【感想・ネタバレ】『永遠の0』と日本人のレビュー

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Posted by ブクログ

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文芸評論家小川榮太郎の「永遠の0と日本人」。
映画「永遠の0」、映画「風立ちぬ」、映画「終戦のエンペラー」、小説「永遠の0」、特攻とは何だったのか、の5つの章で構成されています。
映画「永遠の0」の章では、最初に観た時の違和感について書かれているが、自分自身も本で読んだイメージと主人公のキャラが少し違うのと物語全体の空気に違和感を覚えてたので、その解説は大いに参考になりました。
「風立ちぬ」の章では、宮崎駿作品が戦後日本や国家というところに直視していないところを厳しく突っ込んでいます。
「終戦のエンペラー」の章では、この映画が俳優・スタッフたちの驚くべき無知から作られていることを詳しく指摘しています。
小説「永遠の0」の章では、現代の読者が感情移入しやすいようにあえて宮部を傀儡とした設定しているとの事で、なるほどなと感心。
そしていよいよ白眉の最終章。
まず前提として特攻は非戦闘員への無差別攻撃ではなく、敵を絞り込む最大の戦果を求めて、叩くべき極点を限定した戦術であり、その意味においてテロとは全く異なる。という事。
大西中将があえて特攻という作戦を固辞した理由として、1つはは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。2つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、5百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう」ということである。
大西中将は8/16未明に割腹自決を行った。介錯を拒み15時間近くもがき苦しんだ末、同日夕刻に生涯を閉じた。特攻隊員への懺悔という意味もあったとの事。
著者は特攻の成果についても従来の定説を公開されたアメリカの資料により覆しており、加えて、もし特攻がなかったなら、アメリカは大船団を引き連れて日本近海まで自由に到達し日本本土に上陸したであろう、そして戦争末期は、リンチのようなワンサイドゲームになったであろう。
有色人種である日本人が、一方的なリンチで敗北したら、敗戦処理はどうなっていただろうか。インデアンやハワイのように国家主権そのものが半永久的に剥奪され、世界は植民地から解放されたのに、肝心の日本は奴隷の国に落ちぶれなかったと言えるか。と。
しかしながら、この本の最初の見開きに親日家のアンドレマルローが昭和天皇に騎士道にも合い通じる武士道について語り、しばし黙られたあとのお言葉。「しかし、あなたは、来日以来、一度でも武士道を思わせるものを見ましたか」と。
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」現代の日本人もその精神はなくなってはいないものの7年に及ぶGHQの弾圧の占領政策により戦後、大切なものを失ってしまったようである。先人たちの尊い犠牲のうえに今私たちが享受する平和があることをかみしめつつ、この後の世に彼らの命が無駄にならなかったと思える日本になってほしいと願うばかりであります。

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2018年05月19日

Posted by ブクログ

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映画「永遠の0」「風立ちぬ」「終戦のエンペラー」の解説あるいは批評かと思って読みだしたが、直ぐにそれが誤りだったことに気づかされる。著者はこの3作品を俎上に載せて、戦前(風たちぬ)・戦中(永遠の0)・戦争直後(終戦のエンペラー)の時代を語ろうとしている。
穿った見方(読み方)をすれば、先の(太平洋戦争でなく)大東亜戦争や特攻の賛歌ではと、誤解を受けやすいが、問題の切り込み方や、論理展開が半端でなく、我々がこれまで目を背けていた「あの戦争」は何だったを考えされられる。
個別の映画の批評としては以下のような内容になっている。
「風たちぬ」
著者は宮崎駿の中に内在する「戦後の平和日本」の矛盾を指摘する。つまり「風の谷のナウシカ」はその自己矛盾に身悶えし、それがリアリティを保証しているが、「風たちぬ」は零戦という戦争の申し子を主題に選択したにも関わらず、戦争とは一切関係なく「世界一美しい飛行機」作りに邁進する主人公・堀越二郎を描いていると。『彼(宮崎)は零戦を生むに至る歴史を正視しない』
この著者は「風の谷のナウシカ」が好きなのが行間から伝わってくる。そういう作品を作った宮崎駿が最後の仕事での、中途半端さへの苛立ちが聞こえてくるようである。

「終戦のエンペラー」
この映画は、「偽りと不信の日米関係」と切り捨てている。具体的には戦後のアメリカによって行われた検閲問題に迫っている。

「永遠の0」
ここで、著者の言いたい事が爆発している。
小説にあるが、映画では切り捨てられているものに焦点をあて、両者の違いを丹念に探っていくことにより、主人公宮部の苦悩、大東亜戦争、特攻・・・家族・祖国を守るということは何だったのかを正面から我々に問いかけてくる。

私は必ずしも著者の考え方に同調するわけではないが、これまでの我々が目を背けてきた「現代史」あるいは「戦争」および「戦後の平和」とは何かと言う問題を、改めて考えさせてくれる本であった。

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2014年01月09日

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