【感想・ネタバレ】ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在のレビュー

ユーザーレビュー

Posted by ブクログ 2020年03月14日

 たとえば天然痘は周知の通り人類を永きにわたって苦しめたウイルス性疾患の一つだが、1980年に根絶宣言がなされ現在では人々の意識に上ることはほぼないといっていい。しかし当然ながら、根絶に至るまでには原因ウィルスの特定やワクチン開発を始めとする先人たちの弛まぬ努力があった。著者もその一人であり、天然痘...続きを読むのウシでのワクチン製造に関わって以降、一貫してウィルスの研究に携わってきた農学博士である。略歴によれば上梓時なんと87歳。驚くほかはない。
 
「意味論」とタイトルにあるように、本書は「ウイルスは宿主であるヒトにとってどのようなものであるか」を中心に論ずるもの。しかし読者は同時に逆の意味論、すなわち「ウイルスにとって宿主とは、環境とはどのようなものか」についても否応なく考察するよう促される。著者が指摘するようにウイルス災禍は都市化と畜産を推し進めた人類の宿痾であり、都合の良いように環境を変えれば必ず問題発生を惹起するのは、今現在も我々が思い知らされているところである。本書のような視点をもってウイルスの存在する世界を眺めることには、今日的に重要な意味があるように思う。

(以下要約)
 第1章ではウイルスの生理一般が解説される。細菌感染性のウイルスであるバクテリアファージを不活性化しても、活性環境下に他の不活性ファージと一緒に置かれると、モザイク状に無傷の部分が組み合わされて再び活性化するという「多重感染再活性化」なる現象が面白い。いかにウイルスの生死の概念が他の生物のそれと異なるかの好例だ。
 第2章ではウイルス学の歴史を概観する。既知の内容が多かったが、ファージを用いて特定の病原菌を狙い撃ちする「ファージ療法」が興味深かった。残念ながら承認されたものはまだないようだが、最近の抗生物質耐性遺伝子を破壊するようコードされた「キャススリー」など、有用性が期待される分野も多いようだ。
 ウイルスの起源を探る第3章では、オーストラリア人ウイルス学者のバーネットの仮説に基づき「ウイルスが先か、細胞が先か」が検討される。興味深いのは、たとえばB 型肝炎ウィルスやヘルペスウィルスのように、人間特有と見えながら遺伝子配列からは人類登場より遥かに太古の昔より存在していたと推測されるウィルスが多いこと。ウイルスが人間に感染するというより、人間のほうがウイルスの生活環境に混入してきたというほうが適切なのかもしれない。
 第4章は生命の定義について。生物学者から哲学者、物理学者まで、様々な学識者が生命の定義を行なっているが、ウイルスの存在を前提とするとどの定義にも揺らぎが生じてしまう。なんせポリオウイルスは分子レベルから再構成できるし、ファージ間でも細胞間と同じく「クオラムセンシング(ペプチド放出を介した情報のやり取り)」が行われているというのだ。畢竟、2千年以上前になされたアリストテレスの「生物と無生物の境界は存在しない」という喝破が最も妥当するのではないか、とする著者の意見に共感を覚える。
 第5章では「DNA→RNA→タンパク質合成」以外の遺伝情報経路はない、とする「セントラルドグマ」の妥当性を疑う。しかしRNA情報を細胞のDNAに書き込む「逆転写酵素」をもつ「レトロウイルス」の発見により、外部ウイルスの情報が細胞DNAに取り込まれて子孫に遺伝していくケースが明らかになる。そして遺伝情報解析によれば、ヒトゲノムの大半がかつて外部のウイルスからもたらされた「内在性レトロウイルス」により占められているという。驚くのは、DNAに潜み垂直感染していく内在性レトロウイルスの中には、何らかのきっかけで宿主にとって好ましい効果を発揮するものがあるということ。たとえばHERVという内在性ウィルスのファミリーには、胎児を母親の免疫機構から守ったり、iPS細胞に見られる多能性維持に関わっているものがあるという。こうなるとウイルスを果たして他者と呼んで良いものか、どこまでが我々ヒトの身体と認識すべきかの定義すら怪しくなってくる。
 第6章はウイルスと宿主の共生について。興味深い例がいくつか紹介されているが、ウイルスが本来の宿主でない生物に出会うと重篤な病変を引き起こすケースが多いというのが、今更ながら恐ろしく感じられる。人類のグローバルな活動の、間違いなく負の側面である。
 第7章は過酷な環境に生きるウイルスや、細胞を上回るサイズを持つウイルスなど、これまでの常識を覆すウイルスの紹介。
 第8章は水中におけるウイルスの活動について。現在生命の起源の有力候補と目されるブラックスモーカー(熱水噴出孔)に住む細菌等のゲノムに、ウイルスの活動痕跡である「クリスパー」が見られるが、これが同種ウイルスに再感染したときの免疫機能を司るという。
 第9章は著者の守備範囲。天然痘、麻疹、牛疫と人間との戦いの歴史が紐解かれる。
 天然痘は根絶されたとはいえ、米国とロシアにゲノム解析目的で保管されており、また科学的に天然痘ウイルスを再合成する技術も実現されつつある。仮にテロに使用された場合、現在は種痘が行われていた当時の要件(多数の免疫保有者の存在、ワクチンの存在、人権無視の封じ込め対策)がなく、また潜伏期間が10日と長いため、甚大な被害が予想されるという。
 麻疹は伝播力が高いため、存続のためには常に無免疫者を必要とするが、現代の人口密度の高い都市環境を利用して広まった。子供に多いのは、そもそも感染力が強いため大人は免疫を獲得していることが多いためである。症状は比較的軽いが、免疫を低下させるため日和見感染による他の感染性疾患を誘発してしまい、結果として高い致死率を引き起こす。
 第10章は、ヒトの体内に潜みながらヒトと共存するウイルスについて。HIVウイルスによる死亡例は減少している一方で新たな感染者は増加しており、結果としてHIVウイルス保有者の数も増加している。このことから、HIVウイルスがヒトと共存するまでに毒性を低下させてゆく可能性が示唆される。
 第11章ではウイルスの環境適用様式の多様性が語られる。ウイルスも真核生物と同様、外部環境の干渉を受けつつ進化してきたことを再認識させられる。
 エピローグでは、当時話題に上っていたジカウイルスの感染経路について触れた後、「DNAワクチン(ワクチンとして働くタンパク質を合成するよう設計されたDNAをプラスミドに組み込んだもの。ウイルスを用いないことが特徴)」や、「遺伝子ドライブ(DNA切断酵素であるキャスナインを用いて、ウイルスを媒介する蚊などの生物の繁殖を、その種自体が絶滅せぬようコントロールしてウイルス伝播を抑える技術)」が紹介され、本書が締め括られる。

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Posted by ブクログ 2019年11月27日

ウイルスの意味について、結局明快な結論は出していないように思います。しかし、普段の生活ではほんの一部しか関わりのない莫大なウイルス世界について嫌というほど知識を得ることができます。
たかだかいくつかのDNA/RNAとタンパク質が入っただけの、普通の分子みたいに結晶化もできてしまう塊、それも他の生物の...続きを読む細胞がなければ何もできない物体を生物と言っていいのか…?でも環境に合わせてこれでもかと遺伝子を残そうとする様はまさに生物の進化そのもの…
改めて遺伝子というシステムの巧妙さに驚きつつ、生物の歴史に想いを馳せることのできる一冊だと思います。

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Posted by ブクログ 2019年03月11日

ウイルス研究に長年携わってきた著者が、その歴史と変遷を語ります。
人間のすぐ傍に存在している見えない隣人の、生態の奥深さに感動しました。
非常にわかりやすく書かれていますが、入門書というには少し難しいと思えます。
遺伝子やウイルスについての知識があったほうが読みやすいでしょう。

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Posted by ブクログ 2019年03月07日

多田富雄さんの「免疫の意味論」という名著があって、まあ、書名はパクリなんだろうけれど、素人でそのあたり、分子生物学とか、愛好家の目には遜色ないと感じさせているのがエライ。「みすず」の連載で見かけた文章だと思うけれど、ウイルスみたいなものを、網羅的に説明して、飽きさせない文章力は、理系の人とは思えない...続きを読む。編集者も偉いのかな?

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