あらすじ
「農村の生活は、何もかも珍しく、どこから手をつけていいか、はじめのうちは見当もつかなかった」――。本書は、名随筆家・当代一の目利きとして今なお多くのファンを持つ著者が、30年余り前に綴った知性と感性が光る珠玉の随筆集の復刻版である。第二次世界大戦が始まると同時に移った往時の町田市鶴川に今も残る藁葺き屋根の農家「武相荘」。そこでの幸福な日々やそこを訪れる人々との交流を描いた「鶴川日記」。山の手育ちの著者が、永田町・麹町・赤坂・麻布など憶い出に残る坂を再訪し、その場所にまつわるエピソードや現在の姿を綴った「東京の坂道」。長い人生の中で出逢った梅原龍三郎・熊谷守一・芹沢けい介・荒川豊蔵ら文化人との心に残るエピソードや、祖父母など肉親と過ごした日々をまとめた「心に残る人々」の3篇を収録する。何気ない日常に温かな目を向け、人々との交流や毎日を丁寧に生きることの大切さ、本物の豊かさとは何かを思い出させてくれる一冊。
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白洲正子
1910~1998。評論家・随筆家。日本の古典・芸能・美術・工芸などを研究。祖父は海軍大将樺山資紀、父は貴族院議員愛輔、夫は白洲次郎。著書に『かくれ里』『近江山河抄』『明恵上人』『西行』『日本のたくみ』『お能の見方』など多数。
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なかなか面白かった。交友関係がそのまま歴史というか、日本を代表するような人たちばかりで、驚く。華やかさ、というものでもなく、厳しさだけでもない。戦前の伯爵家の出身と聞くと、勝手に華美ですましているような雰囲気を感じてしまうが、読んでいると印象は全く違う。明治維新についての感慨も、遠くない親戚たちの様々な想いを汲み取った上での言及であり、それは歴史の本や小説だけで明治維新を齧った私のそれとは天と地以上の違いがある。白洲正子さんのただただ好奇心いっぱいの精神を感じる本だった。育ちの良さとか品格ということを常に感じながら読み進めた。素敵な女性だ。
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第二次大戦中、連合軍の空襲を予測し(怖れて)、神奈川県鶴川に疎開をした白洲次郎、白洲正子夫婦の日常が垣間見えます。どういういきさつで鶴川で暮らすようになったのか等、改めて知る、白洲正子、白洲次郎(実力者に働きかけ徴兵を忌避した経緯もあるようです)の物語。後半で描かれる白洲正子の祖父、樺山資紀の物語(司馬遼太郎の坂の上の雲に出てくる、日清戦争の折の海軍軍令部長、そして幕末寺田屋事件で死んだ橋口伝蔵の弟)も良いですね。維新から明治を経て昭和の物語が淡々と描かれております。★四つです。
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戦争の色濃くなる頃、いち早く鶴川に住まいを移した白洲夫妻の日々。友人を疎開させたりとその時代、また人柄が伺える。東京の坂道シリーズが面白過ぎた。麹町、赤坂あたりが閑静な住宅街だったとか今では想像もつかない。赤坂もかつては茜山とよばれていた。プリンスホテルは朝鮮の王子の住んでいた御屋敷跡に建った。色々トリビアが多すぎる〜。最後の方の人付き合いは華麗なる一族感半端なし
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白州正子が夫共に第二次世界大戦中鶴川村へ移り住みその村での暮らしや子供の頃から住んでいた東京山手の坂の由来、江戸時代の東京の街並みや由来、知己である錚々たる画家や陶芸家、作家、実業家、政治家の思い出話を綴る。
柔らかな言葉づかいに人を包み込む大らかさと、はっきりと鋭く物事をいうバランスが鼓の音のようで絶妙。
優雅にお茶を楽しみながら、面白い歴史の逸話を尽きることなく聞かせてくれるお茶会のよう。
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武相荘での生活を描いた鶴川日記、東京の坂道、心に残る人々、の3篇から抜粋されたエッセイ集。
白洲正子の文章に初めて触れるには良い本かと思われます。
何冊か読んでいると、重複している部分もあるし、白洲氏や家族のことを知りたいとか、お能について知りたいとかであれば、ちょっと違うかなという感じ。
私は、鶴川の周辺の歴史も興味深かったし、東京生まれで東京の坂道について書かれた文章が好きだし、大好きな画家である熊谷守一について書かれた一文も良かったので、充分に楽しめました。
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鶴川といっても東京の人でも何処だか判らない人は多いのでは。戦争中に白州夫妻が引っ越してきた頃は、鶴川村だったとのこと。現在は町田市に編入されている。ちょっと北や東に移動すれば、川崎市麻生区だし、南に動けば、横浜市青葉区。川崎、横浜と云っても海にはよっぽど遠い。武蔵と相模の国境だから武相荘(ぶあいそう)と名付ける。
GWに妻と行ってきました。思ったより瀟洒な茅葺の家。元々の農家を改造。次郎さんは吉田茂の懐刀、そして財界でも活躍した人なのに、豪邸というにはほど遠いので、ちょっと意外だった。
このエッセイでは空襲をきっかけに疎開したとある。畑や田んぼで農業をしていたらしい。鶴川から北の丘の中腹で、どこに田や畑があったのやら。呼ばれれば、中央に出て行ったということらしいが、どうしたって隠棲の二文字が頭に浮かぶ。
その武相荘にはソファーの置かれた居間があり、2つの和室を挟んだ半間の廊下の奥に本棚と書斎があった。その和室には正子さんの和服や収集した骨董品が飾ってあった。
正子さんは伯爵のオヒイサマだと思っていたが、このエッセイ読むと誰にでも噛みつくと云われたとか、韋駄天お正とか、意外な風貌を知ることになった。扉の開いたままで走る小田急で身を乗り出しながら喚く文士を後ろからしがみついていたなど、え~っと思う話もあった。骨董や取材で急に遠くに飛び出していく話もあり。
次郎さんはエライなあ。そんな酔っ払い達と付き合うなとか、また書斎に籠ってるとか、また骨董や着物を買いこんで俺の居る場所が無いとか、また家を空けるのかとか、僕なら絶対文句タラタラだろうな。
正子さんの人付合いの広さが印象強かった。織部を継ぎ接ぎした茶碗で陶芸家がお茶をたててくれた。名品ではないが、胸のすくような逸品との評。この人なら判ると相手も思うんでしょうね。物凄く面白いエッセイというわけではないけれど、ジワジワ一流の人の交わりを垣間見たような気分。
一流の夫妻の家。そのうち、また武相荘に行ってみようと思う。