感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
一枚、二枚…決して十には届かない。子どもの頃に母から聞いた皿屋敷の怪談は、播州の女中が皿を割った失態のために殺されて井戸に棄てられる、ただただ募る怨みの物語。怪談はおそろしく冷たくて仄暗い。
それが京極先生の手にかかると(先の作品もそうですが)、もの哀しくも人間味に溢れどこかあたたかい物語に…まぁ大号泣でしたけど。
当事者たちの心の動きも、残されたもののやりきれない思いも、細かに描かれていて絶妙。
個人的に今年拝読した小説のなかでは今のところ一番の作品です。
Posted by ブクログ
私もいつも足りない気がする。
褒められたりない気がするし、確認したりない気がする。
衣替えの季節に、こんなにたくさん服を持っているのに、服が足りない気がする。
世の中はつまらない。
そして私は、愚図で鈍間だ。
章ごとに主人公が変わる形式のこの小説で、
全員が自分に当てはまる気がした。
足りない足りない、あてはめ足りない。
菊さんのように、
あぁ空がきれいだなと思って空を見上げられたらいいなと思った。
Posted by ブクログ
番町皿屋敷を知らないものは日本人にはいまい。女中の菊が、足りない皿を数える声が、夜な夜な井戸から聞こえるというものだ。
しかしなぜ、を仔細に知る人はそう多くないのではないだろうか。
皿が足りないくらいで殺されて、恨みを持つようになったのはなぜ?
その問いかけに答えるよう、よく知られた結末に向かっての道筋を描くのが本作だ。
「数える」ことに対する個々人の主張を主として章立ては進む。
先を考えすぎてしまい、身動きができなくなってしまうから数えたくない器量よしの菊。
数えても数えても足りない気がする、青山播磨。
数え切れない米搗きの三平。
誉を数える十太夫。
際限ない欲深さの吉羅。
満ち溢れる遠山主膳。
そこに家宝の皿という要素が加わった瞬間に、全ての歯車は狂う。
途中まで、これがどう収斂するのかまったく読めない展開でわくわくしてました。
ページ数としてはいつものごとく分厚いのだけれど、出勤時間とかの合間合間に読んでも3日くらい。
むしろあっけなく終わってしまった印象すらあります。
仕掛けの部分に時間をかけて、畳むところは第三者の視点からの語りで終わらせているせいか、後味はややそっけないような。
とかく引っ掻き回すのは主膳という人物なのだけれど、彼は播磨が自分と同じでないことが許せない。羨望とも少し違う、播磨の中にある自制心や箍を壊させて、自分と同じところまで落としてやろうという気持ちだけで、引っ掻き回す。
最後の人死にはさながらシェイクスピアのハムレット、敵味方なく死ぬ。そのときの主膳と播磨はなぜか同じに見えた、と語る徳次郎。
個人的には、箍の外れた播磨は主膳も慄くようなばけものであってほしかったのだけれど。(家来を斬り捨てていった、というあたりがその描写かもしれないけれど)
吉羅を誰が斬ったのか、菊を誰が斬ったのかは本編では語られない。
播磨恋しさに縁談を妨げようと皿を隠した腰元の仙が主膳に斬られて以降、何故菊が斬られ吉羅が斬られたのかの子細は不明である。
吉羅を斬ったのが播磨であることは恐らく確かだが、なぜそうなるだろうか。
菊が皿を井戸に投げ入れたとして、吉羅は手打ちの罰を受けるべきだと叫ぶ。主膳が菊を斬り、播磨が吉羅を斬るだろうか。
播磨が菊を斬っていたら、と思うとぞっとする。
否、どちらが斬ったかはおそらく問題にはならないのだ。この時点ではすでに播磨と主膳は、同じものだったのだから。
よく知られた怪談をアレンジする京極氏の作品の中では、「嗤う伊右衛門」が一番の出来だったように思う。
よく出来た物語ではあるが、感情移入は難しい。
Posted by ブクログ
最後に何が起こったか、自分なりには描けたけれど。
菊が皿を数えるのは、何が起こったかわからないから、なのね。
しかし、菊の態度はイライラするわ。バカで阿呆で無自覚に傲慢で。