【感想・ネタバレ】民俗のふるさとのレビュー

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Posted by ブクログ

1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に書き下ろされて1975年に改訂されたものを底本に文庫化。
日本の都会はどうやってできていったのか、都会の暮らしはどうやってなったのかということを、村ができて、そこではどんな暮らしが営まれていたか、そして村が町になっていって、と、この順ではないけれど自身が調査に入った村での聞き取りなどをもとに書かれている。

日本人の生きてきた様がとても興味深い。
大分県杵築市の納屋部落、世間的な秩序の外に立ち生き生きと暮らしていた漁師の話とか。

「賎民のムラ」での職業とムラの作られ方が分かりやすい。「生業の推移」も読みたいと思う。

国勢調査が始まったのは大正9年なのか。

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2018年05月27日

Posted by ブクログ

日本の都市や農村で、何が変わり何が残っているのかについての重要な示唆が詰まった一冊。本書が書かれたのは戦後、都市人口が急激に膨張した時代であり、そこでは必然的に都市と農村のせめぎ合いが強く意識されたことだろう。農村コミュニティが急速に解体し都市化が進む一方で、農村国家としてのアイデンティティが喪われるかと思いきや、農村出身の都市居住者により辛うじて受け継がれる様々な風習に、著者は頼もしさと弱々しさを同時に感じていたことだろう。世に出て半世紀が経過する本書だが、今読んでも驚くほど違和感を感じる部分が少ない。変わったつもりでも変わらない部分の大きさに改めて驚かされる。

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2016年04月24日

Posted by ブクログ

この本は町における、村における「ふるさと」を題材にしており、地方や村やコミュニティに関心のある人には必読と思われる。
中盤以降の村の話は、身近に感じつつ読後は複雑な心境になった。

・人口が増えたことにより土地でまかなえる人数に余裕がなくなるため次男三男は明治以降では町へ出て行き、町の成立がそういった村の出身者の集まりであったこと。
・島に一戸だけしかない暮らしをする家族の事例をもとに、人は群れて住まざるを得ないこと。
・村は一種の共同事業体であり、共同作業を通じてまとまる地域における「講」「村八分」といったことは、いわばそれ自体で国家介入なしの社会保障制度であったこと。
・そしてそれが同業者以外の流入や農地解放により共同体が崩れていく過程を説明している。つまりそれは地域に親方がいなくなること、仲間が没落するのを赦すことにつながっていくのだが、増える子に土地を分けるためには没落者が必要なのだ。

明治以降人口が急増した日本のキャッチフレーズ「立身出世」は、村を憂いなく出て行く動きにつながっているが、若者がこういった苦難の道を選ぶのも、村にとどまっては将来がまずしい百姓の一生である場合が多かったとし、一方で、昭和の高度成長期の社宅に住む婦人が新聞に投稿した一文の紹介では、それは村以上に窮屈なコミュニティなのだと。

人口動態と村の習慣がどのくらい残っているかを比較したり、様々な暮らしの現場を見続けた著者の深いまなざしを通して、複眼的に時代を見ることに役立つ。

時代は常に過渡期だ。仮に周回遅れで最先端となることがあっても、そのまた先は変わってくる。過去の著作に目を通そう。

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2016年01月08日

Posted by ブクログ

 昭和39年の東京を出発点に、日本の都市とムラの成り立ち、失われていく伝統や地縁を記録した一冊。とくに明治期の都市の形成過程において〈村は古さを保つために、増えていく人を都会に送り出し、都会は村の若者たちと新しい知識を吸収して新しくなっていった〉という一節は印象的だった。日本の都市が伝統や固有の色を持ちづらいことが納得できる。
 もう一つ気になった箇所は、中世の河原者の記述について。〈落伍者だけで町はできるものではなく、それらの人を支配し統制し、ばらばらの民衆をまとめて大きな生産力にしていくことによって、はじめて町としての機能が発揮せられる〉という部分。人生から落伍すると一発KOの現代社会にも活かせる考え方かなと思った。

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2012年04月20日

Posted by ブクログ

日本の村、町の地理的、歴史的な成り立ちを著者の体験を踏まえて描いている。町の中の村、村と町の関係など、思わぬ視点から書かれている。1960年代の日本の村や町が描かれており、この50年での変化の大きさに驚かされなちる。著者の日本各地でのフィールドワークの経験に基づく発見、指摘が随所に有り、読み物としても楽しい。日本の伝統的な村が消えるぎりぎりの時点でこの本が書かれたのは本当に幸いだった。

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2012年03月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

民俗学との出会いの一冊。 一様に貧しかった、かつての日本の民衆。ムラ協同の力で乗り切り結束して生きてきた、その結束と仕来(しきたり)、そこに住む人々の営み。 江戸時代以降、明治・大正・昭和・戦後の変遷。 ムラハチブ、間引、オジ・オバの存在。 歴史とはまた違う、日本の歩みをまだまだ学ぶ必要がある。

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2014年04月01日

Posted by ブクログ

河出文庫から、宮本常一の著作が復刻されている。全集などでしか読めなかった作品が手軽に読めることはラッキーで、出版社に敬意を表したい。
中身は、日本の町、村の成立を概要的に解説しており、非常に読みやすい。一通り読めば、流れをつかめるようになっている。
書かれたのは今から数十年前になるが、読み終えたあと、そこから現代に至る道筋がぼんやり浮かび上がる。
(2012.5)

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2012年05月22日

Posted by ブクログ

この本はこれまで私が読んできた他の宮本常一の本たちと、ちょっと様子が違う。
民俗学は民俗学なのだが、俯瞰的・通史的な観点が入って、歴史学的な著述となっているのだ。町や村の「なりたち」を問うということは、継起した事象の因果関係を追うことであり、それを体系化していくと民俗学とも人類学ともちょっと違う場所に行ってしまうようだ。
私の好みとしては、今回の宮本常一はいまひとつだった。
ちょっと面白かったのは、著者によると「村八分」というのは明治以降、つまりムラが解体しはじめたとき、共同体の維持のためにとられた方策だという指摘だ。
つまり、それ以前はムラの掟にわざわざさからう輩はいなかったのに、明治維新という「近代化」によって個人が自立化し、共同体から離れ始めた。村八分はそれを罰し、共同体を守ろうとしたわけだ。
宮本さんの言うとおり、江戸時代に村八分がなかったかどうかさだかではないが、そうだとすると、近代化=個人主義化=自由化の波にあらがい、共同体はかつての「自然なむすびつき」を失って、懲罰を処する「権力構造」を武装したということになる。それ以前には、共同体は構造的な権力を必要としなかった。
ちょっとおおざっぱな見方になってしまったが、ついでに連想を広げていくと、子供たちの世界に「権力構造」がなく、素朴な結びつきしかないのであれば、「いじめ」もまた存在せずに済むのかもしれないと思った。

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2012年12月22日

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