田翔太プロの完敗と宣言した上での若い人ゆえの割り切りと、既に上り詰めた立場にいる佐藤康光永世棋聖や渡辺明永世竜王のいらだちが印象的でした。羽生善治永世6冠はやっぱ飄々としてる不思議な人です
Posted by ブクログ
わたしが愛してやまない将棋。下手くそだけれど、小学生の頃はプロになるのが夢だった。コンピューター将棋も好き。ただ現在のようなレベルになるとは思わなかった時代の話だが。
この時代に、11人の棋士へのインタビューを読んで考えさせられたし、悔しくて、また、崇高さに涙も流れた。棋士の存在意義を通して、人間の存在意義を考えざるを得なかったからだ。
インタビュアーの大川慎太郎さんの文章は素晴らしかった。将棋が分からない人にもお勧めしたい。
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将棋関連の本は数多く読んでいるが、一、二位を争うほどの面白さだった。
著者が観戦記者であるため将棋への造詣が深く、独自の人間関係を築いており、だからこそ誤解を恐れずに繊細な部分もインタビューできている。大川氏以外の誰にも真似できない非常に価値ある一冊。
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最近読んだ本でもベストの一つ。
コンピューター将棋にどう向き合うかという課題に対して、複数の棋士にインタビューをした本なんだけど、読んでいくとそれぞれの価値観がはっきりわかる。例えば、『自尊心』『公平性』『鍛錬』『将棋への愛』など。ほとんどおなじ問いかけに対して、個々の価値観で答えていく。
同じ問題に対して様々な見方があるといういい例。
棋士は論理てきであるし、その価値観が非常に強固なので、さらに考えがはっきり伝わる分、その彩りが鮮やか。
どの考えにも納得させられるし、どの考えが一番かを決めるのも難しい。
いやはや、将棋連盟の会長となる人は、こんな人たちをまとめないといけないのかと思うと大変ですね。
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話題のコンピューター対将棋のテーマであるが、著者の将棋への長年の関わりがなくては生まれない好著だと思う。棋士にインタビューを取り付け、深く切り込む。昨今著しく増える門外漢の感想の域を出ないネットサイト論壇とは次元が違う。
トップ2大棋士、コンピューターと実際に戦った棋士、ネットを積極的に活用する棋士、コンピューター将棋に積極的な棋士、否定的な棋士、と章立てされており、まずは羽生渡辺の2棋士のものが面白い。羽生はコンピューター同士の棋譜を見て、人間の感覚とあまりにかけ離れているし、特に序盤のめちゃくちゃ(あたかも、駒も動かし方だけを知っている超初心者にも私には見える)さにはついては、見ても「面白くない」と語る。この「面白くな」さは他の棋士も語っている。
将棋の面白さは素人から見れば番外の話、人間模様から、対局開始~投了までのストーリーにあったことは間違いないだろう。それはテニスや野球、ボクシングなどのスポーツの開始から終了までの展開と同様、物語として面白いものだった。テニスロボットVS錦織なんていういのは興ざめだが、将棋コンピューターの指し手はそれに近いものがあることは確かのような気がする。とすると、スポーツ観戦のようなエンターテイメントとしての将棋の見方は、コンピューター同士の戦いからは消えるのではないか? そうすると現在の人とAIの「シンギュラリティ」としての現在の幅広い関心は逆にエンターテイメントとしては臨界点かもしれない。
また、人間の美意識も関係していると思われる、序盤中盤の構想力がそれほど大きな意味を持たず、終盤の正確な計算力が比重を増すとすれば、計算の競技と化した将棋は人間の本能的な快感を刺激せず、エンタメ的な楽しみは無くなっていくように思う。
そして先手必勝の定石がフェルマーの最終定理のように解明されたとき、ゲームとしての将棋は最終的に終わるだろう。
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将棋ソフトに対し,この本に登場する棋士たちのほとんどが口を揃えて言うのは,「自分で考えなくなる」ことへの危惧であった。
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盲点というか死角はないでしょうし,詰みを発見する能力は本当にすごい。それこそ瞬間的に見つけてしまうので,やっぱり便利ですよね。デメリットは,あまり自分で考えなくなってしまうことでしょうか。実践では自分ひとりで考えなきゃいけませんからね。普段から一人で考える訓練を積むことはとても大事なので,あまりソフトに頼りすぎるのはよくない気がします。(p.52 羽生善治)
以前から指摘されていることですが,自分の頭で考えなくなることでしょう。本当に難解な局面を自力で研究しようとしたら,こんこんと考え続けて5時間くらいかかることもあります。でもソフトの評価値が相当正しいとしたら,5分位検索すればすぐに結論がでる。ただ,自分で考えていないわけですから,将棋の上達という面ではよくない。そこは難しいところです。プロは将棋に勝たなければいけないので,そのプロセスをショートカットしてもいいじゃないかという考え方も間違ってはいない。ただずっとソフトに頼っていたら自分が強くならないことはみんなわかっている。だから今後は,そのバランスをどう取るのかも求められてきます。ソフトを使うことによるメリット・デメリット,対戦相手,向こう10年を見据えてどうするのか,ソフトをどう研究に用いるのかなど,使う人間の頭の良さが問われる時代です。頭のいい人は自分を見据えて,どう使うべきか理解していると思います。(pp.72-73 渡辺明)
自分で考えなくなるのは怖いですね。基礎的な脚力が衰えてしまいます。特に終盤で詰むか積まないかという局面で,コンピュータにかければ1秒,自分で考えたら20分くらいかかるという局面があるとします。その時に自分で20分考える方を選べなければいけない。でもポチッとマウスをクリックすればすぐに結果が出てくる。その方が楽なのは言うまでもないですが,答えを見てしまったら強くなれないでしょう。まあでも,つい寄りかかりそうになるくらい,いまのソフトは強いんです。ただ将棋がコンピュータに完全に解析される,つまり必勝法が生み出されるようなことは我々が生きている間は100%ありません。その点は安心しています。(p.108 勝又清和)
自分の頭で考えないし,ソフトの手が一番正しいと刷り込まれてしまう。(p.198 村山慈明)
自分の指した将棋で疑問があれば,ソフトに解析させてみたりはします。目先の勝率を上げるためだけであれば,コンピュータをつかっていろいろ調べた方がいいとは思います。ただあまり使うと楽をしてしまうというか,自分で考えることが億劫になりがちです。だからコンピュータがなかった時代と同じような厳しい練習を積むのは,人間の特性からして難しくなってくるんでしょうね。(pp.227-228 森内俊之)
ソフトで研究してもいいとは思いますけど,正直,好きじゃない。自分の頭で考えたほうが絶対に楽しいですよね。ソフトに完全に頼ってしまうと自分で考えなくなるので,まずいでしょう。ソフトに探索させるのは,ある局面に詰みがあるかないかを調べる時くらいですね。(p.249 糸谷哲郎)
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竜王戦挑戦者決定戦で勝利した三浦弘行九段に将棋ソフト使用の疑いがあり、敗者の丸山忠久九段が渡辺明竜王に挑戦してる竜王戦、3勝3敗の佳境に入っています。A級棋士三浦九段がソフトに敗れたのは2013年でした。観戦記者大川慎太郎氏の「不屈の棋士」(2016.7)は、ソフトに対する棋士の思いをまとめたものです。めちゃめちゃな序盤・正確無比な終盤、形も手順もおかまいなし、読みの深さはお手の物、そんなソフトに静観する人、対決する人、背を向ける人。羽生、渡辺、森内、糸谷、佐藤(康)、行方などの棋士が思いを語っています。
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AIを用いた将棋ソフトに対する考え方について現役11人の棋士にインタビューした内容をまとめた本。インタビューの対象はソフト利用に肯定的な棋士、ソフト利用に否定的な棋士、実際にソフトと対戦した棋士、そして現時点で棋士の最高峰と目される羽生氏、渡辺氏の2人という多岐にわたります。
著者がインタビューで投げかける質問が非常に鋭く、対象となっている棋士の考え方をうまく引き出している印象です。
どの棋士の考え方にも納得させられるものがあり、まず感じるのは棋士というのは自分の考えを非常に分かりやすく表現されるなあ、という点です。これは棋士という職業が論理的な思考を常に求められているからかもしれません。
ちょうどソフトの力量が人間に並びかけている微妙なタイミングである今だからこそ、棋士のソフト(AI)に対する姿勢は様々なスタンスがあり、これは将棋界に限らず今後AIが進出してくる領域と関りを持つ私たち一般の人間が体験し、考えさせられる事なのかもしれないと感じました。
棋士という職業がどんなものかという点でも理解を深めることができる1冊です。
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将棋は弱いけど、将棋指しは大好きな自分が、ここ数年ずっと気になっていた、「ソフト対棋士」について、一流の棋士たちにインタビューした本。
それこそ、羽生と渡辺という二大巨頭から若手のホープ、古豪、中堅の棋士たちが、ソフトへの思いを好悪それぞれの立場で語っている。
ソフトを肯定し、活用するどころか、強くなるためには人間同士の将棋は必要ないとまで言い切る者もいれば、ソフトを使用したうえで、それに頼らずに自らの力を高めようとする者、愛憎半ばの者など、一般人が見ても非常に興味深かった。
今後、棋士がどのような存在になっていくのか、ということについても考えさせられた。
自分としては、人間同士の将棋に興味があるし、棋士の人間的な魅力が一番なのだけど……。
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「人工知能に追い詰められた「将棋指し」たちの覚悟と矜持」。帯に書かれているコピーがまさに本書の内容です。トップ棋士が相対しても、すでに人工知能には簡単に勝てなくなっているのが現状。その中で、棋士たちは自らの存在意義をどう考えているのか、人口知能との付き合い方をどうしようとしているのか、そして、将棋界はこれからどうなっていくのか。トップ棋士11人へのインタビューで構成されています。
どんなに人工知能が強くなっても、人間と人間の対局の魅力は失われない。人間はミスをする生き物で、そのミスで勝負が決まるのが将棋。それでも人間が知恵を振り絞って対局する姿の魅力は失われない。
人工知能がある限り、自らの勝負に最大限役立たせようとする。一方で、人間と人間が対局するのが将棋と、人工知能から距離を置く者もいる。
棋士という職業は、将棋の魅力を伝えていくために、無くてはならない存在。人工知能はその思考プロセスを人間にわかるように説明できない以上、その役割を担えない。
将棋を題材にしているが、これから人類が人工知能とどのように対峙していくのか、共存していくのかを考えるうえで非常に興味深い内容でした。人工知能が得意なもの、人間にしかできないものは何なのかを、一人一人が真剣に考えないといけませんね。
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他の分野より一足早く、人工知能の登場によりその在り方が問い直されている将棋界。かつてはその絶対的な強さによって価値が担保されていた「棋士」が、近年急激に進歩した将棋ソフトに勝てなくなったためだ。そのような状況の中で、棋界と関わりの深い著者が11人の棋士たちのの思いのうちをインタビューした本。
面白かったのが、棋界の中にも正反対の意見があって、さらに棋士によって様々であること。一方には、ソフトの登場は世間の趨勢であるからうまく活用して自らの棋力を向上させるべきだと言う棋士もいれば、他方には、将棋への愛、棋士の矜恃のために、ソフトに左右される対局に違和感、嫌悪感を隠せない棋士もいる。ただ、皆が口を揃えて言っているのが、ソフトに頼りきりで自分の頭で考えなくなるのはまずい、ということ。将棋という文脈で言えば対局場にはソフトを持ち込めないのだから終盤で結局は負けるよということだろうが、結果だけを鵜呑みにすると落とし穴に嵌るというのはもっと広く一般に言えることだと思った。
もう一つ読んでいて思ったのが、人が見たいと思うのは「人間臭い」将棋なのかもしれないなということ。自分自身指していて楽しいと思うのは苦しい将棋を粘りに粘って逆転したときだし、プロが秒読みに終われて時にミスをするのを見ると変な言い方だが親しみを感じる。逆に、将来将棋の必勝法が見つかるようなことがあっても(必勝法が存在することは証明されているはず)全然嬉しくない気がする。
本作は2016年のものだが、それから藤井フィーバーや羽生九段の永世七冠達成などもあって将棋界はかなり盛り上がっている。勿論ソフトの問題が根本的に解決された訳ではないが、将棋界の雰囲気が大分変わった気がする(具体的には、普及活動が盛んになっている気がする)。
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「棋士が個性や特徴を出すのは必要。そこが将棋の魅力だからね。
将棋世界2016年8月号 中原誠十六世名人の発言(P85)より」
「プロになれば、皆さんに楽しんでいただくという意味では、個性があった方がいい。
同上 佐藤天彦名人の発言(P22)より」
将棋や囲碁は一対一の競技として
文化としての格式を確立させることに成功させているが
将棋ではゲームの強さだけでなく各棋士の個性付けを
どれくらいおおぜいが意識してかしないでかしらないが囲碁と比較して成していると感じる
この本は「将棋ソフト」の力が近年棋士を上回るほど成長していることを
題材としたインタビュー集だが
棋士世界の狭さや高さを各人の答えから感じさせてくれる
内容自体は以下に同意
「現代将棋はソフトに近いように見えて、まったく別の将棋です。人間にとって勝ちやすい形を突き詰めているだけなんです。
糸谷哲郎八段の発言(P252)より」
「ソフトと人間の勝負は別物だという気がします。(中略)人間が楽しむには(大将棋などと比較して)いまの将棋がベストなのだから、たとえソフトが強かろうと関係ない。結局、人間が楽しめなければ意味がないですし、それとソフトの存在は別問題なのです。
佐藤天彦名人の発言(P5)より ()内は引用時補足」
こういった意見が自然だと思うが
2016年前半くらいにおいても名の有る棋士がこういうような見方だったという
時代の証言として変に価値あるかもしれない
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AI(コンピュータソフト)の在り方について名を馳せるプロ棋士11名にインタビューし、その内容が書かれている本。
抵抗を示す棋士、強さに惹かれ積極的に取り入れようとする棋士、まだ負けたわけではないと矜持を保つ棋士等々、考え方が十人十色で大変面白い。
多くの棋士が述べているように、私も人間の指す手や解説に魅力を感じているのだけど、正直「羽生マジック」がマジックじゃなくなる日、は秒読みに入っていると思うと怖い。(既にそうなっているかもしれない)
己の思考で苦悩の上に閃いた手を指し、「その手はソフト検討から編み出したものですか」と言われたらさぞかし不愉快だろう。
強さこそ正義、のプロの世界に圧倒的強さの人工知能が現れてもなお、プロ棋士を尊敬していたいと思う。人間は人間、コンピュータはコンピュータで共存していってほしい。
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2016年7月20日発行。
羽生善治、渡辺明、勝又清和、西尾明、千田翔太
山崎隆之、村山慈明、森内俊之、糸谷哲郎
佐藤康光、行方尚史 トップ棋士に聞く、将棋ソフトとの関わり方。
ソフトによる驚異。不安、疑問が渦巻く正に過渡期においてトップ棋士にインタビューした意味は大きく価値あるものと思う。
ソフトを環境の変化として受け入れる者、距離を置く者、ソフトの変遷を見てきた者、進んで受け入れる者、積極的に活用し尽くす者、拒む者、それぞれの意見が詰まったインタビュー形式の一冊。良書。
しかし、皆口を揃えて言うのが将棋とは評価値や勝ち負けではない。真剣勝負の醍醐味はそこではなく一手一手の物語、終盤の逆転劇、ドラマが見所なのだ。と。
確かに、プロ棋士の代名詞の1つである読みの深さ。一瞬で何十手先も見通す超人的な思考回路にコンピューターが追いつき、ほぼ抜いてしまった現実には寂しさを感じざるを得ない。またその事実だけを捉えて将棋本来の魅力や勝負としてのドラマを軽視した今の風潮は変わって欲しいと強く思う。
今後、コンピューターとのあり方について向き合わなければならない将棋界。激動の時代になるとは思うが、日本の愛される伝統文化としてこれからもその魅力を発信し続けて欲しいと思う。
橋本崇載八段の棋士の一分と合わせて読むのをオススメします。
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11人の棋士へのインタビューが収録されている。
2016年末から年始にかけてスマホ・カンニング疑惑で揺れた将棋界。出版されたのは事件の前だが、将棋ソフトが人間の棋士を追い越す中でナーバスになっている背景を伺うことができる。
勝ち負け、強さ(レーティング)に収まらない将棋の世界への広がりを感じさせてくれる。事件の対応に失望している人にこそ読んでもらいたいと思える本。
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プロの将棋さし。棋士。
日本で言えば 選ばれた人たちに違いない。
将棋に強いって、なぜか すばらしいことのように見える。
そうした 棋士たちが
コンピューターのソフトに負ける時代が来た。
そのことによって 棋士が 影響を受け、
また、存在さえも問われる。
11人の棋士のインタビューを通じて、
ソフトにたいする立ち場や
感想と利用方法などを、明らかにする。
そこで見えたのは
プロフェッショナルとしての誇りと矜持。
『矜持』という言葉が
これほど、気高く見えたのはいいことかもしれない。
羽生善治の天才的ひらめきと独創的な将棋感は清々しい。
渡辺明のめざしている将棋の方向と
コンピュータとの立ち向かい方。
一線を画して、超越した観がある。
ニンゲンと向き合って 将棋を指すのと
コンピュータと将棋を指すのは
別のゲームなんだろうね。
同じジャンルとして考えてしまうのは
良くないかもしれない。
ニンゲンが犯すミス。それを見抜くニンゲン。
そして 逆転する。
そのニンゲンがつくり出すドラマが
将棋なのかもしれない。
トップの棋士がコンピュータにまったく歯が立たなくなってしまった時に、一体 なにが起こるのか?
と想像しても あまり意味がないな
ということがわかった。
コンピュータは あくまでも 道具である
ということが、わかった上で、
ニンゲンは どう使うかだね。
棋士だけのインタビューで 残念だ。
ソフトを開発した人たちの
誇りと矜持が聞いてみたいものだ。
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中心棋士たちに、主に将棋ソフトに対する考え方について聞いた貴重なインタビュー集。
それぞれに将棋ソフトとの関わり方や、立ち位置が違って、非常に興味深い。
主要スポンサーである新聞業界の経営環境が悪化する中、将棋ソフトが急速に進歩し、プロ棋士との対戦で勝ち越すなど、将棋界が重大な岐路に立たされていることは間違いない。
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AIという驚異(驚異というほどに捉えていない棋士もいるが)に、どれどれくらいの距離でいるか、正面から問うた本。取材者のフィルターを通してだが、それぞれの思うことがストレートに伝わってきた。
多くの棋士が、存在意義について考え、意見を持っているが、明言できる立場もあれば、忸怩たる思いで憂いている人もいる。
ただ、多くが言うように、トップ棋士の存在意義は、今後も楽観的にとはいかずとも必ずあると思う。
苦しそうに、体を揺らしながら、息を詰めて盤を見つめる姿は何物にも変えがたいことを体現しているのだから。
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羽生や渡辺は、超然としてはぐらかすというスタンス。理系寄りの棋士は、ゲームとしての将棋の数理に対してナイーブなアプローチ。
インタビューテクニックのテキストとしても面白い。
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その能力を飛躍的に高めついに棋士を破るようになった将棋ソフトに対して、棋士たちの想いをインタビューした作品です。
具体的に、特定の個人の業績について書かれている本ではなく、11人のプロ棋士たちが「AI」や「将棋ソフト」についてどのような考え(≒感情)を持っているか、またソフトとどのような付き合い方をしているか(理想としてはどのような付き合い方をするべきか)、試合のレギュレーションが適切かどうか、研究の方法として取り入れることは「認められる」べきことか、そして何より、「ソフト」の方が強くなった後の「棋士の存在意義」とは何か、という問いに答えてくれます。
羽生善治という将棋界を代表する棋士のインタビューや、双璧を為すといわれる渡辺明のインタビューは読みごたえがありますし、ソフトの利用を積極的に取り入れている西尾明の見解(棋士としての「存在意義」は、ファンからの「ニーズ」があるかどうかにかかっている。ファンが「見たい」と思うような将棋を打つ必要がある)は、将棋界だけでなく広く社会全般についてもいえることではないでしょうか。
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将棋ソフトに向き合う、一流棋士。
色んな捉え方があるものだ。それは、プロとしての将棋棋士のあり方も含めて。
いま、ソフトが人間を超えて行きつつあることは間違いない。では、人が指す将棋とは何か。将棋で生きる意義とは何か。
強さとは何か。
少し、嚙み砕く必要がある著。
数年後に同じ視点で読めるだろうか。