あらすじ
真言宗の開祖であり、傑出した思想家・芸術家。唐代の新しさを日本へ移入し、「個人」と「自由」を発見した“モダニスト”。それが空海である。9世紀、弘仁時代の先鋭的表現ともいえるこの人物は、生涯にわたり自らの探求心につき動かされていた。高野山が空海にとって特別な地であり続けた理由も、そのことを無視しては理解できない。空海における自己探求とはどのようなものであったのか? 本書では、『性霊集』『三教指帰』『請来目録』など、空海自身の著作の読解と足跡の探訪を通して彼が生きたであろう時空を共有し、その実像に迫る。稀有な個性の魅力と同時代性を深い共感とともに伝える入門書。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
本書は「弘仁のモダニスト」という副題がつけられていますが、なるほどこういう見方で空海を捉えることもできるのか、という新しい発見がありました。まず空海が生きていた時代は唐の文化や制度を積極的に取り込んでいた時代であるということ。そのため漢学全盛期であり、仏教だけではなく文化全般において、良くも悪くも「唐」かぶれの時代だったということです。
そのような時代に仮に私自身が生活していたとして、空海がどう見えるか、ということですが、まさに竹内氏が本書で主張しているように、おそらく当時の人からしたら空海は最新のものを色々と日本に持ち込んだ人、という印象があったことでしょう。梵字で真言を唱えるという仏教の全く新しいスタイルは、日本の仏教界にはかなりのセンセーションを巻き起こしたのではないかと思いますし、書画についても最先端の流行を日本に持ち込んでいます(嵯峨天皇とはそのあたりをきっかけに交友が進む)。よって空海を密教(および真言宗)の祖として見る見方に加えて、当時世界最先端の流行を日本に持ち込んだ人、という評価も出来るわけです。また同時に本書では最初と最後に高野山が取り上げられているように、山野を「斗藪」する生活を心から望んでいた一沙門としての空海も重要な側面だというわけです。大変興味深く読みました。