あらすじ
1951年創刊の伝説の食べもの冊子「あまカラ」に連載された「ロッパ食談」をはじめて完全収録。ただおもしろいだけじゃない、「うまいもの」「食べること」への執念を感じさせるロッパエッセイの真髄。
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底本が『あまカラ』(甘辛社)、『ロッパ食談』(東京創元社)、『ロッパ悲食記』(ちくま文庫)で、再編集したもの。どうりで読み覚えがあるはずだ。
とはいえ、ずーっと読んでられる心地よさ。ああもうなんだろねコリャ。
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非常に好みがはっきりしていて、当時の読者を牽引するだけの魅力も説得力もあったんだろう。その辺の「言い切り」が一般大衆に受けるのは今も昔も変わらない。
一方、それ故に、ってことでもないのだろうが、あんまり自分自身の思考を分解する、というようなことはしなかったんじゃないかと思う。無意識に自分が芸能人という特権階級にいることを誇示しようとして、人気商売としてはそのへんのアフターケアというか、後処理はうまくない印象。
で、この辺の後処理の完成形が立川談志あたりにあると思っている。談志は六波のファンだったという志らく師匠の解説があり、このあたりのよもやま話を藝として完成させていったんだろう、というのは想像に難くない。
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声に出して読みたいエッセイだと思う、軽妙で、この時代を生きた粋なひとが書いたからこそ美味しそう。
どの節回しも、美味しい。
「これを駄洋食と、蔑む奴に呪いあれ。」
「豆大福や、スアマなんていう菓子があったっけ。十銭二十銭の豪遊。」
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さしずめ、喜劇人ロッパの〝グルメブログ〟といった内容。
江戸っ子にもかかわらず蕎麦は食えず、寿司屋に行っても「こはだ、あなご、玉子」くらいしか食べられない。いっぽう、さすが男爵家に育っただけに物心ついたころからフォークとナイフを器用に操り西洋料理に親しむ反面、おでんや天ぷらといった「下司(げす)な味」をこよなく愛する。その偏食と大食が、こちら読者としてはかえってチャーミングである。
ロッパによれば、洋食や洋菓子の場合、おなじ店のおなじメニューでも戦争を境にすっかり味が変わってしまったという。もちろん「むかしの味」の方が、よかった、ということになる。ロッパとも親交のあった食通の映画監督.山本嘉次郎もたしか同様のことを言っていたと思う。戦争は、ことほどさように、ありとあらゆるものを変えてしまったのだ。
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再読メモ。十数年前に本屋で見かけたこの本でロッパのことを知った。
戦前戦後に活躍する昭和のインテリ喜劇芸人、エッセイスト、舞台映画役者。
本作執筆時は戦後10年前後。戦争をはさんで勢いを取り戻す飲食店を食べ歩き、あれこれ感想が綴られる。戦前よりも店の数やジャンルの幅も広がったという飲食店事情や、店がどんなものを提供していたのかを知れるのは興味深い。
外来語の記述が今と違う メニュウ、レストウラン、ラヴィオリー、シュウ・クリーム、エクリア、カフエー、テレヴィ、チャップスティック、カッテージ(コテージ)。「チャップ」「カッテージ」が綴りの「オ」ではなく米国アクセントに沿った「ア」になっているのは当時の規範的記述だったのか、あるいはロッパの耳が良かったからなのでは?と推測してみる。
洋食店のメニュウが100円均一、富士屋ホテルのランチコース(メニューの画像があって心がおどる)が1000円、カフエのコーヒーは最低50円から、安さが売りの洋食屋が一品50円均一、ということは今(2025年)と比べて物価は1/6-1/10くらいだろうか。
戦前のことを「日本ゴキゲンなりし昔」として、この店、この場所はああだったこうだったと戦愛しく懐かしむ記述多いが、人生と芸の下り坂にあるロッパが、かつての人気絶頂の自分を重ねて偲んでいるようにもとれる。
P108 うどんのお化け
撮影所付近のうどんやの出前持ち氏の話「お化けうどん=具の全部のせ(おかめ、きつね、たぬき)」
P114 お作法の巻
「西洋料理を、食べ方・作法に疎いことから敬遠する人たちがいる」と聞いたという記述。落語「茶の湯」っぽい。
P261 昭和15年(1940年)
> 博多。昼食に、名物というより名所と言いたい、新三浦の水たきを、ウンと唸りたくなるほど、脈がドキドキ打つほど、食べました。骨をバリバリ噛むので、口の中から血が出ました。
しかし、水たきは、新三浦が世界一でしょう。