感情タグBEST3
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大学生のときに渡辺和子さんの著書を良く読んだものだった。久しぶりに読み返してみると、完全なる自分になっていることに気づく。自分は完全である、そして相手ま完全でなければならない。その思考が自分を不自由にしていたことに気づかされた。
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渡辺先生のお話は、『置かれた場所で咲きなさい』も素晴らしいけど、この本も素晴らしい。
その中で下記の言葉が印象に残った。
自分の生活を大切にするために、自らの感情をスッパリ『断ち切る』事が時に必要です。
『もう、これ以上このことで悩むまい』と。
それでも断ち切れないときは、時間がいい薬です。
時々疲れます。
自分がこんなに苦労して人の間を美しくみようとしているのにその相手が少しも努力していないとき。
そんなとき『疲れてはダメ』と自分に向かって呟くのです。
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通勤時に一気に読みました。「置かれた場所で咲きなさい」の渡辺和子氏の著書です。何かに、はまっているとき、固定観念にとらわれているとき、別の視点から、自分を見つめなおす機会を頂いた、自分を考え直す視点を頂いたと考えております。
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少し難しい表現や、宗教っぽく感じるところがありましたが、心に留めておきたい素敵な言葉がたくさんありました。
【心に響いた文】
・自分の生活を大切にするためには、自らの感情を自分でスッパリ「断ち切る」ことが時に必要。
・この世の中には、決して妥協したり、譲ったりしてはいけない、いくつかの信条があっていいし、なくてはならないもの。
・「幸せ、心の自由は、自分のものの見方にかかっていることが多い」
・人間の一生は、自己を発見していく旅
・自分を温かく、しかも冷静に見つめる姿勢がなければなりません。そして、自分だけが咲かせられる花を一番美しく咲かせていこう、という決意と努力が大切。
・生活の豊かさは、お金の多寡では計れない。
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物事の見方、捉え方を少し工夫すれば
苦しかったことは何でもなくなる。
期待しすぎるのではなく、
かといって、諦めるわけでもなく、
だれかに“してもらう”ことは、
いずれも“ありがたい”ことと認め
感謝を忘れず、謙虚な心を
持ち続けるための1冊です。
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正にタイトル通りだと思う。
・ボランティアはさせていただくもの
・人間関係を和やかにする「の」の哲学
・運命は冷たいが、摂理は暖かい。
が印象的でした。
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「愛の反対は憎しみではなく、無関心だ」(p.5)
聞いたことはあるけれど、マザー・テレサが言った言葉だとは初めて知った。
キリスト教的な思考回路に、すこし抵抗を抱く。
でも、言われていることはごもっとも。
身近で起きたエピソードを紹介して、そこからときに先人の言葉を引用しながら学ぶべきことが書かれている。
「君は君 我は我なり されど仲よき」(p.81)武者小路実篤さんの言葉にぐっときました。
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凹んだ時にもう一度読みたい本。回り道もするかもしれないし、何年かかるかもわからないけれど、自分だけが咲かせられる花を1番美しく咲かせたい、と思った。一所懸命に。
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シスターが書いている著書
優しい言葉がたくさん
人は不完全
理不尽な相手は無視でなく距離を置く
聞きたくない意見も大切
与えられた条件をどう受け止め自分はどうありたいかそれを決める自由がある
挫折は自分をきたえ成長させてくれる
失ったものではなく得たものに目をむける
世の中はうまくいかなくて当たり前 うまくいったら感謝
面倒だからする
ボランティアはさせていただくもの
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シスター渡辺の第三弾。内容が重複することもあるけれど、やはりシンプルでやさしい言葉にホッとします。
「人は不完全なもの」という第一章の文章が特に響いたかな‥。
『嫌いな人がいう事でも正しい意見には従いなさい』。
相手の意見を検討するには、まず自分の意見・判断を持っていなくてはいけない。さらに、自分の考えのみが正しいとは限らないという謙虚さと、相手の人格への尊敬も必要。
自分が聞きたくない意見を言ってくれる人を大切にしないといけない。そんな意見が案外、自分のとるべき道をより明確にしてくれる。
「人が聞きたくないであろう意見」など、ホントにその人のことを思っていないと言えない。・・・ということも、思春期の娘の心に届けたい(笑)
『第一志望ばかりが自分にとって最良とは限らない』
これは、まさに私の人生がそう!そういう目で、わが家の3人の子ども達の人生の選択を見守っていきたいな・・と思います。
3冊読んで感じたことは、同じ章を読んでも、きっと20代の私と今40代の私では感じ方、感銘の受け方がまるで違うであろう、ということ。また年を重ねてから手にしてみようと思いました。