【感想・ネタバレ】美しいもの 白洲正子エッセイ集<美術>のレビュー

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Posted by ブクログ

飛鳥散歩  私がしきりに飛鳥へ通ったのは、戦前のことである。誰にすすめられたのでもなく、本で読んだわけでもない、ただ漠然と飛鳥がなつかしく、ひまさえあればさまよった。今憶い出してみても不思議な気持ちだが、それは私だけのことではなく、あらゆる日本人に、多かれ少なかれ共通な感情であろう。飛鳥は日本のふるさとといわれるが、もしかすると、求めていたのは、自分自身の魂だったかも知れ

Location: 30

岡寺の駅で電車を降り、 田圃 の中を歩いて行く

Location: 35

飛鳥は特別田圃がきれいな所で、春はれんげ、秋はこがねの波がつづいているが、「みずほの国」という言葉が、実感をもってよみがえるのはそういうときである。特に夏の夕暮れ、 葛城山 に日がかたむき、青田の上を涼風がわたる頃、長い影をひいて暮れて行く飛鳥の里は美しい。落日を礼拝する信仰、西方浄土への憧憬も、こういう景色の中から生まれ、人の心に深く刻まれて行ったのであろう。しきりにそんなことが想われる寂光のひとときで

Location: 69

それより一般の人々が、飛鳥を愛し、大切にすることが先決問題であろう。役人や学者だけに任せておくのは無責任だ。そう思って、知識に乏しい私が、こんな文章も書いてみるので

Location: 114

このあたりには、古い民間信仰も遺っている。一月十五日にはカンジョウ(勧請であろう)といって、川の向こうから此方側へかけて縄をはり、その真ん中に、藁で作った男性の象徴をつるし、地鎮祭を行なう。少し奥の

Location: 141

森 でも、こちらの方は女性を表したもので、同じような祭事をするが、古い信仰にはそういった種類のものが多いのである。いうまでもなく、生殖の秘密をまねぶことによって、治水と豊穣を祈ったのであるが、川の淵には大きな岩があって、そこへ神様が川を渡って降臨するというのは面白い。変遷常なき水の神が、おおむね女神であるのは想像にかたくないが、稲淵にはウスタキヒメ、栢森にはカヤナルミの 社 があり、両方とも滝のひびきを想わせる名前である。その社が、川が合流する地点に建っているのも、そういう所は水が出やすいのと、女体を連想させる地形であるからだろ

Location: 143

栢森から峠を越すと、向こうはすぐ吉野である。実際にも、このあたりの景色は、飛鳥より吉野に近く、 樵夫 を業とする生活も、吉野に似ている。持統天皇が度々吉野へ行幸されたのは、この道を通ったと想われるが、飛鳥の川上からさらに奥深く、みそぎの地を求めての旅だったのではあるまいか。度重なる行幸が、単に遊楽のためとは考えられ

Location: 150

折口さんほど飛鳥を愛し、骨肉化して現代に活かした人はないと

Location: 187

美術に見るさくら  源氏物語をはじめとし、平安・鎌倉期の絵巻には、桜を描いたものが多い。色と

Location: 222

特に桜の透彫は美しく、硬い金工と、柔かい織物が、しっくりとけ合っているのは、前者と同じく心にくい趣好で

Location: 229

大和絵に咲いた花は、やがて合戦の 巷 を

Location: 234

薩摩の守忠度は、この歌を遺して、都を落ち、一の谷の合戦に華々しく散って行った。この歌の美しさは、そのまま小桜威 の姿であり、桜の鞍の優雅である。日本に桜は少なくなっても、私達は美術品の上に、花も実もある武将を懐い、「昔ながらの山ざくら」を見ることが出来る。それはやはり平安朝の調和の上に開いた花であっ

Location: 236

それに拍車をかけたのは、万事はで好みの秀吉であったろう。ぱっと咲いて散って行った秀吉の一生は、桜の花に似なくもないが、事実彼は稀代の桜好きであったらしい。吉野の花見、醍醐の花見など、永遠の語り草となって

Location: 247

今、吉野や醍醐が桜の名所になっているのも、彼に負う所が大きいので

Location: 253

お能には桜をうたった曲が多いので、能衣装にはたくさん作られた。時代が下ると、ふつうのきものにも盛んに用いられ、友禅にも、琉球の 紅型 にも、美しいものが残っているが、紙面の都合でのせられないのは残念で

Location: 259

桜が好きな日本人が、お手の物の陶器にもとり上げない筈は

Location: 269

乾山の

Location: 284

辻ヶ

Location: 293

秀衡

Location: 306

文化は日々の生活の中から生れる。

Location: 318

ものに毎日ふれていれば、志操もおのずから堅固になり、立居振舞も正されるであろう。真の繁栄がおとずれるのは、それから先の話で

Location: 319

桜の

Location: 320

花橘の

Location: 334

胡蝶の

Location: 351



Location: 363

焼きものはほんとうに、自然と人工、或いは神様と人間の合作に他ならないと

Location: 368

松の

Location: 377

美しいものに値段はない。たとえ国宝でも、貰っても困るものがあるし、安くても二つとない逸品もある。無数にある日用品の中から、そういうものを見つける程たのしみなことはないが、私の経験では、むしろその方がむつかしい。掘出し物をいうのではない、同じようなものが沢山あって、区別がつきにくいのと、高価なものは、お金さえあれば手に入るが、安物の場合は、自分の眼だけが頼りだからである。  値段がないと同様、美しいものには時代もない。これなど徳川中期か末期か、私は知らないが、よほど人に使われたのであろう、底からにじみ出るような味わいがあり、程よい手ずれの跡も

Location: 381

紅葉の

Location: 405

遠山

Location: 417

鷺の

Location: 430

椿は天皇を祝福するおめでたい木であるとともに、力強い魂を身につける鎮魂の具であったのだ。二月堂のお水取りや、薬師寺の花祭りで、椿の造花を飾るのも、春を招く吉祥の花として、いわば復活の象徴と見られたのであろう。後世に至っても、きものや調度に好んで用いられ、松竹梅の梅のかわりに、椿をつけたのも沢山あり、首が落ちるために、不吉な花とされたのは、ずっと後世の徳川末期のことだっ

Location: 484

私は椿の種類がいくつあるか知らないが、一説には三千以上ともいわれて

Location: 500

室町時代に現れた若狭の 八百 比丘尼 ──これは人魚を食べたために、八百年も生きつづけ、罪業消滅のために、諸国を遍歴したという日本の「さまよえるオランダ人」の伝説だが、折口信夫氏によると、彼女もまた椿の枝を持って歩くと伝えられ、大和や熊野の神人にも、似たような風習があったと聞く。山伏の 笈 に椿の文様が多いのも、この比丘尼とか神人などの伝承が、山岳信仰と結びついたためだろ

Location: 510

きものに、絵画に、陶磁器に、しきりに椿の文様が描かれた。殊に辻ヶ花染めには多く、その他、能装束、漆絵、 蒔絵 などにも用いられ、永徳、山楽、光琳、乾山なども、椿を好んで描いて

Location: 517

秀吉も好きだったらしく、京都の椿寺の有名な「五色椿」は、加藤清正が朝鮮から持って帰って献上したと伝えられ、その他にも、茶道と関連して、桃山時代に作られた品種は

Location: 519

首が落ちる不吉な花とされたのは、してみると、彼等のはかない抵抗であったのか。椿のためには、思いもかけぬ濡れ衣といえよう。椿は、何も首から落ちる花ばかりとはかぎらない。周知のとおり、「散り椿」といって、桜のように一ひらずつ散る種類も多いので

Location: 529

椿の

Location: 538

熊野は椿の名所でも

Location: 549

樟は一字でクスノキと訓む。ふつうは楠と書くことが多いが、『牧野植物図鑑』によると、それは誤りで、「真品ハ日本ニ産セズ」と断って

Location: 579

たとえば京都の 新熊野神社にある樟は、後白河法皇の時代に、紀州の熊野神社から移植したと伝え、国道1号線の雑踏と塵埃のただ中にあって、八百年の緑をたたえて健やかにそびえて

Location: 585

が、何といっても人目を驚かすのは、伊勢から熊野へかけて点在する巨木であろ

Location: 589

だが、若い頃の私には、この仏像のほんとうのよさがわからなかった。法隆寺の百済観音や、中宮寺の弥勒菩薩の、あのロマンチックな魅力にひかれていたからで、ただ芸もなくつっ立っている仏像に、何の興味も感じなかったので

Location: 615

木と石と水の

Location: 642

それには帰化人の影響もあった。未だ帰化人とはいわなかったが、日本海を渡って、北陸経由で移住した外来人は、想像以上に多かったと思わ

Location: 660

景色を見るたびに私は、日本の自然と歴史のかかわりあいを、想ってみずにはいられない。時には景色のほうが、生半可な史料より、確かなことを教えてくれる場合も

Location: 710

それらの山に共通することは、必ず川に面しており、山上に神の降臨する 磐座 があって、神木が立っていることである。そういう形式を「 神奈備」といい、神のなびき依るところ、ひいては神の 在す山を指し、万葉集には、「神名火の 三諸 の山にいつく杉思ひ過ぎめや……」とか、「……三笠の山の帯にせる 細 谷川の音のさやけさ」などのように、そういう風景を 謳ったものが

Location: 727

山は生活に欠くことの出来ぬ水を与え、その水は田畑をうるおすだけでなく、山から伐り出す材木や石材を運搬する役目もし

Location: 736

私たちの祖先は、そうして何千年もの間、自然を神として敬い、畏れ、感謝しつづけて、その中から多くの芸術作品を生んだ。どれひとつとして自然の申し子でないものはない。彫刻は 木理 の美しさをたたえ、建築は 立木 に似、陶器は新鮮な土の香りを発散する。人は己が恋心を草木に託し、美しい乙女を花の 蕾 にたとえ

Location: 740

自然信仰から山岳仏教へ発展した道筋は、近江に一番遺っているような気が

Location: 767

何事の 在しますかは知らねども……」という西行の 詞 は、現在も生きており、ふとした時に私たちは古代人の心に還って、自然の中に母なる神を見る。この写真集

Location: 798

単に山紫水明の近江と、そこに秘められた文化財を紹介するためではなく、風景と歴史の微妙な調和、長い年月にわたって、自然と人間の間に交わされた言葉の数々を、カメラを通じてとらえたものに他なら

Location: 800

木と石と水の国、それが私たちの第一印象であった。これは近江だけでなく、広く日本の文化の根源をなすものであろうと私は思って

Location: 802

牧さんは土門拳氏の弟さんだけあって、ひどく凝り性なので

Location: 810

聖林寺から観音寺

Location: 825

女躰でありながら、精神はあくまでも男である。その両面をかねているのが、この観音ばかりでなく、一般に十一面観音の特徴といえるかも知れ

Location: 893

湖北の

Location: 1064

山桜

Location: 1169

東北の恐山、北陸の白山(この中には美濃と飛驒の白山社もふくまれる)、日光、伊吹山、吉野、熊野と、いずれも古い伝統のある神山で

Location: 1196

日本の

Location: 1249

京都の骨董屋さんで、うれしい買物をした。まだ表具もされていないうちわ絵で、暗緑色のバックに、白木の橋が描いてある。ただそれだけの単純な構図だが、さざなみの立つ水面を、さわやかな風が吹きすぎるような感じが

Location: 1250

先日、建築家の谷口吉郎氏にお会いした時、ふと思い出してうかがってみた。  先生の答えは極めて明快であった。ひと口にいえば、日本の橋は流れるように造ってある。というと、誤解を招くかも知れないが、何かの時に、流れてもさし支えないように出来ている。日本は国土がせまい上に、山が近く、そこから流れ出る川は急流であることが多い。したがって、あまり丈夫な橋をかけると、洪水をひき起すおそれがあり、昔の人は経験から、そういうことを知っていたというので

Location: 1271

だから日本には古い橋がない、歴史もないと、谷口さんはいわれた。専門家のいう歴史や資料には欠けるかも知れないが、橋を描いた美術品や文学は枚挙にいとまもない。このうちわ絵の作者も、無意識のうちに、源氏物語の「夢の浮橋」や、「宇治の橋姫」を胸に浮べて描いたであろ

Location: 1280

谷口さんは、日本の橋はお箸と同じもので、ナイフとフォークと比べてみたら判るといわれたが、使い捨ての文化は、すでに上古から存在したのであり、こわれやすいから私達は大切にし、消え行くものの中に美を見出し

Location: 1285

それは天上と地上を結ぶ橋、神と人との仲立ちであった。昔の人々は、空にかかる虹を見て、「天の浮橋」という言葉を創造したのかも知れ

Location: 1291

日本三景の一つ「

Location: 1302

その時私は、 天 と 海 がひとつづきのものであることを、実感をもって知ることを得た。籠神社も、海人部の人々が祀った神で、大陸と自由に交通していた時の記憶が、このような伝承となって遺ったのであろう。天と海とがつづいていたように、橋と船の間にも、さしたる区別はなかったと

Location: 1312

夢の

Location: 1325

吉野山を詠んだわけではないが、花か雲か定かならぬしののめの空に、きぬぎぬの別れを惜しむ人の想いがたゆたう。ためしに角川版の古語辞典をひらいてみると、「夢の浮橋」は吉野川の名所で、夢の 淵 にかかる橋としてある。それだけを頼りに、私が吉野をおとずれたのは、つい先週のことであった。町役場の桐井さんという方が案内をして下さっ

Location: 1348

英語には、自殺という言葉はあっても、心中はない。だからダブル・スイサイドなどと

Location: 1462

石の豊富な近江では、日吉神社の大宮川に、みごとな石橋が三つもかかっている。やはり秀吉が寄進したものだが、いずれも石材を用いたというだけのことで、実質的には木造の橋と何の変りも

Location: 1480

謎ときの

Location: 1509

魯山人ほど琳派の精神を適確につかんでいた作家はいないと思う。琳派の真似をしている人々はいても、自分のものにしている画家も陶芸家も、現代にはいないので

Location: 1634

私たちの祖先が、古典文学の教養と知識をかたむけ、工夫を凝らして造りあげた日本の文化の伝統は大切にしたい。私が切に願うのはそれだけで

Location: 1656

そこには麗しく保存された京都の石庭とは、また趣のちがう素朴さと、戦国武将のきびしさが現れており、武家の庭園とは、正にこうあらねばならないという感じが

Location: 1680

木立に囲まれた庭園の、安曇川に面した側だけが開けて、比良山を望めるように造型されているのは、私にそういうことを考えさせる。そして、これ見よがしに借景風に造った庭よりも、かえって深い趣があるように思わ

Location: 1726

そこで私は再び日本の庭というものが、いかに自然をよく模しているか、よく見ていることか、感動をあらたにし

Location: 1731

考えてみれば、日本の庭ほどはかないものはない。一年といわず、半年も放っておけば、自然に還元してしまう。だからこそ日々の手入れが大切であり、美しい庭というものには、持ち主の愛情だけではなく、人格のよしあしまで現れるように

Location: 1767

西行の書  この春、私は 河内 の 弘川寺 にある西行法師の墓にお参りした。ちょうど桜の盛りの頃で、山にも谷にも花が満ち、お墓の前にも大輪の桜が供えてあっ

Location: 1878

花と

Location: 1961

院政時代に入ると、「熊野 詣」が盛んになる。熊野三山の信仰を、ここに詳しく述べることはできないが、大ざっぱにいうと、先史時代からの自然信仰に、仏教の浄土思想が結びついて発展したもので、修験道の山伏によって全国へ普及して行っ

Location: 2079

桜を愛した西行は吉野の奥に庵室を造り、高野山で修行をしていたが、その間に大峯山も踏破したらしい。熊野の山中で 詠んだ歌が、「西行物語絵巻」その他に見えて

Location: 2085

桜の花には何となくそういうことを想わせる寂しさがつきまとう。豪華であって、しかも物の哀れを感じさせる桜こそ、桃山文化を象徴する花といえるかも知れ

Location: 2195

木と

Location: 2243

日本の百

Location: 2780

牧さんは土門拳氏の弟さん���けあって、ひどく凝り性なので

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2023年07月21日

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