【感想・ネタバレ】「聴く」ことの力のレビュー

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Posted by ブクログ 2022年01月17日

他者の他者として初めて自覚させられる「自分」。〈聴く〉ことがそのまま哲学の実践である。考えさせられる論述が続く。メルロ=ポンティ、レヴィナス、フランクルの言葉がつながり、示唆的である。

・反方法。エッセイ。
・客は今の時代、侵入になってしまう。家父長制の時代はそうではなかった。
・苦しみに苦しむ自...続きを読む分。苦しみに目を背けることはできても、苦しみであることは認識せざるをえない人間という存在の不思議。
・存在の世話
・「どっちつかず」と仲介性

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Posted by ブクログ 2012年05月07日

頂き物。大学入学前にに読み、傾聴の困難さと重要性を知る手だてとなった本。「他者」と己の補完性を臨床哲学の原点として考察する。

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Posted by ブクログ 2012年04月01日

じっくり味わっていると
じわじわしみ込んでくる文章。
ほーってため息のでるような
お気に入りが数か所。
またきっと読みます。

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Posted by ブクログ 2017年09月03日

求められるということ、見つめられるということ、語りかけられるということ、ときには愛情のではなくて憎しみの対象、排除の対象となっているのでもいい、他人のなんらかの関心の宛て先になっているということが、他人の意識のなかで無視しえないある場所を占めているという実感が、ひとの存在証明となる。寺山修司も先の文...続きを読む章のなかでふれていたが、ひとは「だれもわたしに話しかけてくれない」という遺書を残して自殺することだってあるのである。

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Posted by ブクログ 2011年04月16日

弱さだって 力だ。
なにもできなくても 寄り添うことはできる。

本当に傷ついた人の隣で 自分は相当に無力だけど
この本を読んだから 自分を責めずに済んだ。

わたしの お守りのような本です。

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Posted by ブクログ 2010年02月21日

哲学など縁がなかった僕が始めて読んだ臨床哲学試論だ。鷲田さんの言葉はまるで音符のように心に沁みこむ(音符は読めないが)瞬間もあれば、デジタルチックな難解な数学の公式の森を彷徨っているだけの瞬間もあった。兎に角最後まで読むことができた自分に拍手したい。

以下、気になった箇所、自分へのメモとして抜粋。...続きを読む

「臨床」とは「社会のベッドサイド」だそうだ。

「ことばは、聴く人の「祈り」そのものであるような耳を俟ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。」

「そしてなによりも<わたし>はひとりで棺桶に入ることさえできないからだ。」

「だれかが、あるいはは何かがじぶんを「待っている」という確信、これしもがしかし奪われたとき、ひとはいかにして「なお生きる」ということに耐えられるのだろうか。」

「子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることである。」

「こういう贈り物ができるかどうかはm¥、ふたたびそのひとが、つまり贈る人自身が、かつてたった一度きりであっても、無条件でその存在を肯定された経験があるかどうかにかかっている。」

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Posted by ブクログ 2009年11月30日

哲学者である鷲田清一が「臨床哲学」という新しい領域を設定し、「聴く」という行為を切り口に、哲学の本質と可能性について論じたものです。論じること、書くこととしての哲学ではなく、「聴く」という営みとしての哲学を模索し、特定の他者に向かっているという特異性(シンギュラリティ)の感覚を重視することで、一般的...続きを読む原則が一個の事例によって揺さぶられる経験としての哲学を捉える。そのような姿勢を持つことで、哲学が「臨床」と結びつくのだということが解りやすく解説されています。「臨床哲学」を「明るいホスピタリティ」として位置づけ、哲学の新しい可能性を開示した桑原武夫学芸賞受賞作。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

聴くこと・・に関してどう位置づけされているのかがとても知りたかったので購入。臨床哲学試論という言葉もはじめて耳にした言葉。ここから何がみえるかな?と思いながら私は読みましたが、この本の中にでてくる数々の精神科医、哲学者たちの引用文も参考になります。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

改めて人の話をただ聴くだけということの難しさを思い知らされた。饒舌は沈黙の優しさに及ばないこともあるというのは、なかなかわかったところで身につかないものではあるのだが。難題は多いのだが確実に前に進むための哲学ではある。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

現代の名著。哲学に行き詰まりを感じたら、読むといい。その先はまだ闇だが、確かな可能性を与えてくれる。

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Posted by ブクログ 2014年11月29日

哲学という学問を、「上空飛翔的な非関与的な思考としてではなく、じぶんが変えられるという出来事として」、「臨床哲学」というものを、「他者」をキーワードにして試みようとする。
哲学という学問分野における「エッセイ」が果たす枠割というものも、たいへんに興味深いものがあった。

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Posted by ブクログ 2014年06月21日

非常に読むのに時間がかかった本。話の半分も理解していないが、そもそも理解すること以外にも文章のリズムを楽しむ本ではないかと感じた。聴くことによって、他者を感じているのではなく、自分自身を鑑みているということを学んだ。何回も読むしかない。

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Posted by ブクログ 2013年11月04日

 著者は元大阪大学学長の哲学者で、専攻はたしか現象学。
 本中に「臨床哲学」という言葉がでてきますが、これは何かというと、哲学を使う感じ、よくわからないけれど。机上の空論としての哲学じゃなくて、哲学をフィールドワークするってことで、とてもアクティブな人。
 哲学者としての専門は確か現象学なんですが、...続きを読む「モードな身体」なんかではファッションについて考えてみたりと、いろんなことに口をだしている。
 で、地上に降りて哲学を実践する場面において、「聞く」という態度のアクチュアルな側面を考察した本書。彼の文章はどこかの試験の問題文にもなっているらしく。とても豊かな日本語で書かれています。読みやすくはあっても、わかりやすくは無いという、入試の問題文にしやすそうな文体です。(知らない日本語がいっぱいでてきます。)

 話す/聞くということにおいては、「話す」ほうがクローズアップされがちです。話し方、プレゼンとかいったみたいに。しかし、聞くという行為、聞くものの態度が話すという行為を誘発する/できるのではないかという内容。その空間を支配しているのは、むしろ聞くものなのではないかという内容。
これはカウンセラーが意識していることでもあって、ここで、臨床哲学とは話す/聞くという場面がそのフィールドだということがわかります。
なんとうか、このやわい感じ、読んでみなければわかりません。

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Posted by ブクログ 2012年04月12日

難解なところもあり、ゆっくり時間をかけて読んだ。
興味深かったし、自分の体験と重ね合わせながら読む上で、たくさんのものを得られたように感じる。
いろいろと深く考えさせられる1冊だったし、読んでよかった。

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Posted by ブクログ 2010年06月09日

著者の鷲田清一先生自身が「臨床哲学」と名付けられ、難しくてなかなか読み進めない部分もありますが、
「聴くことの力」、これは、私にも足りないし、周りの人にも求めている力のことだということだけは、よくわかりました。
ずっと、聴いたら何か言わなければならないと思ってましたが、聴くという行為そのものにも大き...続きを読むな意味があります。
まだまだ、もっと深い理解が得られるよう、何度も読み返したい本です。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

「何かを伝えようとする時に発する言葉、見つめる視線、そして沈黙」 誰かとコミュニケーションをする際に、当然のように行っている筈の「聴く」という行為を、「他人を受け入れる」という行為としてあらためて考えている本です。 また、「他人を受け入れる」行為を職業としている人達 - 医者、看護婦、カウンセラー、...続きを読む教師……etc,etc - にとって、日常化している「他人を受け入れること」「ホスピタリティ」とどうつきあうか、それによって生じるストレス・問題をどうするべきなのか、といった問題に真っ向から取り組んでいます。 哲学にあえて「臨床」の名を冠し、あくまで現場(職場というだけでなく、介護や家族の問題もふくむホスピタリティなすべての現場)の人間にとっての「受け入れること」を突き詰めた内容は、専門的な人間だけではなくすべての人に感銘を与えるものだと思います。 「臨床哲学」という未知の領域を定義するという目的もあってか、1章は多少難解な表現で綴られていますが、2章以降はむしろ読みやすい内容になっています。 安売りされる「ホスピタリティ」や「聴く」という行為の本質に一石を投じる一冊です。 この本を読んでからは、誰かを受け入れたり、誰かのために時間を割く事の幸せとかをより自覚的に感じるようになりました。また、話をする際に「話す内容・言葉そのもの」よりも「相手自身」を感じながら話すことを重視するように心がけています。 「その瞬間、その人ただ一人に届くたった一つの言葉」それだけを信じて。

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Posted by ブクログ 2014年06月19日

聴き方テクニックのような本と勝手に思い込んで読んだところ、聴くということの大事さを臨床哲学の観点から紐解くという、かなり難解な内容で、読み進めるのに難儀しました。あとがきの内容が一番分かりやすかったような気がします。

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Posted by ブクログ 2013年02月05日

卒論参考資料。「話す」だけになっていはいないか。受け取られなかった言葉は虚空に谺する。「聴く」ことの視線。

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Posted by ブクログ 2012年05月28日

「聴く」という行為に積極的に意味づけを与えようと試みた本書。鷲田さんはやはり良質な文章を紡ぐ。ただ、章が進むにつれて「
右肩下がり」感が否めなかった。「方法がない」「確かな答えがない」「いつまでもおしゃべりしているばかりだ」という不満を抱いてしまった。ビジネスコミュニケーションに応用できるような内容...続きを読むではない。

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Posted by ブクログ 2012年02月26日

聴くこと、触れることについて。表面上の接触で満足するのではより深みのあるコミュニケーションひいては生き方ができない。そう思った。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年07月27日

臨床哲学の第一人者鷲田清一氏による臨床哲学の入門書にふさわしい一冊。
他人の話を「聴く」行為はまさに「他人を受け入れる」ことだと冒頭では述べられている。
当然の行為である「聴く」ことを哲学的行為と定義し
聴く側の自己を創成する上で大きな意味を持っていると本書では指摘する。


ことばを受け止めること...続きを読むこそが、他者の理解に繋がっていく。
「聴く」行為の主体者になるよう語りかけてくる。
鷲田の論考を読み解く際に、掲載されている植田正治のモノクロ写真は本文の雰囲気を一層醸し出す。  

哲学的視点から「聴く」ことの意味を明瞭にし、
一人一人の読者が他者とのより関係を構築する際のヒントを提示する。
哲学という学問の可能性を、また一つ広げたに違いない。
ネットが発達し、コミュニケーションが重視される世の中で、疎かにしやすい「聴く」行為。
本書を読み終えた時には、聴くことの重要性に気付かされることだろう。

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Posted by ブクログ 2011年06月11日

「臨床哲学」ということば自体つい最近知ったが、そういえば中村雄二郎も「臨床」を使っていた。能動知に対する受動知という意味あいであった。
哲学とはとにかく個人的な思惟を語ることであった。もちろん時代との交渉はあったにせよ、その語りのほとんどは古代ギリシャ以来の伝統の文脈に沿ったものであった。それがどん...続きを読むどん世間とかけ離れたものになっていった。
「臨床」とは社会というベッドサイドのことを指す。それはある特定の当事者に寄り添うことであり、当事者の声を聴くことによって物事の本質を見出す作業とされる。自分というものを中心におかない。
カール・ロジャーズの心理カウンセリング理論がすぐに思い浮かぶが、著者はメルロ=ポンティの現象学やR.D.レインからむしろこの着想を得ているようだ。
レインとロジャーズは親交があった。ふたりの思想の低音は明らかに共通していた。
やや形を変えてでも、今の時代にこの考え方と実践が生きるとしたら、これは喜ばしいことである。
しかし、心理療法の現場ではロジャーズ理論はいささか分が悪いように見える。当事者本人による自己変容が起こるのを支援するというスタイルでは不確実で時間がかかりすぎるというのだ。従って、あたかもビジネス・プロジェクトのような計画表や思考法や行動の規約を作ったりする指示的な解決策に流れがちである。要するに待つことができなくなっているのだ。ロジャーズ理論の弱みでなく、そのような現代社会のひずみこそ問題とされるべきではないかと思う。著者はこれについては別のところで考察しているようだ。
植田正治のECMのアルバム・ジャケットのような写真がページの中にちりばめられている。この人のこともはじめて知った。

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Posted by ブクログ 2010年04月01日

いいこと書いてありそうな雰囲気だけは伝わってくるんだけどね・・・。何書いてあるのかよく分からない。哲学を勉強したことがなければ分からないタームが次々と出てきて辛い。

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Posted by ブクログ 2009年12月28日

一杯のお茶を出す それに意味はない

脆弱性 は ルサンチマン 超克とか乗り越えとかいう発想ではルサンチマンからは抜け出せない。

忘却の力 ニーチェ 記憶の力 キルケゴール 

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Posted by ブクログ 2011年07月05日

20/8/10
噛み切れない理論>棄てる側ではなく「棄てられる」側の噛んでも噛み切れない論理しか信用しない

哲学を馬鹿にすることこそ真に哲学することである>パスカル

言葉が他者との間に成り立つときには、まず働きかけとして機能する。働きかけること、感情を忘れること、対象にふれようとすること

どう...続きを読む変わって欲しいのかがはっきりしないと相手は変わらない

言葉をうけとめるといっても、そこには常にアースがひつようだ。自分がきちんと受け止めたら、自分のほうがもたない。それにがしっと受け止めると、それが反射して相手に悪影響を与えることもある。

私たちがいま失いかけているのは「話し合い」などではなくて「黙りあい」なのではないか。

「やり場の無い怒り」>ひとたびその怒りに、ある「物語」を付与してやれば、案外、感情の混沌たる嵐はしかるべきかたちに秩序づけられるのかもしれない。

不幸の経験は言葉を持たない。そこに不幸の本当の困難がある。

「ふれあう」ことを回避しようとして、皮肉にも気が「ふれて」しまうのだ。

「いる」ということがすでにゼロをこえている

意味、条件なしで「ともにいる」こと、つまり「時間をあげる」こと>ケアがケアでありうる

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。>フランクル

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

臨床哲学という分野の本。「聴く」という行為が相手にどれほどの効果をもたらすのか、どれほどの意味があるのかについて書いてある。哲学が苦手な人は読みづらいと思うかも。

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